尖閣諸島の問題に端を発する日中関係のトピックスが連日のように報道される状況となっているが、少し視野を広げてみると、別の2国間にも火種が存在する。こちらは殺人事件まで発生しており、その意味においては日中関係よりも深刻な状況だ。今回は、インドとオーストラリアの間で起きていることについて紹介する。

インド抜きには語れないオーストラリアのシステム業界

2000年だったか、筆者はシドニー五輪の開催直前にオーストラリアのメルボルンを訪問した。インドに行く途中に立ち寄ったのだが、これはソフトウェア会社を経営するインド系オーストラリア人の招きだった。

筆者は当時、取引先であるインドのソフトウェア会社と共同でオーストラリアの銀行システムの受注を狙ったが、それはうまくいかなかった。しかし、その時に感じたのは、オーストラリアにおけるインド系企業の浸透度の高さである。

米国と同様に、オーストラリアには多数のインド人が移民している。距離が近い分、米国よりもオーストラリアに行くことを選ぶインド人も多い。オーストラリアの金融機関のシステム開発は、当時からインド系ソフトウェア会社の存在抜きでは成り立たなくなっていた。

街を歩いていてもインド系の人たちをよく見かける。商店の店員とか、労働者風情の人には特にインド系が多い。ほかに中国系の移民も多く、まるでシンガポールのようだ。

ソフトウェア会社を経営する彼も、若い時にオーストラリアに移民してきた。別の事業としてワインの輸出も行っている。

それから4年後、彼とは偶然日本で会った。新宿西口の「思いで横丁」を素通りしようとしていた時、いきなり後ろから「タッケダサ~ン」と呼び止められたのだ。彼が焼き鳥屋で飲んでいて、表の道を歩いていた筆者を見つけたとのことである。

彼の記憶力も凄いが、さすがインド人、視力も凄い。居酒屋奥の隅の席から窓越しに筆者を見つけたらしい。その時に彼と一緒に飲んでいた日本人がいた。聞いてみると、オーストラリア大使館の商務官である。その日は2人で山梨県の勝沼まで行って、樽詰めのオーストラリアワインの売り込みに成功したらしい。その祝杯だったそうだ。筆者はその時、勝沼ワインにもオーストラリアワインがブレンドされていることを初めて知った。

当時は知らなかったが、オーストラリアにはインドからの留学生も非常に多い。出自は失念したが、現在のオーストラリアへの留学生の総数は約40万人で、圧倒的にアジア系が多いという。特にリーマン・ショック以降は、最も回復が早かった中国とインドからの留学生が増えている。そのうち中国人留学生は約13万人、インド人留学生は約8万人で、この2ヵ国だけで半数を超す。しかしその傾向にも暗雲がたちこめだした。

「カレー狩り」で激減するインド人留学生の数

今月の14日、インドの「THE TIMES OF INDIA」紙は、メルボルン大学副学長Glyn Davis氏の発言として、2011年度のオーストラリア留学生は80%減少すると報じた。中には90%も減少する大学もあるとのことである。

オーストラリアへのインド人留学生が激減することを報じた「THE TIMES OF INDIA」の記事

原因ははっきりとしている。昨年の3月から6月にかけて、インド人留学生に対して100件以上の襲撃が行われた。「カレーパッシング」「カレー狩り」と称される、オーストラリアの若者による襲撃である。襲うだけではない。被害者たちのアパートから家財道具をすべて盗むという事件も起きている。

被害者の1人は、犯人から「インドへ帰れ」と脅かされたようである。若者の間では「レッツゴー・カレー・バッシング」というのが、インド人襲撃の合言葉になっているという。

メルボルンではインド人学生ら数千人が抗議の座り込みを行い、インド政府もオーストラリア政府に対し、犯人の処罰と共に学生たちの安全を確保するよう要請した。しかし犯人はほとんど捕まっていない。そして、公式にはオーストラリア政府も「人種差別」とは認めていない。

昨年の6月以降は少し沈静化したようだが、年末からまた発生している。12月29日には25歳のインド人が焼き殺された。今年になってすぐ、学生が仕事先に行く途中、近道をしようと公園を通り抜けようとした際に何者かに襲われ、刺殺された。

オーストラリアでは最近こんな事件ばかりである。留学生の数が激減するのも当然であろう。

もちろん襲われているのはインド人だけではない。一部には中国人留学生も襲われたと聞く。留学生の数自体は中国人の方が多い。しかし社会全体で見れば、インド人の進出度合いの方が圧倒的に高い。オーストラリアもこの不況である。当然、その不満の捌け口は「目立つ存在」のインド人に向かうのだろう。

まだまだ続く人種差別

問題は若者による「カレー狩り」だけではない。14日に閉幕した英連邦競技会(コモンウェルスゲーム)開催中にも起きている。

レスリングでインド選手に敗れたオーストラリア選手は、試合後の握手を拒否し、役員に指を立て観客の怒りを買うと同時に銀メダルを剥奪された。オーストラリアの警官同士の人種差別メールがテレビで報道され、インド政府が抗議した。隣国ニュージーランドでも、テレビのアナウンサーが人種差別発言をして辞職に追い込まれた。こんな事件が頻発し始めた。

たしかオーストラリアは、「白豪主義」から「多文化主義」になったはずである。しかし、社会そのものは昔の「白豪主義」に戻ろうとしているのか。留学生の減少ですめばよいが、国家間の対立にまで発展すると大変である。現在のところはインド政府も理性的な「抗議」にとどめているが、この先は心配である。

東アジアのどこかの2ヵ国も、こちらは政府間の対立が国民レベルの対立にまで拡大しようとしている。「反○デモ」の応酬である。こちらも不毛である。

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「[(続)インド・中国IT見聞録]」も掲載中。