昨年、コロナ禍で多くの業界が大打撃を受けた。ホテル業界もその1つだ。本来、インバウンドで盛り上がるはずだった2020年は一転、観光需要が激減し、どの宿泊施設も苦境に立たされた。

そんななか、デジタルを活用し、新たなビジネス価値提供に活路を見出したのが星野リゾートだ。同社はいかにして変化にいち早く対応していったのか。6月22日、「ガートナー アプリケーション・イノベーション & ビジネス・ソリューション サミット」に星野リゾート 情報システムグループ グループディレクターの久本英司氏が登壇。同社が挑んだデジタル変革について語った。

コロナ禍に打ち出した基本方針

1914年に創業した星野リゾートは、全国に42のリゾート施設や温泉旅館、ホテルなどを構える総合リゾート運営会社だ。それだけの規模を持ちながら、数年前まで同社の情報システム部門はわずか4名と、パートナーメインの体制だったという。

このままではDXの実現には遠い――そう考えた同社は、現場からの異動や中途キャリア採用を積極的に実施。現在の情報システム部門は、総勢30名以上のチームとなっている。

同社にとって、2020年は飛躍の年になるはずだったと久本氏は振り返る。過去最大数の新規開業や宿泊予約基盤のシステム構築など、新規プロジェクトが多数計画されていた。

久本英司氏

星野リゾート 情報システムグループ グループディレクターの久本英司氏

そんななかで起きたのが新型コロナウイルス感染症の拡大だ。2020年4月の緊急事態宣言でホテル業界には一気に緊張が走った。インバウンドゲストは99%減となり、星野リゾートが運営する各施設の売上も9割減まで追い込まれた。

創業以来、最大の危機を迎え、星野リゾートの代表である星野佳路氏の動きは迅速だった。「現金をつかみ、離さない」「復活に備えて雇用を維持する」「CS/ブランド戦略の優先順位を下げる」という基本方針を打ち出し、ワクチンが開発されコロナ禍が収束するまでの方向性を明確にした。

IT部門も重要な役割を担った。新決済システムへの対応やギフト券のふるさと納税対応などを進め、3大方針の1つである「現金をつかみ、離さない」を推進。さらに、情報処理費用の見直しをおこない、年間に数千万円以上のコスト削減も実現したのである。

なかでもIT部門がその力を発揮したのが緊急対応案件への取り組みだ。

迅速な対応を可能にしたのは「フラットな組織文化」

まず、大浴場の混雑可視化プロジェクトである。IoTデバイスで大浴場の混雑度をキャッチし、”密”を避ける判断を支援する仕組みを急ピッチで開発した。センサーを用いて混雑を可視化するソリューションはすでに市場に存在していたが、”三密”回避を目的にしたものではなかったため、同社はデバイスパートナーと協力してオリジナルでシステムを開発したという。

オールリモート環境での開発は難度が高かったというが、予定通り開発開始から6週間で稼働までこぎつけた。

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また、GoToキャンペーンでもIT部門が腕をふるった。過去同様の施策の場合は旅行代理店に限られており、自社チャネルに適用できるかどうかは不明だったが、思い切って見切り発車で着手。開発期間がわずか14日間しかないなか、無事に実装に成功した。

これだけ迅速かつ柔軟な対応が短期間で行えた背景には、星野リゾートのフラットな組織文化があると久本氏は言う。

「フラットな組織文化とは、立場に関係なく言いたいことを言い合って、一度戦略が決まればまとまって協力できる組織文化です。この組織文化があったからこそ、星野リゾートでは行動指針に合わせてそれぞれの現場で自律的にアイデアを生み出し、徹底して実行することが可能だったのです」(久本氏)

同社が危機に対応できたもう1つの要因は、”変化を前提としたITケイパビリティの備え”が間に合ったことだ。例えば、経営陣のITへの理解や迅速な経営判断プロセス、そして変化に強いプラットフォームを採用したこと。そうした取り組みの一つ一つが、コロナ禍での迅速な対応力につながったのである。

もっとも、「試されたのは”迅速な対応力だけ”だったからこそ乗り切れたとも言えます」と久本氏は言う。

「リゾートや温泉旅館は、求められる価値提供の大転換までには至りませんでした。しかし、同じホテル業界でも、例えばビジネスホテルの出張ニーズは完全にオンラインビデオ会議に取って代わられました。もし抜本的な大変化が起きていたら、私たちも乗り切ることは難しかったでしょう」(久本氏)

事業会社のIT戦略で重要な「2つの視点」

こうした経験を経て、久本氏は「事業会社にとってのIT戦略」に重要な視点を2つ挙げる。

まず、「変化を前提としたITケイパビリティ」だ。長らくITは”安心安全”にフォーカスすれば良かったが、これからは安心安全に加えて顧客ニーズや社会の変化を考慮する必要がある。

例えば、ノーコードツールの採用によりアジリティを高めたり、アプリケーションの相対的な劣化を防ぐために改善活動の予算も運用サイクルに組み込んだりしなければならないのだ。

もう1つの重要な視点が「アプリケーション基盤のデザインアプローチ」だ。星野リゾートでは、ITケイパビリティの確保と併行して、アプリケーション基盤のデザインを数年かけて試行錯誤してきたという。

その一つが、「星野リゾートの事業モデルをどう捉えるか」という点だ。久本氏は、エンタープライズ企業のアプリケーション戦略を整理する手法として、「SoE(System of Engagement)」と「SoR(System of Records)」の2つの概念を紹介し、それぞれについて次のように説明する。

「SoEはゲストが利用するシステムであり、SoRはスタッフが利用するシステムのことです。それぞれ可用性や俊敏性、安全性が異なるため、別々に開発スタイルや予算管理をしていくのが一般的ですが、私はこの区分けに疑問を感じていました」(久本氏)

ホテル業界はチャネルのオンライン化やダイレクト化がいち早く進んだ業界である。そうした状況下において、SoEは顧客も交えたビジネスイベントであり、SoRに記録するべき事実を生み出すわけだから、両者は切り離せない存在のはず――というのが久本氏の考えだ。

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また、競合との差別化も重要なポイントとなる。競合となるグローバルチェーンと比較すると、星野リゾートのIT部門は(以前より拡大したとはいえ)どうしても人員数や予算規模は及ばない。

この状況を打破するために、同社では「現場スタッフ全員がIT人材になる」ことで、グローバルチェーンに対抗しようとしているという。