フォントを語る上で避けては通れない「写研」と「モリサワ」。両社の共同開発により、写研書体のOpenTypeフォント化が進められています。リリース開始の2024年が、邦文写植機発明100周年にあたることを背景として、写研の創業者・石井茂吉とモリサワの創業者・森澤信夫が歩んできた歴史を、フォントやデザインに造詣の深い雪朱里さんが紐解いていきます。(編集部)
信夫の苦悩
石井夫妻のたっての頼みを前に、信夫は写植機製造事業の再開のために立ち上がると返事をした。茂吉は「なんとか頼む」と言ってくるし、幸い、信夫が大阪で経営するネジ工場は戦災をまぬがれていた。自身の生んだ愛児である写植機を育てるためにも、また、その愛児を生むために協力してくれた多くのひとたちへの報恩のためにも、立ち上がらなくてはならぬと決意した。
しかしそれは、信夫にとって簡単な決断ではなかった。
信夫は1942年 (昭和17) 、大阪府からネジ製作機の製作に対して3,000円の発明奨励金を受けていた (本連載 第60回参照) 。その新式の製作機は、その後、当時の金で30万円もかけて久金属工業で製作中だった。そして、この機械の完成を待って、そうとう優秀なネジ工場をつくる計画が進んでいたのだ。
ネジ製造業は、信夫が関西に戻ってから十数年をかけて確立してきた事業だ。戦時中はひとまかせにしていたため、経営はおもわしくない状況に陥っていたが、自分の力ですぐにでも再建できる自信があった。過去の隆盛を取り戻すことはむずかしくないないばかりか、戦後の諸産業の復興で、ネジは今後、大量の需要が予想される。この仕事をしている限りは安泰だろう。
しかし信夫には、「写植とネジの二股仕事はできない」というおもいがあった。
「どちらをとるべきか……。私が関西に移ってから十数年間、石井さんはがんばって70台あまりの写植機を製作しておられたのだ。自分が立ち上がらないことで、その写植機がわれわれの手を離れてしまうこともしのびない。かといって、ネジ工場だって大切だ。物質的にはネジ工場のほうが優れているともいえる。しかし写植機は、自分の生んだ子どもだ。物質をとるか、愛に生きるか……!」
そうして「愛に生きる道=写植機」を選んだのは、信夫の苦渋の決断だった。
しかし大阪で写植機全部をつくることは大変なので、さしあたり、文字盤とレンズはそれを長年手がけてきた東京の茂吉のもとでつくり、本体は信夫が大阪でつくることにして、写植機の製造を再開することになったのである。
交わされた契約書
写植機製作再開の話が決まり、同1946年 (昭和21) 5月21日、茂吉は信夫との打ち合わせのため、大阪に向かった。茂吉はまず、この再開に協力してくれる久金属工業の久庄次郎社長に、手土産を持ってあいさつに行った。久の工場には、信夫の考案した新式ネジ製作機がずらりと並んでいた。その数に、茂吉は面食らった。[注1]
茂吉と信夫は、写植機の製造販売にかんする契約書を取り交わした。信夫が機械をつくり、茂吉が売る。その内容は、つぎのようなものだった。
一、写真植字機の販売は甲 (茂吉) において行なうものとする。
一、写真植字機の機械製作は (甲の販売または使用するもの全部) 乙 (森沢) において行なうものとする。
一、写真植字機に附属するレンズおよび文字盤および電気部品は甲において製作取りつけを行なうものとする。
一、乙の製作すべき機械台数および機械製作費は甲乙合議のうえ決定するものとする。 一、甲は乙の製作した写真植字機を責任をもって引取るものとする (但し不良品を除く) 。
一、乙は甲の承諾なくして写真植字機および部分品の販売またはこれに準ずる行為をしないものとする。[注2]
茂吉にとっては願ってもない事態に落ち着いた。茂吉と信夫、写植機をよく知る者同士がともに製造に取り組めば、たとえ東京と大阪で離れていても、その二人三脚は円滑に進むものと信じたからだった。
茂吉は早速、機械の図面と、戦時中に地下壕に隠して戦災をまぬがれた写植機2台、小型のフライス盤、定盤などを信夫に送った。とはいえ、信夫の工場はネジ製造専門だったため、写植機をつくるのに必要な工作機械がない。また、ネジ製造をすぐにやめるわけでもなかったため、信夫の後援者であった大阪の久金属工業の工場で写植機の製造をはじめることになった。[注3]
(つづく)
※本連載は隔週更新となります。
次は3月31日更新予定です。
[注1] ここまでは全般的に森沢信夫『写真植字機とともに三十八年』モリサワ写真植字機製作所、1960 pp.27-28、馬渡力 編『写真植字機五十年』モリサワ、1974 pp.146-147を資料として執筆した
[注2] [注3] 『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969 p.176
【おもな参考文献】
『石井茂吉と写真植字機』写真植字機研究所 石井茂吉伝記編纂委員会、1969
「文字に生きる」編纂委員会 編『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』写研、1975
森沢信夫『写真植字機とともに三十八年』モリサワ写真植字機製作所、1960
馬渡力 編『写真植字機五十年』モリサワ、1974
【資料協力】株式会社写研、株式会社モリサワ
※特記のない写真は筆者撮影

