場内放送なんて簡単じゃないの?
サッカー・野球・陸上競技などで使われる、広大なスタジアム。注意や告知、または得点が入ったときなど、場内にはさまざまなアナウンスが流される。このアナウンス、どのようにして流しているかを知っていただろうか。
「スピーカーからじゃないの?」
もちろんそのとおりなのだが、ではそのスピーカーをどのように置けばいいのだろう。スタジアムの中は広く、客はスタジアム全体に散らばっている。グラウンドにいる選手に聞かせなければならない場合もある。
この場合、もちろんスピーカーをひとつ置くだけではダメだ。スタジアム全体に音を届かせるには巨大なスピーカーを大音量で鳴らす必要があるが、それをやるとスピーカー近くの席の人は鼓膜が破れるほどの音を聞くことになる。かといって音を小さくすれば、スピーカーから遠い人には聞こえない。
まず思いつくのは、大量のスピーカーを用意してスタジアム内にまんべんなく配置するということだろう。その場所も、床に置いたのでは邪魔になるから、どこか高い場所ということになる。天井(ドーム)のあるスタジアムなら、梁などに一定間隔でスピーカーを並べればいい。こうしておいて、それぞれのスピーカーを適切な音量で鳴らせば、客は近くのスピーカーから適切な音量の音を聞けるというわけである。
しかし、複数のスピーカーを設置すると新たな問題が発生する。それは、遠くのスピーカーの音も聞こえてきてしまうということだ。ただ聞こえるだけなら問題ないのだが、音は到達するまでに時間がかかるから、遠くのスピーカーの音は遅れて聞こえてしまうのである。いくら音速が速いとはいえ、30mも離れていれば約0.1秒遅れる。これは明確にズレとして感じられる時間だ。しかも大量のスピーカーをまんべんなく配置しているのだから、それぞれのスピーカーからちょっとずつ遅れた音が続々と聞こえてくることになる。これでは、とても明瞭に聞き取ることなどできず、ストレスの溜まる状態になってしまう。
つまり複数のスピーカーを使う場合には、「一番近くにあるスピーカーの音だけは聞こえるが、それ以外のスピーカーの音は聞こえない」という状態を作り出すことが必要なのである。しかし、そんなことができるのだろうか?
このように「スタジアムでの場内放送」には、多くの難題が含まれている。それをなんとかするのが「音のソーシャルデザイン」なのだ。
前回紹介した音響設備の専門メーカーTOAでは、もちろんスタジアムでの音響設備設計の実績もある。そのひとつである「ホームズスタジアム神戸」(Jリーグ「ヴィッセル神戸」や、ラグビートップリーグ「神戸製鋼コベルコスティーラーズ」などのホームスタジアムでもある)を例にとって、いったいどうやって場内放送の問題を解決しているのか見ていこう。
「音のスポットライト」を客席に当てよう!
TOAの解決法はこうだ。まず、スタジアムの天井(の梁)にいくつものスピーカーを並べる。ここまでは同じだ。しかしそのスピーカーは、普通のスピーカーではない。「指向性スピーカー」といって、音が一定方向に進み、あまり広がらないという特性を持ったスピーカーなのである。もちろんレーザービームのように「一本の線」というわけではないが(そうしたら一人にしか聞こえなくなってしまう)、一定の範囲にだけ当たるスポットライトをイメージするといいだろう。
つまり、天井には大量のスピーカーが並んでいるが、実はそれぞれのスピーカーの音は「そのスピーカーの担当している範囲の客席」にしか聞こえないようになっているわけだ(100%というわけではないが)。
こうすれば、客に聞こえるのは「自分の頭上のスピーカー」の音だけ。他のスピーカーの音はほとんど聞こえないので、「遅れて届いた音がわずらわしい」ということは発生しないのである。
こうして、複数のスピーカーを使いつつ「一番近くにあるスピーカーの音だけは聞こえるが、それ以外のスピーカーの音は聞こえない」ということは見事に実現できた。
でもそんなスピーカー作れるの?
で、お話の上では確かにそうだが、実際やろうとすると大変だ。スタジアムの天井というものがどんなに高いか、行ったことがなくても想像はつくだろう。そこに設置したスピーカーから出した音を、はるか下方にある客席に届かせるには、ものすごい大音量を出せるスピーカーでなければならない。それでいて、前述のように「音が一定方向に進む」という性質も備えていなければならないのだ。
TOAでは、そのために「ホームズスタジアム神戸専用」のスピーカーを製作した。数百ワットの入力にも耐える巨大スピーカーだ。それだけでなく、同じワット数の入力でもより大きな音が出る(「能率が良い」という)設計になっている。つまり、効率よく大音量が出せるスピーカーというわけだ。
そしてスピーカーの音の出口には「ホーン」(ラッパ状の部品)を設置。すると、音は一直線に進むようになる。要するに、応援のときのメガホンのようなものだ。なぁ~んだ、それだけかと思うかもしれないが、最適な指向性を得るためのホーンの設計は非常に難しい。特に、低音になるほど指向性を持ちにくいという性質がある。家庭用オーディオでは、サブウーファー(超低音用のスピーカー)は室内の適当な場所に配置していいというくらいだ。TOAでは高音用のホーンの設計で特許を取得しているが、この低音部分にもホーンを設置することにより指向性を持たせている。
(低音に指向性を持たせるにはビックリするような方法があるが、それは機会があればいずれ紹介したい)
さらに、開閉屋根を持つホームズスタジアム神戸で使用するため、風雨に耐える設計(特に、海沿いなので潮風にも)もなされている
こうして出来上がったのが、TOA謹製のホームズスタジアム神戸専用スピーカーなのである。
でっかい! これがTOA謹製の、ホームズスタジアム神戸用スピーカー(2種類)だ。おなじみのスピーカー形状(丸いコーン)の前に、ラッパ状のホーンが取り付けられているのがわかる。これで指向性を持たせているのだ |
……というわけで前編はここまで。後編では、スタジアムの臨場感は損なわずに、スッキリと音を聞かせる――そんな技術の裏側に迫ります。
取材協力:TOA株式会社
1934年創業、業務用音響機器と映像機器の専門メーカー。業務用音響機器とは、駅の案内放送、校内放送やホール音響など、公共空間で使用される拡声放送機器、業務用映像機器とは、防犯カメラやデジタル録画装置などのセキュリティ用途の商品を指す。1954年、「電気メガホン」を世界初開発、選挙用のマイク装置で事業の基礎を築く。現在では、音の入り口のマイクロホンから、音の出口のスピーカーまでのシステムを取りそろえ、あらゆる公共空間で事業活動を行なう。企業哲学は「機器ではなく音を買っていただく」。企業サイトはこちら。