京都大学(京大)と放射線医学総合研究所(放医研)は、PET(ポジトロン断層撮像法)を用いて、利得と損失の双方の可能性があるリスク判断をする時に、利得よりも損失に比重を置く傾向の強さに脳内「ノルアドレナリン」が関与していることを明らかにした。

成果は京都大学大学院医学研究科准教授兼放射線医学総合研究所分子イメージング研究センター分子神経イメージング研究プログラム客員研究員の高橋英彦氏を中心とする、カリフォルニア工科大学、日本医科大学、慶應義塾大学、および早稲田大学との共同研究グループによるもので、論文は「Molecular Psychiatry」オンライン版に2月21日に掲載された。

人は毎日の日常生活や仕事の上でも、将来の不確実なことに対して判断をしていかなければならない。例えば、朝、家を出かける時に降水確率が50%という天気予報を見て、傘を持っていかない人は、雨が降らなければ、身軽で得した気分になる。しかし、もし雨が降ったら大きな損害だ。ビジネスの上でも、何かのスポーツでのプレーや、ゲームでも何でもさまざまな判断を迫られる場面はいつでもある。

伝統的な経済理論では、意思決定者は常に合理的に判断し、理論に基づいて最も利益をあげる確率が高いオプションを選択するものと想定してきた。しかし、例えば「コイントスをして表が出れば1万円もらえて、裏が出れば1万円失うくじ」があったとしたら、多くの人はこのくじには参加しないのではないだろうか。伝統的な理論では利益、損失が同額でその確率も50-50%であれば、このくじ(期待値0)に参加してもよいと思う人は2人に1人程度いても不思議ではないと予想するのだが、実際にはほとんどの人が上にあげたくじには参加しないと思われ、そのことを上手く説明できなかったのである。

そこで、今度は表だと2万円もらえて、裏だと1万円失うくじを想定した場合、参加してもよいと思う人が増えてくるはずだ。これは同額の利益と損失がある場合、損失が利益に対して少なくとも2倍の心理的な影響を与え、慎重な判断をするのが典型的であることを示しているのである。

期待値通りではない、一見非合理的に見える意思決定は必ずしも悪いものではない。こうした非合理な意思決定が社会生活を豊かにしたり、円滑にしたりしている面もある。しかし、非合理の度合いが行き過ぎるとギャンブル依存のような精神・神経疾患に認められる意思決定障害につながってしまう。他方、過剰に合理的過ぎると、自分さえよければよいという考えにつながりかねないというわけだ。

そのため、実際の人々の消費行動や市場の動きを計算式からのみではなく、血の通った人間の行動や心理状態を考慮して、人の経済行動を研究する「行動経済学」という領域が発展してきた。

行動経済学のパイオニアであるTversky氏とKahneman氏(後者は2002年にノーベル経済学賞を受賞)らは、ヒトは同額の利益を得ることより、同額の損失を回避する心理傾向が強いことを実証的に見出し、この現象を「損失忌避」と名付けた。コイントスの例も損失忌避の現れといえる。

最近は、行動経済学からさらに進化して、心理学、認知科学、経済学に脳神経科学が融合した「神経経済学」という経済的あるいは社会的な意思決定をしている際の脳活動を調べる学問も興隆している。神経経済学の知見からも、人間の経済的意思決定は、常に合理的に計算しつくされたものではなく、情動に関わる脳部位が意思決定に重要な役割を担っていることがわかってきた。しかし、これまでの神経経済学は、機能的MRIを中心とした脳活動を調べるものにとどまっていたのである。

そこで今回、放医研の世界最高水準の「分子イメージング」技術を用いて、意思決定に関わる神経伝達物質である脳内のノルアドレナリンが、損失忌避にどのように関わっているかが調べられたのである。健常者を対象に、経済理論を用いて利得と損失の双方の可能性があるギャンブルに際して、利得と損失のどちらに比重を置くかの検証が行われた。

分子イメージングとは、生体内で起こるさまざまな生命現象を外部から分子レベルで捉えて画像化する技術およびそれを開発する研究分野であり、生命の統合的理解を深める新しいライフサイエンス研究分野だ。体内の現象を、分子レベルで、しかも対象に大きな負担をかけることなく調べることができるのが特徴である。がん細胞のふるまいの調査だけではなく、アルツハイマー病や統合失調症、うつ病といった脳の病気、「こころの病」を解明し、治療法を確立するための手段として期待されている状況だ。

そしてノルアドレナリンは、中枢神経系に存在する神経伝達物質の1種として知られる。脳幹の青斑核から投射され、脳内に広く分布しているのが特徴だ。覚醒、集中、意欲、記憶などの働きがあり、ストレスを受けた時にも放出される。

健常男性19名を対象に次の実験が実施された。参加者には、実験に関する簡単な説明を受けた後、前述した50-50%のコイントスに参加するかしないかの判断が求められるというものだ。ただし、表が出た時に得られる金額と、裏が出た時に失う金額は必ずしも同額ではなく、さまざまな当選金額と損失金額の組み合わせのコイントスが次々と出てきて、それに対して参加するかしないかを決めていくのである。

その結果から、各個人が利益と損失の双方の可能性があるリスクのある判断をする時に、より損失に比重を置いて判断する傾向の強さを推定。推定は、損失に比重を置いて判断する損失忌避(慎重さ)の指標(変数)をモデル式に当てはめて行われた。

その結果、多くの被験者は、理論通り、同額の利益と損失の可能性がある場合、損失に比重を高く置き、ギャンブルには参加せず、平均的にはある損失金額に対して少なくともその約3-4倍の利益が見込まれないとギャンブルに参加しないことが示されたのである。また、利益の金額が少なくとも損失の何倍以上ならギャンブルに参加してもよいと思う金額(倍数)、つまり損失忌避(慎重さ)の程度には個人差があった。

次に、脳内の「ノルアドレナリントランスポーター(NAT)」の密度を検討できる「(S,S)-[18F]FMeNER-D2」という薬剤を用いた上でPET検査を実施。モデル解析により、脳内の視床におけるNATの密度の指標を定量した(画像1)。

なお、NATは神経終末などに存在し、神経終末から放出されたノルアドレナリンを放出された近傍ですばやく再取り込みして、その活性を終了させる役割を担う。そして(S,S)-[18F]FMeNER-D2は、NATに対して高い親和性と選択性を有する薬剤「レボキセチン」を放射性同位元素の「フッ素-18」で標識したものである。

画像1。脳内NATのPET画像。点線内の黄色い部分が視床

損失に比重を置いて判断する損失忌避(慎重さ)の程度を表す変数と、視床におけるNATの密度との関係を調べたところ、視床のNATの密度が低い人ほど、損失に比重を置いて判断する損失忌避の程度が強いということがわかった(画像2)。つまり、視床のNATの密度が低い人は予測される損失の金額よりはるかに高い利益が見込まれないと上記のコイントスに参加しない慎重な傾向があるというわけだ。

画像2。より損失に比重を置いて慎重に意思決定する損失忌避の程度と視床のNATとの関係。損失忌避の指標が大きいほどギャンブルへの参加に慎重な人で、10近い人は上記のギャンブルで1万円を失う可能性があれば、当選金額は10万円近くでないとそのギャンブルに参加しない人を意味する

研究グループでは、今回の成果は、今後、ギャンブル依存などの依存症に陥りやすい人など、さまざまな依存傾向の客観的な評価、治療効果判定およびその新たな治療戦略につながるものと期待されるとしている。

なお今後の研究では、ノルアドレナリン以外の神経伝達物質が人間らしい非合理な意思決定にどのように関わっているかを明らかにし、人間らしい意思決定の分子レベルのメカニズム解明、および精神・神経疾患の意思決定障害の理解を深めることを目指すとした。