インフラツーリズムとは、公共施設である巨大構造物のダイナミックな景観を楽しんだり、通常では入れない建物の内部や工場、工事風景などを見学したりして、非日常を味わう小さな旅の一種である。
いつもの散歩からちょっと足を伸ばすだけで、誰もが楽しめるインフラツーリズムを実地体験し、その素晴らしさを共有する本コラム。今回は伊豆諸島への玄関口、調布飛行場を訪れた。
東京に暮らす人であれば、多摩地区に小型機専用の空港があることを、なんとなく知ってはいるだろう。だが、実際に足を運んだことがあり、その実態を深く知っている人は多くないのではないだろうか。僕もよく知らなかった。
筆者はバリバリの三多摩原人。
おおよそ半世紀にわたって東京の西側で暮らし続け、調布飛行場は出身高校のすぐ近くだったりしたにもかかわらず、50代も半ばになるこの歳まで一度も訪れたことがなかった。理由は明快で、行く用事がなかったからだ。
調布飛行場は、太平洋に浮かぶ東京の島嶼部――伊豆諸島と東京本土を結ぶ、空の玄関口だ。大島や八丈島に旅行で行ったことはあるが、そのときはどちらも竹芝桟橋から船で向かった。都内の島に飛行機で行くという発想自体が、そもそも自分の中になかったのだ。
それでも“飛行場”という言葉には、なぜか心弾む響きがある。旅情をかきたてられるし、ただ空に舞い上がる飛行機を眺めているだけでも楽しい。滑走路、管制塔、誘導灯……そうした景色がそろうだけで、小さな非日常を味わえる気がする。
というわけで初めての調布飛行場訪問は、近所に出かけるだけなのに遠足のような気分だった。風薫る5月、天気は薄曇り。穏やかで、飛行機の見学にはうってつけの日だった。
東京都がつくった歴史ある空港
調布飛行場の歴史は古い。1939年(昭和14年)に東京府が公共用の「東京調布飛行場」として着工し、1941年(昭和16年)4月に完成。戦時中だったため同年8月から陸軍が全面使用した。
戦後は米軍に接収されたが、1954年(昭和29年)からはアメリカ側から日米合同使用が認められ、1973年(昭和48年)には全面返還された。
現在の滑走路は800メートル×30メートルの1本のみ。ジェット機は飛ばず、運用されているのおもに小型プロペラ機だ。
伊豆諸島へは、茨城県に本社を置く新中央航空株式会社が定期コミューター路線を運航。行き先は大島、新島、神津島、三宅島の4路線である。1日あたり10〜14便程度が飛び、年間の旅客数は約2万8,000人。島嶼部との連絡交通としての役割を確実に果たしている。
コンパクトな空港施設
調布飛行場の旅客ターミナルビルに到着してまず驚いたのは、空港施設のコンパクトさだった。チェックインカウンターも旅客ロビーも、まるで市役所の一角のような規模感である。
考えてみればそれも当然なのかもしれない。ここから飛び立つ飛行機の目的地は、原則、東京都内。飛行機とはいえ都内から都内へ移動する、言ってみれば“空の路線バス”のようなものなのだ。
2階には小さな展望デッキがある。そこから眺める滑走路では、離陸準備を終えた小型機が静かに移動し、やがて機体を震わせて走り出す。その速度が頂点に達した瞬間、ふわりと前輪が浮き、次いで後輪が地面を離れる。離陸の瞬間を見ると、たとえ小さな機体でもやはり心が躍った。
プロペラ機の音はジェット機よりもずっと静かで、空の上へすっと持ち上がっていくような軽やかさが伝わってきた。
【動画】セスナ機の離陸(音声が流れます。ご注意ください)
伊豆諸島に向けて飛び立つ小型プロペラ機
伊豆諸島への定期便で新中央航空が使用している機体は、ドイツ・ドルニエ社が開発した小型双発プロペラ旅客機「ドルニエ228」である。
客室には2人掛けの座席が4列、最大で乗客19名と乗員2名が搭乗可能だ。
展望デッキで眺めている間、こうした定期便とは別に、より小型のセスナ機と思しき機体が何度か離着陸していた。調布飛行場は滑走路が短く、誘導路も限られているため、離発着枠には制限がある。東京都が管理するこの公共用飛行場は、伊豆諸島便以外では、原則として官公庁や測量会社の業務用フライト、JAXAなどの研究目的フライトに利用されている。
ただ、すべてが業務用というわけではなく、プライベートパイロットによる自家用機の運用や、航空クラブ、個人の飛行訓練なども、一部で認められているという。目の前で飛び立っていく小型機は、どこへ、そして何のために飛んでいくのか。そんなことを想像してみるのも、この飛行場で過ごす時間の一つの楽しみ方かもしれない。
格納庫のカフェと空港隣接の公園
空腹を覚えたので、格納庫の一部を利用しているという「プロペラカフェ」へ向かった。お店のあるエリアは全面的に撮影禁止なので写真をお見せできないが、カフェの内装は明るく清潔感のある雰囲気で、飛行機の模型や航空関連の装飾が施されていた。
カフェスペースからガラス一枚隔てた格納庫エリアには、現役を退いたと思しき古い機体やヘリコプターの展示が。また、自家用機で飛び立った後のオーナーのものなのか、高級車が数台、壁際に並んでいた。
ハンバーガーを注文し、窓際の席で飛行機を眺めながらゆっくりと食べた。
食後は空港の敷地を取り巻く形で広がる武蔵野の森公園へ足を延ばす。この公園は、飛行場の外周に沿うように整備されており、金網越しに滑走路の様子を間近に見ることができる。
公園内の丘に登って周囲を見渡せば、飛行場に隣接するサッカーJリーグ・FC東京のホームスタジアム「味の素スタジアム」も見えた。
小型機が風を切って走り、浮き上がる様子や、空から帰ってきて滑走路に着陸する飛行機の様子を、ベンチに座りながら眺めた。飛行機との距離感が極めて近く、いつまで見ていても飽きない。望遠レンズを構える航空ファンの姿も散見された。
【動画】公園のフェンス越しにセスナ機の離陸を見る(音声が流れます。ご注意ください)
公園に保存された軍事空港時代の戦争遺構
公園内には旧日本陸軍が使用していた掩体壕(えんたいごう)が現存しており、保存・公開されている。
掩体壕とは、航空機や軍用車両などを敵の攻撃から守るために造られた覆い付きの防御施設のこと。
武蔵野の森公園に残る掩体壕は、戦時中、B-29による空襲に備えて造られたもので、当時は「飛燕」を中心とする陸軍飛行部隊の戦闘機を格納していた。コンクリート製の覆い構造が特徴だ。
1945年の本土空襲下、戦闘機「隼」や「疾風」などを製造していた中島飛行機(現在の国際基督教大学キャンパス)や、軍事空港である調布飛行場があるこの周辺エリアは、首都防衛の重要拠点とされていた。そうした歴史を今に伝える戦争遺構・掩体壕は、東京都により保存・公開されている。
日常の延長線上にありながら、どこか非日常の空気をまとった場所――調布飛行場は、そんな不思議な空間だった。
小型機が静かに離着陸を繰り返し、控えめな空港施設が淡々とその役割を果たす。そのすぐ脇には、戦時の記憶を伝える遺構がひっそりとたたずんでいる。都心からさほど遠くないこの地に、“空”と“記憶”と“現在”が、穏やかに交差していた。
【動画】セスナ機と思しき機体の着陸(音声が流れます。ご注意ください)