東京大学は2月28日、農業生物資源研究所(生物研)との共同研究により、ヤギにおいて本来性腺活動が停止している非繁殖期のメスが、オスまたはオスの匂いを感じることで排卵と発情が誘起される強力な性腺刺激現象「オス効果」に着目し、メスヤギにおける脳の生殖制御中枢の活動をリアルタイムで観測することが可能な新たに開発した「バイオアッセイ」を用いて、オスヤギの頭部より放出される多くの物質の中から生殖制御中枢に促進的に作用するフェロモンとして、「4-ethyloctanal(4-エチルオクタナール)」という新奇の揮発性化合物を同定したと発表した。
成果は、東大大学院 農学生命科学研究科 応用動物科学専攻 博士課程3年の村田健氏(当時)、同・武内ゆかり准教授、同・森裕司教授、同・農学生命科学研究科 応用生命化学専攻の渡邉秀典教授、生物研 動物科学研究領域 動物生産生理機能研究ユニットの岡村裕昭ユニット長らの共同研究チームによるもの。研究の詳細な内容は、2月27日付けで「Current Biology」に掲載された。
動物のコミュニケーション手段として嗅覚は重要な働きをしており、フェロモンは特に同種間のコミュニケーションに利用される物質だ。ほ乳類フェロモンは、攻撃行動や性行動などを誘起するなどの行動を制御する「リリーサーフェロモン」と、メスの性成熟を早めたり発情を誘起したりするなどの生理的変化を誘起する「プライマーフェロモン」に分類される。リリーサーフェロモンについては、攻撃行動や性行動などを誘起する物質が、マウス、ゾウ、ブタなどで同定済みだ。
一方で、プライマーフェロモンによる現象はマウスにおいてよく知られており、メスの性成熟を早める効果、発情を誘起する効果などがある。従来、プライマーフェロモンの同定に関する報告もあったが、近年になって実験に再現性のないことが指摘されており、いまだに確実なプライマーフェロモンの分子同定については成功例がなく、作用機構についてもほとんどわかっていない。このようにほ乳類におけるプライマーフェロモンの同定は非常に難しいのだが、その大きな原因は適切な「バイオアッセイ方法」が確立されていなかったことにあるという。
オス効果フェロモンは、オスヤギの被毛に付着しており、特に頭頚部で産生される揮発性物質であることを、研究チームはこれまでに明らかにしていた。この知見を利用し、研究チームはオスヤギの頭部に吸着剤を封入した自作の帽子をかぶせることで、揮発性成分を捕集。そして分析したところ、特徴的な化合物として「エチル基側鎖」のついた「アルデヒド」や「ケトン」が検出されたというわけだ。なお、これらの物質は精巣除去により「テストステロン」が産生されない去勢オスヤギからは検出されなかったという。
ちなみにオス効果では、メスがオスの匂いを嗅いだ時に、生殖機能の最上位中枢である「視床下部」(視床下部間脳の一部であり、交感神経・副交感神経機能および内分泌機能を統括的に調節する脳領域)より放出される「性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH:Gonadotropin Releasing Hormone)」のパルス状分泌が促進されることが示唆されていた。
なお、GnRHはすべての脊椎動物において生殖活動を制御する重要な神経ホルモンで、ほ乳類ではパルス状に視床下部から下垂体へと神経分泌され、このパルス状のリズムを駆動する脳領域が「GnRHパルスジェネレーター」と呼ばれている。研究チームはこの脳領域の神経活動を電気生理学的に記録することで、GnRHパルスジェネレーターの活動をリアルタイムで観測するシステムを構築し、メスヤギに嗅がせた物質のフェロモン活性を判定するバイオアッセイに適用したというわけだ
こうした特徴的な化合物を人工的に合成し、前述したバイオアッセイにより活性のある成分を絞り込んでいったところ、最終的に4-エチルオクタナールという化合物に活性が確認された。4-エチルオクタナールは自然界では初めて見つかった物質である。また、オスヤギから見つかったほかの化合物と混ぜ合わせた場合、4-エチルオクタナール単独よりも強い活性を示す傾向が見られたことから、ほかの成分と協調してより強い活性を生じることも示唆されたという。
今回の研究ではフェロモンによってメスの排卵や発情といった生殖機能の出発点となる神経群が活性化することを示したが、今後はフィールド研究によって、実際に非繁殖期にあるメスヤギの排卵や発情の誘起を確認していくことを考えているという。
オスヤギの被毛はメスヒツジにもオス効果を示すことが知られており、今回の研究で同定された4-エチルオクタナールはヒツジにも作用する可能性がある。今後は今回の研究の成果を発展させてウシやブタなど、日本国内ではオスとメスを別々に飼育せざるをえない管理上の制約が繁殖障害の一因となっている主要な家畜種を対象とした研究にも取り組み、それぞれのオス効果フェロモンを同定してその実用化を目指していく予定とした。
また、ヤギにおいて4-エチルオクタナールが作用する脳部位と作用機序をより詳細に解析することで、ほ乳類に共通するメスの生殖機能促進機構を明らかにできる可能性が高まるという。こうした研究は、前述した家畜の繁殖制御のみならず、ヒトを含めたほ乳類全体の生殖機能障害の新たな治療方法の開発にもつながることが期待されるとしている。