科学技術振興機構(JST)と大阪大学(阪大)は、難病の「多発性硬化症」で傷ついた脳や脊髄などの神経が自然に再生するメカニズムを明らかにすると共に、マウスを用いた実験で症状の改善を早めることに成功したと共同で発表した。

成果は、阪大大学院 医学系研究科の村松里衣子助教、同・山下俊英教授らの研究グループによるもの。研究はJST課題達成型基礎研究の一環として行われ、その詳細な内容は、現地時間10月7日付けで英国科学誌「Nature Medicine」オンライン速報版に掲載された。

多発性硬化症は脳や脊髄に生じた炎症により、神経が障害される難病だ。手足のまひや視力の低下などの重篤な症状が現れ、その症状は悪化と好転を繰り返すことを特徴とする。

これまで、神経が損傷した場合、ほ乳類の脳・脊髄の神経回路では再生しにくいと考えられていた。その原因の1つに、神経細胞の軸索の再生力が低いことが知られている。しかし近年、脊髄損傷や脳血管障害で、損傷を受けた神経細胞の軸索が、わずかだが自然に再生することが動物実験でわかってきた。また、多発性硬化症と類似した症状を起こす「脳脊髄炎」マウスでも、軸索が自然に再生する様子が報告されている。そのため、多発性硬化症が好転する場合は、神経が再生したためであると考えられているが、そのメカニズムは不明だった。

一方、これまでの研究から多発性硬化症の病巣では新しい血管がたくさんできることが明らかになっている。また、一般的な話として、血管新生は組織を修復する働きがあると考えられているが、血管新生が軸索の再生にどう影響するかは不明だった。

研究グループは今回、多発性硬化症に類似する脳脊髄炎を胸髄の局所に起こすマウスを作製して検討を行った。このマウスは、手足の運動機能を制御する皮質脊髄路という神経回路が傷害される。そこで、まずは病巣の近くで起こる血管新生と皮質脊髄路の再生を時間ごとに観察した。その結果、軸索の再生は、血管新生が生じた後に起こることがわかった(画像1)。

画像1は血管新生の後に軸索が再生する様子。「順行性トレーサー」(BDAという物質)で皮質脊髄路を緑色に標識し、新生血管マーカー(CD105)を赤色に染色した。画像は、脳脊髄炎の直後に血管が新生し、その後に軸索再生が生じたことを示している。再生した軸索は、脊髄介在神経細胞(右下写真)と接続していた。

画像1。血管新生の後に軸索が再生する様子

新生血管は、血管内皮細胞から構成される。マウスから血管内皮細胞と皮質脊髄路を構成する神経細胞を採取し、培養実験を行うことで、神経突起の伸長への影響が観察された。

血管内皮細胞と共に神経細胞を培養すると、神経突起が長くなることが判明。そのメカニズムには、血管内皮細胞が分泌する「プロスタサイクリン」が神経細胞の表面にあるIP受容体に結合し、「cAMP」の合成を活性化することが重要だったのである(画像2・3)。

血管内皮細胞が産生するプロスタサイクリンが軸索伸長を促進する様子をまとめたグラフ。画像2(左)は、体外で培養した神経軸索の伸長を測定する実験の結果だ。プロスタサイクリン合成酵素(PGIS)の働きを失わせた血管内皮細胞は、軸索の伸長を促進する作用が低下している。このことは血管内皮細胞が産生するプロスタサイクリンが軸索の伸長を促進することを示している。画像3は、プロスタサイクリンがcAMP経路を活性化することで軸索の伸長に関与することを示した結果である

さらに、マウスに脳脊髄炎を起こし、「RNA干渉薬」によりプロスタサイクリンの働きを弱めたマウスの観察が行われた。そして薬を投与した14日後に、通常では再生する皮質脊髄路の軸索の再生がブロックされたのである(画像4)。

画像4は、RNA干渉薬である「IP受容体siRNA」をマウスの脳内に投与することでプロスタサイクリンの働きを弱めたマウスでは、皮質脊髄路の再生が抑制されたところを撮影した蛍光顕微鏡画像とグラフ。

さらに、脳脊髄炎の症状を行動試験によって定量化したところ、誘導後の時間経過に伴う症状の自然回復が薬を投与したマウスでは遅延した。このことから、IP受容体が軸索再生と神経症状の回復に必要であることが示唆される。

画像4。皮質脊髄路のIP受容体が、軸索が自然に再生する際に重要だ

脳脊髄炎を起こしたマウスは、四肢の運動に障害が現れ、それは時間がたつと共に自然に改善するが、薬を投与したマウスでは症状の改善が遅れた。これは、RNA干渉薬がプロスタサイクリンの皮質脊髄路を再生させる作用を弱めたからと考えられる。

さらに、プロスタサイクリンの作用を高める薬(IP受容体を活性化しcAMP合成を高める薬)を投与すると、皮質脊髄路の再生と症状の改善が促進した(画像5)。したがって、血管には神経の再生力を高める働きがあり、そのメカニズムを増強することで症状の改善が早まることがわかったのである(画像6)。

画像5は、プロスタサイクリンの作用を強めると軸索再生が加速する様子を撮影した蛍光顕微鏡写真と、その様子をまとめたグラフ。脳脊髄炎マウスにプロスタサイクリンの作用を高める(IP受容体を活性化しcAMP合成を高める)薬を投与すると、軸索再生が促進し、四肢まひ症状も軽快した。プロスタサイクリンが脳脊髄炎の治療分子標的になる可能性を示している。

画像6は、今回の研究の概要:脳脊髄炎後、脊髄内の血管新生が皮質脊髄路の再編成を導く様子を表した模式図。健常時(左):後肢を支配する皮質脊髄路は、腰髄の神経細胞と結合する。脳脊髄炎直後(中央):皮質脊髄路が脱落し(緑点線)後肢の運動障害が起こると共に、血管新生が生じる。

脳脊髄炎の数週間後(右):残存する皮質脊髄路が、新しい神経回路を形成することで、運動機能が自然回復する。下図:病変の新生血管から産生されるプロスタサイクリンが、神経細胞のIP受容体に作用し、cAMP合成の活性化を介して軸索の再生を促すという内容だ。

画像5。プロスタサイクリンの作用を強めると軸索再生が加速する

画像6。今回の研究の概要:脳脊髄炎後、脊髄内の血管新生が皮質脊髄路の再編成を導く

神経回路の形成についての研究は、神経系の細胞間の関係に着目したものがほとんどだ。今回の研究は、血管と神経という異なる種類の細胞間の関係から神経回路の形成を解明するという新しいコンセプトを提示するものであり、今後の神経回路研究に新しい方向性を提案するものだと研究グループは語る。

また今回の研究成果から、プロスタサイクリンが多発性硬化症の治療薬開発に有望な標的分子であることがわかった。今後、脳・脊髄のさまざまな疾患の後遺症に対して分子標的治療薬になる可能性への検証が期待されると、研究グループは述べている。