エキソニモの新連載は、HTMLのソースとそのレンダリング後の画面をセットで展開するという珍しいアート作品だ。レンダリング後の画面だけを見るとグラフィックデザインのようだが、HTMLソースのほうを見るとインタビュー記事が埋め込まれており、レンダリング後の画面でゲスト自体を、HTMLソースのほうでゲストとエキソニモの関係やバックグラウンドなどを知る事ができるという仕掛けになっている。

今回も例によって例のごとく、Web Designingの次号発売日が近づいた頃に、初校のPDFを編集部より頂いた。ただし、誌面のPDFファイルをもらう際に「今回はActionScriptなんですけど、大丈夫ですかね?」と一言注釈がついていたので「え?」と思い、PDFを開いた。

そこには、ノイジーなエフェクトがかけられた「ラ」、「イ」、「フ」、「ゲ」、「ー」、「ム」の文字と、「is」の文字。エキソニモの署名と、psyarkという単語が並んでいた。今回は前回と違い、モノトーンベースでまとめられているため、ストイックな印象を受ける。おそらく、このストイックさが今回のゲストである吉川佳一氏の性質を表現しているのだと感じた。

psyarkというのは、吉川氏のハンドルネームのようなものである。twitterでもpsyarkと名乗っている。(ちなみにpsyarkがちょうど6文字であるせいもあって、今回のHTMLでの色指定は#psyarkとなっている)この読み方をもじって今回のエキソニモのコラムは「最悪だ」で始まっている。まるで、海外のロックアーティストのライナーノーツのような始まり方だ。なかなかゲストを交えたインタビューで「最悪だ」で始まることは普通はないだろう。

吉川佳一 2004年より Webプログラマーとして活動を開始、Flash/ActionScriptを中心に制作を行っている。2008年10月よりBOWを結成。主にWeb上で活動
することが多いが、時折“パフォーマーがデスクトップ上のネタでパフォーマンスするイベント”「DeskTopLive」を主催している。
http://twitter.com/psyark http://b-o-w.jp/

今回のエキソニモの作品は、ゲストの作品の中に、エキソニモのインタビューの続きを埋め込むという多重構造の作品となっている。「ラ」、「イ」、「フ」、「ゲ」、「ー」、「ム」の文字は、吉川氏の作品で、これはインターネット上で公開されているものをエキソニモの作品内に埋め込んだものである。6つの文字それぞれが別の作品として公開されており、ソースも公開されている。wonderflというオンラインでFlashコンテンツを作成可能なサービスがあるのだが、このサービスを使って公開されているのだ。これら6つの文字を使った作品もコードで書かれており、エキソニモのコラム部分は必ずソースに埋め込まれるという習性があるため、案の定wonderfl内のソースにもインタビューの続きが存在しているのである。

実際に今回の作品から個別の作品ページに飛んでみると、インタビューの続きを見る事が出来る。例えば「ラ」の文字の作品ページに移動したければ、「ラ by ViewSource」という箇所の「ラ」をクリックすることで移動が可能だ。移動すると、「ラ」の作品の左に「ラ」を生成しているソースが書かれている。もちろんこれはHTMLではない。ActionScriptというFlash上で動く言語だ。つまりプログラミング言語なわけだが、そこの冒頭にインタビューの続きがあるのがわかる。「ラ」という文字にちなんで「"ラ"で思いつくことはなんですか」と書かれている。なんというふざけた質問だろうか。「"ラ"ということで今回の作品はランダムにいろいろな現象が起きているように見えますがどういう仕組みなのでしょうか?」みたいなちゃんとした(?)質問をしないところがさすがである。他の文字も面白い質問がいろいろあるので、是非見てみてほしい。

ところで、今回のエキソニモの作品は、オンラインで見るのと印刷された状態で見るのと若干違うポイントがある。オンライン版では、「ラ」、「イ」、「フ」、「ゲ」、「ー」、「ム」のそれぞれの文字に再生ボタンのようなものがついているのだ。クリックできそうなので、とりあえず押してみよう。

すると、はじめはまともな形をしている文字が、だんだん崩れていくような表示になっていくのがわかる。つまり今回の誌面に掲載されているものは、この崩れていく過程の状態をキャプチャーしたものだったのだ。

さて、ぼーっと眺めていると「ラ」だった文字が分解されてなんだかよくわからないつぶつぶになってしまうのが確認できると思う。ちょうど動物の死骸が分解されていく様子を早回しで撮影したドキュメンタリーのようである。コンピューター上とはいえ、実に有機的な印象を受ける。

なんだか、不思議な生き物のような印象を受けるこの作品だが、実はれっきとした計算によって成り立っている。つまり何度やっても同様の結果になるわけである。

皆さんは「ライフゲーム」という単語を聞いた事があるだろうか? ライフゲームというのは某人生ゲームのようなものではなくもっと学術的なもので、「生命の誕生、進化、淘汰などのプロセスを簡易的なモデルで再現したもの」である。ものすごい単純なルールで構成されており、生命は一つ一つのドットで表され、隣接した場所にドットがあるかないかといった程度の判定基準で、そのまま存在することが出来るか、消滅してしまうかが決まるというシンプルなものだ。今回の作品では、初期状態の文字を赤青緑の3原色に分解して、それぞれの色でライフゲームが展開していくことで、このような複雑なエフェクトを実現している。

ライフゲームは、一見、画像を分解しているだけのように見えるが、実に奥深い世界が存在しており、よく一部を見ていくと、様々な共通のパターン(いくつかのドットの集合体)があり、あるパターンのドットの集合体は、時間が経っても変化せず、生き続ける事ができたり、またあるパターンでは、自己複製を繰り返しながら四方八方に散らばっていったりする。

極めつけは「ゲ」の作品で見る事ができるグライダーと呼ばれるタイプのパターンだ。グライダーというのは、自身は存在し続けることができる安定したパターンでありながら、移動可能なパターンを無限に複製することができるパターンのこと。「ゲ」の作品を再生してみると、四隅から中心に向かって数ドットのパターンが放射されていくのを確認できる。

話は逸れるが、ライフゲームは、万能チューリングマシンというものであるそうで、要するに計算機で実行可能な全てのアルゴリズムを作ることができるらしい。つまりライフゲームは、生き物のシミュレーションであると同時にコンピュータでもあるのだ。そんな何でもパターンを展開できそうなライフゲーム上において、最初からそのように配置しない限り、他のいかなる配置からも到達できない配置というのが存在する。このパターンを「エデンの園配置」と呼ぶそうで、パターン自体なんだか楽園のような印象もあり、ライフゲーム中に絶対に触れる事ができない聖域というのが妙に萌える。

きっと人間社会もそれぞれが自由に動いているようでいて、なんらかのアルゴリズムによって確定的な動きをしており、そのルール上では絶対に到達出来ない状態「エデンの園配置」が存在するのではあるまいか、そんな気分にさせられた。またそんな人間社会の動きを俯瞰的な視点で眺めた上で「ライフ(生命、生活、人生)はゲームだ」と表現しているのだとしたら、さすがである。