インフラツーリズムとは、公共施設である巨大構造物のダイナミックな景観を楽しんだり、通常では入れない建物の内部や工場、工事風景などを見学したりして、非日常を味わう小さな旅の一種である。
いつもの散歩からちょっと足を伸ばすだけで、誰もが楽しめるインフラツーリズムを実地体験し、その素晴らしさを共有する本コラム。今回は東京の奥座敷、奥多摩地区の新・旧トンネル群を訪れてみた。
日本各地で40度を超える“災害級の猛暑”が続出し、都心のアスファルトはとろけそうになっていた2025年8月上旬の某日。
少しでも涼を求めて、東京都の西端・奥多摩町へと向かった。目的は、山あいに点在するトンネルを見て歩くことである。
奥多摩には現役で活躍する近代的なトンネルと並び、旧道沿いに、ほぼ役割を終えた旧隧道(ずいどう、トンネル)が点在している。奥多摩トンネル群の歴史に迫るべく、白丸トンネル、数馬隧道、数馬の切通し、新氷川トンネル、氷川隧道、海沢(うなざわ)隧道を訪ね歩いた。
歴史の層が重なる道──白丸から数馬へ
青梅街道(国道411号)を西へ。青梅市街を抜けて奥多摩湖方面へと進んでいくと、やがて山の懐深くに潜り込んでいくような感覚にとらわれる。
景勝地・鳩ノ巣渓谷近くの鳩の巣トンネル、そして本コラムでも以前に訪ねたことがある白丸ダム至近の花折トンネルを抜けると、次に現れるのが今回の目的地のひとつ、白丸トンネルである。
1973年(昭和48年)に開通した白丸トンネルは、延長126メートルのやや短めでシンプルな構造のトンネル。片側1車線の車道脇にはガードレール付きの歩道もあり、近隣の山での登山や、渓谷での水遊びやキャンプを楽しむ人々が、徒歩で通過する様子も見られる。
銘板のある入り口はコンクリートの打ちっぱなし。内部も同様にシンプルなコンクリ壁に照明が点々と並ぶだけで、“昭和の素朴な道路トンネル”といった風情が漂う。
交通量の多い現在の白丸トンネルは、青梅街道が旧道から現道へと切り替わる際に建設されたバイパストンネル。両サイドの入り口直前には二股に分かれる道があり、脇道へと入っていけるようになっている。その脇道こそ、旧・青梅街道だ。
左手から聞こえる川の音や、そこで遊ぶ子どもたちの声に、多摩川の渓谷(白丸渓谷)の気配を感じながら、現在は車両通行止めで遊歩道となっているその道を進むと、すぐに現れるのが数馬隧道。
【動画】旧・青梅街道を進み、数馬隧道へ
数馬隧道は、1923年(大正12年)に岩山を穿って完成した、素掘りのトンネルである。全長11メートル、幅員4.8メートル、高さ3.5メートル。自然そのままの姿を見せる“洞門”とも呼ぶべきこのトンネルは、開通当初、「数馬の石門」と呼ばれていたという。
大正12年の日本といえば、都市部では近代的インフラが整備されていた時代。
しかしこの数馬隧道はといえば、まるで江戸時代か、あるいはそれ以前に造られたかのような粗削りな姿。当時の山間部での暮らしぶりが偲ばれる風景だ。コンクリートが一切使われていないこのトンネルを見ると、先ほど見た昭和感丸出しの白丸トンネルが、むしろ近代的に感じられるのが不思議。
【動画】数馬隧道から多摩川の渓谷を望む
トンネル以前に造られた、街道の難所の通り道
では、この数馬隧道が掘られる前、人々はどのようにしていたのか。その名残もまた、現地で見ることができる。
数馬隧道入り口のすぐ横にある道を使い、トンネルの上の山へと登っていくと、少し息が切れる頃に現れるのが、大きな岩の間に切り開かれた道である。
現在のJR青梅線・白丸駅周辺の“白丸”と、同・奥多摩駅周辺の“氷川”という二つの集落は、古くから青梅街道で結ばれていた。
しかし深い峡谷となっている多摩川沿いには道を開けなかったため、江戸時代の初めまでは山越えの難路が唯一のルートだったという。そこで1703年(元禄16年)から3年をかけて開鑿(かいさく)されたのが、この数馬の切通しである。
“切通し”とは、山や丘などを部分的に切り開き、人馬が通行できるようにした道のこと。数馬の切通しを造るためには、硬い岩山を崩さなければならず、岩盤の上で火を焚き、そこに水をかけて起こる膨張・収縮を利用し、ツルハシと石ノミで少しずつ切り開いていったという。
【動画】数馬の切通し
この切通しが完成したことで山越えの苦労は軽減され、白丸、氷川から小河内(現在の小河内ダム周辺)を越え、山梨側の小菅、さらに大菩薩峠を経て甲州側の塩山(現・甲州市)に至る青梅街道が、甲州街道の脇往還として本格的に利用されるようになった。
山の中に開かれた数馬の切通しは、人馬の通行には適していたが、大型の馬車などには適さなかったため、大正時代に掘られたのが数馬隧道である。その数馬隧道も、青梅街道の全線車道化が進められた昭和40年代には現役を退き、その役割は白丸トンネルに引き継がれた。
数馬の切通し〜数馬隧道〜白丸トンネル。
この三者は、奥多摩と青梅街道の歴史を見つめてきた証人のような存在であり、見学するならぜひセットで巡ることをおすすめしたい。
数馬の切通し周辺に見られる細い獣道のような道と、現在の白丸トンネルが通る国道411号。これらが、数百年を隔てた同じ青梅街道の“新旧の姿”なのだと思うと、なかなか感慨深いものがある。
トンネルと都市伝説──氷川の“境界”を巡る体験
かつては難所だった白丸から氷川までは、現在、青梅街道を車で走れば5分とかからない距離である。
数馬の切通しと、その周辺に残る昔の青梅街道の姿を目にしたあとだけに、この移動の容易さはありがたくも思えるが、同時に、かつての人々が生まれ育った土地の難題と向き合い、苦労を重ねながら暮らしていた往時を偲び、もしかしたら、そんな時代の人々のほうが、生きている実感をより強く持っていたのかもしれない、などと想像する。
現役の新氷川トンネルは片側1車線、延長605メートルで、1983年(昭和58年)に開通している。トンネル内はカーブしており、なかなか出口が見えないため、実際の距離以上に長く感じられるトンネルだ。
このトンネルを越え、西側の出口すぐ左手にある脇道を車で入っていく。現在、その奥には温泉施設が建てられており行き止まりとなっているため、車での通り抜けはできない(歩行者は通行可能)。
その道こそが青梅街道の旧道であり、途中には“旧氷川トンネル”とでも呼びたくなる氷川隧道が、ひっそりとたたずんでいる。1933(昭和8年)年に開通した氷川隧道は、延長46.5メートル。新トンネルと比べると、ずいぶんこぢんまりとした印象のトンネルである。
トンネル先にある温泉施設「もえぎの湯」への唯一のアクセス路となっているため、今も人や車の通行が絶えず、“現役感”が漂う旧トンネルだ。
入り口のたたずまいや、トンネル内の天井に設けられた照明の造形には、レトロな風情が感じられる。
車を停め、のんびりと歩きながらトンネルの雰囲気を味わったのち、車内に戻って「氷川隧道」と検索してみた。
基本的なスペックに続いて表示されたのは、女の幽霊や首なしライダーが出るという都市伝説の類だった。トンネル探訪を決めた時点で分かっていたが、古いトンネルと心霊の噂はつきものである。
普段なら気にも留めないのだが、ふと気になったのは、このトンネルにどこか“見覚えのある雰囲気”があったこと。
すぐに思い出した。
黒澤明監督の映画『夢』(1990年公開)に、「トンネル」というエピソードがある。戦地から戻った将校が、戦死した部下たちの幽霊と出会うという名場面。あのトンネルと、どこか雰囲気が似ているのだ。
実際の映画のロケ地は静岡県の金時山とのことで、この氷川隧道とは何の関係もない。それでも、トンネルという空間は、過去と現在、生と死、現実と幻想とを分かつ“境界”の象徴なのかもしれない──などと考えてしまい、少し背筋が寒くなった。
このあと、ネット情報によれば“最強の心霊スポット”とも称されるトンネルを、もう一本訪れねばならないというのに。
林道の先に現れる“時の止まった空間”海沢隧道
氷川隧道から新氷川トンネルに戻り、青梅街道を少し走ったのち、右手の細い脇道へと入る。車がすれ違うのも困難な林道を進むと、今回の最後の目的地である海沢(うなざわ)隧道が姿を現す。氷川隧道から10分もかからない距離だが、景色は一変し、山深い場所へ来た感覚がある。
観音橋という小さな橋の先、苔むした入り口は鬱蒼とした木々に囲まれ、第一印象はまるで魔界への入り口。
思わず車を停めてスマホで検索すると、「最恐の心霊スポット」「心霊写真100%撮れる」など、根拠のない噂が並んでいた。
もちろん、そんな話を真に受ける年齢でもないが、トンネル内は電気もなく真っ暗で気味悪く、歩いて進むのは躊躇した。霊がどうこうというより、抜けた先に異世界が広がっていて、豚に変身させられるような不安を覚えたりして。
幸いこのトンネルは車両通行可。低速で走りつつ、途中で停まって撮影も行った。他に人や車はまったくおらず、誰にも迷惑をかける心配はない。
1960年(昭和35年)竣工の海沢隧道は、延長約80メートル。出入口はレンガ巻き立て施工、中間部は素掘り構造という、近代的と古風の中間に位置するような造りだ。
トンネル内でヘッドライトを上向きにして観察すると、素掘り部分の凹凸がよく見えた。 このゴツゴツした壁が、心霊写真の噂の元になっているらしい。
確かに写真を撮ると人の顔のように見えることもあるかもしれないが、特に変わったものは写らなかった。
周囲は木々やコケ、シダ植物に覆われており、真夏の陽射しがあっても空気はひんやりとしている。近くにキャンプ場はあるものの、人の気配は少なく、虫の声と川の音、風に揺れる木々のざわめきが響くばかりだ。
人工物でありながら自然に呑み込まれたようなトンネルのたたずまいは、手垢の付いた表現だが“ジブリの世界”を思わせるものがあった。
“心霊スポット”として扱われることもある海沢隧道だが、実際に訪れてみると、むしろ静謐(せいひつ)で安らかな空間に感じられる。過去や現在から切り離されたような時間感覚、そして忘れられたインフラの持つ独特の「存在感」が心を揺さぶる。
山の中の古いトンネルをいくつか見て回っただけの一日だったが、思った以上にいろんなことを感じた静かでいい時間だった。古い道やトンネルには、理由もなく惹かれる何かがあるようだ。


















