ソフトバンク 代表取締役社長 孫 正義氏

7月18日に突如として英ARMの買収を発表したソフトバンク。21日、22日には同社の法人向けイベント「SoftBank World 2016」も行われ、孫正義氏がARM買収の理由や、そこから導き出される未来像について1時間30分に渡って語った。

10年前から「恋してた」ARM

ARMはIPベンダーという「CPU設計のみを行う事業会社」であり、一般的に知られる存在ではない。そのため、発表翌日の19日にはソフトバンク株が売られ、一時10%を超える値下げ幅を記録した。この市場の反応に対して孫氏は「囲碁で言えば重要な戦略である”飛び石”を打った。今持っているものに足し算をするだけであれば、近い場所に手を打てば良いが、勝負をかける人でなければ『なぜそこに(飛び石を)打つのか』はわからない」と意に介さない。

孫氏が飛び石と表現する先を見据えたARMへの投資は、シンギュラリティ(技術的特異点)を見据えたものだ。1年前の同イベントでも持ち出したこの言葉は、2045年頃に人工知能(AI)が人間の知性を越えるという予測を表す。孫氏は、AIに加えて同社のPepperに代表される「パーソナルロボット」、そしてARMが下支えすることになる「IoT」という3つのキーワードが、このシンギュラリティを担うと語る。

ARMには「10年前から恋い焦がれてきた」(孫氏)そうだが、その真偽はともかく、IoTの鍵を握る会社であることには疑う余地はない。スマートフォンに搭載されているSoC(System on Chip)は、AppleのA9やQualcommのSnapdragon、SamsungのExynosなど、ARMアーキテクチャを採用したCPUが「97%のシェア」(孫氏)に達している。

同社には、これらスマートフォン向けアーキテクチャである「Cortex-A」、産業機器などのリアルタイム処理を必要とする「Cortex-R」、そしてIoTのエッジデバイスとなる小型省電力を必要とする「Cortex-M」という製品ラインナップが存在する。特に孫氏が強調した製品が最後のCortex-Mだ。

同アーキテクチャは省電力性を重視しているためエッジデバイスへの搭載に適しており、さらにIoT向けOSである「mbed OS」と組み合わせて運用することで大きな力を発揮する。IoTデバイスは一般的にシステム管理や通信などを直接書き込むケースも珍しくなく、LinuxなどのOSを組み合わせる場合にはOSを動作させるための消費電力がかさむことで搭載が困難になる例もある。

エッジデバイスの頭脳を担うチップセットと密接に連携できるmbed OSは開発者の負担を軽減できるだけでなく、デバイスの性能を最大限に引き出すことにも繋がる。もちろん、その先には2020年に世界で数十億台が動作するとも言われるIoTデバイスのすべてをARMが握るという青写真を孫氏は描いていることだろう。

わずか4年でさまざまな機器がネットに接続する時代が来るという予測も

mbed OSが接続性やセキュリティ、デバイス管理などを担う橋渡し役となる

一方で、米GoogleがAndroidをベースにIoT向けOS「Brillo」を、米Microsoftもワンプラットフォームでさまざまな機器に対応する戦略から「Windows 10 IoT」というOSの投入を表明している。バズワードとなっているIoTだけに、ここを逃すまいとしているプレイヤーは枚挙にいとまがない。

また、IoTと一口に言っても、そのカバー範囲は非常に広く、一般消費者に直接関係するヘルスケア・医療といった分野から、ドイツの産業界が提唱する「Industry 4.0」まで存在する。つまり、デバイスとデバイスがネットワークを介して直接繋がるだけでなく、その目的・用途に応じて必要とされるサービスやソフトウェアは、それぞれの分野で大きく異なる。

単純にOSを握っていてもWeb上のプラットフォームとの連携が上手く行かなければ価値を生まない。それこそ、Windows OSがPC市場で圧倒的ポジションを得ていたにも関わらず、WebサービスのGoogleなど、いわゆるOTT(Over The Top)にその趨勢を持って行かれたように、OSがキーとはならない可能性もあることだろう。

IoTはセキュリティが最重要に

ただ、孫氏が基調講演で盛んに強調していたように、ARMの強みはモバイル環境で一強状態となっているIPベンダーであることだ。スマートカー、コネクティッドカー時代の到来で自動車業界もARMアーキテクチャを採用したチップセットを組込み機器に利用するケースが増えており、サーバーへの進出もうかがっている。

また、mbed OSと合わせて強く重要性を説いていたポートフォリオが、デバイスのセキュリティを高める「TrustZone」だ。

「IoTで大事なものは、計算能力ではなくセキュリティ。IoTデバイスが1兆個存在する世界になった時、ハッキングによって全世界の自動車のブレーキを利かないようにする人物がいたら大惨事になる。これを防ぐ手立てがTrustZoneだ」(孫氏)

TrustZoneの概念図。セキュアなメモリ空間を作り、ハード的に通常動作するOSと切り分ける

Cortex-Aですでに標準機能となっているTrustZoneは「Trusted OS」と呼ばれる専用OSを通常OSとは異なるメモリ空間で動作させ、排他的に動作する。セキュア領域からは通常OSを認識することができるものの、通常OSからセキュア領域を参照することは出来ない。同様の考え方は、米MicrosoftもWindows 10より取り入れている。この機能を利用すれば、感染したマルウェアによるデータ改ざんなどをハードウェアレベルで防ぐことができる。当然ながらソフトウェアの作りこみが必要となるが、高いセキュリティ要件が求められる自動車産業などであれば、利用する価値は大いにあることだろう。

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