『SR サイタマノラッパー』
入江悠著 太田出版刊

ボンクラどもの痛い青春を、オフビートな笑いを混じえながら、淡々と描いた青春映画『SR サイタマノラッパー』。衝撃のラストシーンでは、不意打ちのような感動を与え、インディーズムービーにしては、異例のロングランとなった。この映画の素晴らしさは、あちこちで喧伝されているので、いまさら賛辞を重ねる必要はないだろう。以前、マイコミジャーナルでも、監督の入江悠と口ロロ(クチロロ)のいとうせいこうに対談してもらった

ひとつだけ指摘しておくと、『SR サイタマノラッパー』のひりひりするようなリアリティは、キャメラワークに担保されているように思う。現場の事情は知らないが、低予算、ハードスケジュールだったらしいから、さまざまな面で「省略」を強いられる状況が、結果として、みずみずしい緊張感を与えたのかもしれない(ちなみに、日本映画というよりも、ある種のアメリカ映画を連想した。たとえば、ジョン・カサヴェテス監督『グロリア』や、ロバート・アルドリッチ監督の『カリフォルニア・ドールス』……)。

現在、公開中の続編『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』は、主人公の面々が、ぼんくら男子からぼんくら女子に変わり、舞台も埼玉から群馬へ移行。物語の大枠は前作と同じだが、作劇術が洗練されていることに驚かされる。前作を覆っていた切迫感は、フィクションの中に無理なく溶けこみ、その分、ウェルメイドな出来栄えとなった(キャメラワークも、ほんの少し、饒舌になっている)。

『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』
監督・脚本:入江悠 配給:T・ジョイ 全国順次公開中
公式Webサイト:http://sr-movie.com/
(C)2010「SR2」CREW

終盤、シリーズ三作目の予定が告知されるが、SRシリーズは、この先、『男はつらいよ』や『トラック野郎』のように全国縦断の旅に出るのかもしれない。まさか「よくできた人情喜劇」の系譜が、こうしたかたちで復活するとは!  誰も見向きもしないようなネタをサンプリングし、センスよく響かせることがヒップホップの本質だったとするなら、入江監督のアプローチも、きわめてヒップホップ的な試みと言えるだろう(ブレイクビーツとしてのフーテンの寅とか?)。

続編の公開と同時に、前作『SR サイタマノラッパー』は、監督自身の手で小説化された。先に、映画版のキャメラワークについて触れたが、小説の場合、キャメラワークに相当するのは「語り口」だ。同一の脚本を、片や「映画」として、片や「小説」として構造化すること。入江は、映画において、徹底して情景を「描写」しているが、それが可能となったのは、ラップというスタイルを採用したことが大きい。というのも、ラップそのものが、登場人物たちの内面を伝えるための道具として機能しているからだ。情景描写に徹しているからこそ、『SR』も『SR2』も、終盤のフリースタイルが効果を発揮するのだ。

小説の場合はどうか。入江は「一人称」を採用し、「内的告白」を展開している。もしも、こうしたことを映画で行ったとしたら、モノローグ過多、ナレーション過多の、うんざりするような仕上がりになってしまうだろう(「説明」ではなく「描写」を!)。だが、小説の場合、それは読者を感情移入させるための武器となる。入江は、映画と小説という異なるメディアの特性をそれぞれ理解し、きっちり使い分けている。

では、内的告白によって、『SR サイタマノラッパー』は、どう変化したか。当然、映画では描くことができなかった、登場人物たちの「内面」に踏み込むことになる。ここでは、彼らの背景がきちんと描かれ、「北関東のヤンキー的リアリティ」が浮き彫りになっている。その分、共感する/しないは別として、彼らの痛さ、言い換えると、青春の痛みが、ダイレクトに伝わってくるだろう(北関東のアラン・シリトーと呼びたい)。付け加えておくと、若杉公徳のイラストレーションや、監督自身が撮影した深谷市の風景を盛り込んだブックデザインも秀逸。

『SR サイタマノラッパー』

太田出版
発売中
著者:入江悠
判型:B6変型/288ページ
価格:1198円+税
ISBN:9784778312152