東京大学は10月18日、性フェロモンに対する好みを変更する遺伝子をカイコで発見したことを発表した。東京大学大学院農学生命科学研究科(昆虫遺伝研究室と応用昆虫学研究室)、東京大学先端科学技術研究センター、東京農工大学農学研究院、大日本蚕糸会蚕業技術研究所の共同研究によるもので、成果は「米国科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America)」に掲載された。

昆虫の成虫は、異性が放出する匂い物質「性フェロモン」を感知し、発信源へ接近し配偶行動を開始する。カイコはフェロモン研究のモデル生物として最も古い研究の歴史があり、今回の研究でもカイコで研究が行われた。

研究グループは、遺伝子「Bmacj6」に異常を持つカイコ蛾のオスが、性フェロモン「ボンビコール」(bombykol)に対する応答性が著しく低下するだけでなく、正常なオスがまったく興味を示さない「ボンビカール」(bombykal)に対して交尾行動を示すことを発見した(画像1)。

画像1。ボンビカールに応答するBmacj6変異体(白いカイコ)。ボンビカール(画像・左)とボンビコール(画像・右)が入ったビンのフタをゆるめ、Bmacj6変異体(白いカイコ)と正常なBmacj6を持つカイコ(黒いカイコ)を周辺に放すと、黒いカイコはボンビコールに誘引されたのに対して、白いカイコは、ボンビカールに誘引された

分子生物学的な解析を行ったところ、Bmacj6変異体では、嗅覚器官である触覚において、ボンビコールを受容するのに必須であるタンパク質「ボンビコール受容体」の遺伝子の発現量に異常があることが判明。正常なカイコの約1000分の1にまで低下しているために、ボンビコールに対する応答性が著しく低下していたのである。

一方、正常なオスの成虫において、ボンビコール受容体を発現する嗅覚神経とボンビカール受容体を発現する嗅覚神経は、それぞれ脳の「トロイド」と「キュムラス」という異なる領域に連絡している。神経学的な解析の結果、Bmacj6変異体では、ボンビカール受容体を発現する嗅覚神経が誤ってトロイド領域につながっていることが判明した。要は、Bmacj6変異体では、神経の配線の異常によって、ボンビカールがボンビコール同様に交尾行動を誘起してしまうのである(画像2)。

画像2。Bmacj6変異体がボンビカールに応答するメカニズム。ボンビコール受容体(Or1)を発現する嗅神経細胞とボンビカール受容体(Or3)を発現する嗅神経細胞は、触角に存在する感覚毛において、対になって存在している。Bmacj6変異体の場合、(1)Or1の発現量が正常なカイコの約1/1000に激減しているためにボンビコールに対する応答性が著しく低下すること、(2)ボンビカール応答嗅神経細胞が、本来のキュムラスではなく、トロイドに投射しているために、ボンビカールによって交尾行動が誘起されてしまう

Bmacj6は、主に神経系で発現する転写因子(当該遺伝子の転写活性を制御するタンパク質)だ。今回の研究により、Bmacj6がボンビコール受容体の発現を支配しているだけでなく、嗅覚神経細胞を脳に正しく投射する役割を演じていることも明確となった。

なお、スズメガの仲間など、カイコの近縁種には、ボンビカールを性フェロモンとして利用する種もいる。今回発見された現象は、1遺伝子の突然変異が原因で祖先的な嗅覚が蘇ってしまう、先祖返り現象と考えられるという。

昆虫は数百万もの種が存在するため、実際に野外では多くの種が同時に異性を探索していることになる。その中で昆虫は同種を認識するために種ごとに異なるフェロモンを用いており、昆虫の進化の過程ではフェロモンを認識する機構も進化してきたと推察された。よって、今回の発見で転写因子の進化が嗅覚システムの変更を通して昆虫の種分化を実現してきた可能性も示唆されたというわけである。