--著作権といえば、Google Books Search(以下、Google Books)についての見解をお聞かせください。Googleは欧州委員会に対し、Google Booksのようなサービスが必要と訴えています。

この問題は、著作権所有者がわからなくなった孤児作品とオンラインライセンスをどうするかで、我々は「オンラインで閲覧可能にすべき」と主張しています。絶対に避けるべきは、音楽業界で進行中の惨事(著作権が経済と文化の両方を停滞させてしまっている)を、書籍では繰り返さないということ。

--Googleが米司法に提出している修正和解案をどう見ていますか?

確かに理想的な状況ではありません。経済的メリットのみが考慮され、コンテンツ提供に対する需要や人々の権利などが考慮されない、商業的な取り決めになってしまったことは残念に感じます。公共の利益を鑑みた解決策を目指して、もっと細部まで議論検討すべきだったと思います。

興味深いことは、Googleのおかげで議論がはじまったという点です。Google Booksがなければこの議論ははじまらなかったことでしょう。インターネットは新しい技術ではなく、この議論はもっと早くにスタートすべきものでした。遅かれ早かれ、今後どうするのかを決定する必要があったのです。

危険な部分は、米国で出版されたものに米国市民がアクセスできるようになるが、米国以外の市民はアクセスできないというリスクです。学生や学者らは、米国に行ったほうが古い出版物に容易にアクセスできるということになります -- たとえば、フランスの学生よりも米国の学生のほうがフランスの古い本を容易に閲覧できるということ。これは、文化や研究において非常に危険であり、研究目的で米国に行く学生が増えることは我々にとって脅威となります。

--EUは自分たちのデジタル博物館プロジェクト「Europeana」を推進しています。

Europeanaは欧州の機関には良いが、商業サービスではありません。書籍デジタル化には公共サービスと商業サービスの両方が必要だと考えます。学術コンテンツへのニーズは高いと思いますが、Googleはここ(学術コンテンツ)はしないのではないでしょうか。

Googleは、コンテンツ提供で大きなリードをとることになるでしょう。現実的にこの規模の投資ができる企業や機関がほかにないからです。理想は競争があることです。Amazonなど競合するサービスを提供する可能性がありそうですが……。

--Google Booksに関連して、著作権法の改正を求めていますね。

我々は、著作権所有者がわからない孤児作品などには例外を設けるべき、という点を主張しています。ですが、注意すべき点があります。著作権はあらゆるものに発生しますが、たとえば書籍とブログをひとまとめにはできないでしょう。それでも、少なくとも学術的な利用と商業利用の2つに分けることができると思います。

長さに関しても、再度考え直すことができると思います。そもそも著作権の目的は何かというと、アングロサクソン的な考え方では、文化作品の商業プロダクションの奨励です。その後で収益を得られるので、時間を費やして執筆したりレコーディングする価値がある、という考え方です。

となると、著作権の保護期間が不必要に長いと(作者らは)それ以上の文化作品を生まない理由になります。たくさんの著作権を持つレコード会社の場合、著作権だけで大きな収益を得られるので、新しいアーティストに投資しなくなります。

デジタル時代では、収益のサイクルは短くなると予想されます。市場にリーチする時間が短縮され、ライフサイクルが短い - そうなると、著作権がもたらす経済的インセンティブの期間も短くなってよいのではないでしょうか。本や絵は時間が経過して人気が出ることもありますが、それでも作者が死んだ後に経済的なインセンティブが必要でしょうか? ここは議論の余地がありそうです。個人的意見ですが、音楽は20年あたりが適切だと思います。

--デジタル時代の将来をどう見ていますか?

明るい点としては、民主化です。これまで直接やりとりできなかった人が出会い、発言できるようになった。これは、すべてに影響を与える大きな変化です。政治でも同じです。政府はもはや、国民の意見に耳を貸さないわけにはいかなくなりました。

マイナス面としては、技術の可能性や結果、インパクトが正確に把握されていないという部分です。データが蓄積された結果として起こるプライバシーの懸念などです。

個人的意見ですが、政治家は情報とは分類するもの、知的所有権は経済的強みをもたらすもの、と見ているようです。ですが、情報とは中核そのものなのです。(情報の)バリューは、(情報の)利用により引き出されます。重要なことは、市民が情報を利用することなのです。

プラスとマイナスの両方がありますが、望みがないという状態ではないと思います。文化の大規模な民主化により、パブリックによる問題の認識や理解が強くなっています。ここに、大きな望みを感じます。