10月29日、大阪南港ATCにおいて開催された「大阪ロボットフェスタ2011」をリポートしたい。これは、翌30日に行われた「第1回大阪マラソン」を盛り上げるために企画されたイベントの1つだ。二足歩行ロボットのマラソンチャレンジをメインイベントとして、ロボット工作教室や体験教室などを来場者が楽しんだ(画像1~6)。
マラソンは、フルマラソンの1/10の距離4219mを走る「フルチャレンジコース」と、1/110の422mを走るスタンダードコースの2種類(画像7・8)。フルチャレンジコースに5体、スタンダードコースは11体のロボットが出場した。参加しているのは、高校生から社会人までのホビーロボットビルダーだ。
画像7。フルチャレンジコースは、4219m。写真左側にもコースが広がっている。ここを40周回れば、完走だ |
画像8。スタンダードコースは422mで、だいたいU字型をしている。コースを10周してゴールする |
スタンダードコースは、ロボットは2グループに分けて予選を行い、各グループ上位3チームが、決勝レースに進めるルール。フルチャレンジコースは、6時間後の競技終了まで、ただただロボットが走り続けるという過酷な内容だ。
観客から見ると少々地味なのだが、それとは相反して、ロボットそのものへの負担はバトルとは比較にならないほど大きいし、オペレータの疲労も激しい。ピットの中はとても熱い競技だった。
というのも、ホビー用二足歩行ロボットはそもそもそれほど長い時間、動き続けることができないからだ。立っているだけでも電力を消費するのだから、何時間も動き続けるというのは、この上なくロボットにとって過酷なのである。バッテリーを交換すればいいと思うかも知れないが、それよりもサーボモータが熱を持ってしまって、いわゆる「熱ダレ」状態で最大出力が出なくなることの方が問題が大きい。また、コース図を見ればわかるように左折が多いから、どうしても外側となる右足のサーボに負担が大きいという左右のバランスの問題もある。何度も転んでいる内に、サーボかかるストレスが限界を超えてギアが壊れてしまうことだってあるのだ。
さらに、長距離を走り続けて疲れるのは、ロボットだけではない。そう、オペレータもロボットについて歩き続けなければならないのだ。ロボットのバッテリーが切れた、ギアが壊れた、サーボが熱を持った……、トラブルの度にピットへと走って整備となる(画像9~12)。明らかにロボット以上の負担がオペレータにかかっており、間違いなくオペレータにとって最も過酷なロボット競技といえそうだ。
過酷な予選を勝ちあがったのは、Aグループは1位がニキラ(ナッキィー&ニキラ)、2位がライダー(神戸市立科学技術高等学校)、3位が龍激(大阪府立藤井寺工科高等学校)。Bグループは、1位がRobovie-PC Lite(チームロボットセンター)、2位が試作2号(大阪工業大学ロボットプロジェクト)、3位がOCT太朗(大阪工業技術専門学校ロボット研究部)。この6体で午後から決勝が行われた(画像13・14)。
スタンダードコースで優勝したのは、「Robovie-PC Lite」だ。記録は24分29秒とダントツの速さだった(画像15・16)。続いて、37分26秒で「試作2号」がゴールした(画像17)。この2チームは今年2月に行われた世界初のロボットフルマラソン42.195kmを経験しているので、順当なところだろう。
3位入賞を狙うのは、OCT太朗とライダーだった。この2体の争いが最も白熱したのである。決勝レースも後半に入ると、冷却スプレーも使い切ってしまい、ピットでサーボを冷やすこともできない状況で、両チームとも、走るロボットに下敷きで風を送りながらデッドヒートを展開した。
9周目に入ったOCT太朗は、ライダーに半周以上の差をつけているのを見て、最後のバッテリー交換のためピットイン(画像18)。ここまで来て、モータが焼けてしまってはもともこもないので、充電すると同時に、モータを少しでも休めたかったという。
その間もライダーは走り続け、差を2m近くまで縮めていた(画像19)。決勝レースは一気に緊張感に満ちた。逃げ切ろうと懸命に走るOCT太朗と、必死で追いかけるライダー。しかし差はジリジリと広がり、OCT太朗が58分46秒でゴールした(画像20)。
一方の「フルチャレンジコース」は、開始から5体のロボットが地道に走り続けていた(画像21~23)。YOGOROZA(掴み隊)がスタートダッシュを決め、そのまま差を広げるかと思われたが、思わぬ落とし穴が待っていたのである。トラブルを抱え、2時間が経過した時点でYOGOROZAはわずか5周。それに対し、「大阪ロボフェス2011号(財団法人大阪労働協会 ロボットチーム)」は3倍近い周回数の14周で1位を独走する展開となった。
実はYOGOROZAは、スタートダッシュで一気に飛び出したものの、2周目で早々にピットインしてしまい、そこで1時間を費やすことになってしまったのだ。YOGOROZAは、サーボが発熱した時に焼けないようにリミッターを働かせる機能を搭載した新サーボをこの競技用に換装していた。しかし、初めての使用のために設定方法を把握しておらず、それが災いしてしまう。あまりにもシビアな設定になってしまっていて、ちょっとの発熱でもリミッターが働いてしまったという状況だったのだ(画像24)。
レースに復帰し、調整しながら走行しロボットが安定した時、既に大阪ロボフェス2011号は16周目に突入していた。しかし、ここからYOGOROZAの怒涛の追い上げが始まる。頭上に搭載した電圧計で、バッテリー残量を把握して最適なタイミングでピットイン。適宜、ロボットを休ませながら確実に周回遅れを取り返していった。
レース開始5時間後には、なんと5周遅れにまで差を詰めるという、もしかしたらがあり得る差に。サポート隊が周回タイムを計測し、40分後にはトップの大阪ロボフェス2011号に追いつくと予想が立てられた。
しかし、ハイペースであった分、疲労はロボットに確実に蓄積されていた。5時間49分。大阪ロボフェス2011号に対して2周差まで詰め寄った瞬間、YOGOROZAが派手に転んでしまう。急遽ピットインして、足回りのサーボを確認したところ、熱で半焼けになっていることが判明。残り時間は少なく、サーボを換装する時間はない。保持力が弱くなったサーボを、初期位置を調整し無理を承知で歩かせる決断に。そのため、YOGOROZAは片足を引きずって歩くことになり、それまでの勢いはなかった。
満身創痍はYOGOROZAだけではない。大阪工業大学ロボットプロジェクトのロボ太郎も、「練習では1kmを1時間10分で走っていた」というのに、レースでは調子を出せずに苦労していた。コースがカーペットの上に、薄いプラ板を張っているため微妙な凹凸があって、転びやすくてスピードが出せないからだという。「絶対、完走できるはずだったのに」と悔しそうだった。
制限時間の6時間が終了。1位は大阪ロボフェス2011号の35周。残念ながら4219mの完走は叶わなかった。
財団法人大阪労働協会 ロボットチームは、今回の勝因を「基本に戻り、ロボットの性能を出し切る努力をしたこと」と語った。2月のロボットフルマラソンでは、少しでも速く走ろうとロボットを調整した結果、サーボに負担がかかりすぎ、トラブルが続出した。その経験を活かし、速くではなく確実に長時間歩き続けるように方向転換したそうだ。市販の二足歩行ロボットキット「Robovie-X」の足回りをハイトルクサーボにし、歩行はサンプルモーションを使用。この日のためにしっかりと機体を調整してきたそうだ。
3位に入賞した「走 -HASIRU-」のオペレータ岩気氏は、「個人で参加したため、長丁場のレースが厳しかった。終盤は、ロボット仲間がサポートに入ってくれ、ロボットに風を送って応援してくれたのが嬉しかった」と長いレースを振り返った。
画像25。基本に忠実に走り続けた「大阪ロボフェス2011号」(後方)が優勝。最小軸数ロボットの「ノッポさん(産業技術短期大学)」も6周と大健闘した |
画像26。3位に入賞した「走 -HASIRU-」は、外装がカッコよかった |
取材前は、長時間ロボットがただただ走り回るのを見て、何が面白いのだろう? という思いもあったが、予想外にエキサイティングな場面を見られた。考えてみれば、マラソンもただ人が走っているのを見ているだけだ。ゴールを目指して、必死に頑張る人たちは、自然と見る人に感動を与えてくれるのだろう。12月には、ロボットが再びフルマラソン42.195kmに挑戦するという。今度は、どんなドラマが生まれるのだろうか。