(前編から続く)
ヤンマーホールディングスでは、YANMAR DESIGN(ヤンマーデザイン)への取り組みにおいて、新たなビジョンとして「YANMAR PRODUCT VISION(YPV)」を打ち出した。ヤンマーの“ありたき姿”を視覚化したビジョンであり、それをもとに定義した新しい意匠や設計思想などをプラットフォーム化した。同社では、「本質デザインの追求を、有言実行するためのひな型」と位置づけ、YPVの発表にあわせて、ビジョンに則った農機や建機、ボートのコンセプトモデルも公開してみせた。YPVを中心としたYANMAR DESIGNの取り組みを追った。
レクサスとヤマハ発動機へ経て、ヤンマーで実現しようとするもの
YPVの策定に深く関わったのは、2025年4月1日付で設立した新会社「ヤンマーブランドアセットデザイン」の社長に就任した長屋明浩氏である。3月までは、ヤンマーホールディングス 取締役CBO (チーフブランディングオフィサー)を務めていた。
長屋社長は、トヨタ自動車に30年間在籍し、初代レクサスLSなどのデザインを担当。レクサスブランド企画室長、トヨタデザイン部長などを務めたのち、2014年にヤマハ発動機に入社して、デザイン本部長に就任。2022年5月にヤンマーホールディングスに入社し、取締役CBO (チーフブランディングオフィサー)に就いた。
ヤンマーブランドアセットデザインの長屋社長は、「ヤンマーに入社してわかったのは、人を大切にし、社会に貢献するという文化がしっかりと浸透していることである。人を助け、人を育てる文化を持った企業である。ヤンマーは、そういう思いを持ち続けて、社会に貢献してきた」と語る。
ヤンマーは、1912年に大阪で創業した企業で、1933年に世界で初めてディーゼルエンジンの小型実用化に成功し、産業機械メーカーとして、エンジンなどのパワートレインを軸として事業を展開。大地、海、都市を対象に、アグリ、建機、マリン、エネルギーシステム、コンポーネントなどの事業をグローバルに推進している。近年では、食をテーマにした事業を加速させ、食糧生産やレストラン運営を進めている。
創業者である山岡孫吉氏が、ヤンマーを創業して目指したのは、ディーゼルエンジンの開発や小型化することが目的ではなく、農家の負担を減らし、人に貢献することであったという。
長屋社長は、「山岡孫吉は、人や社会のために、困難な開発に挑み続けた。その姿勢は、デザイナーやクリエイターが、課題解決をする姿と重なる。共感できる部分が多い」と語る。
ヤンマーの文化である「HANASAKA」を具現化するための取り組みに位置づけているのが「FUTURE VISION」である。また、「省エネルギーな暮らしを実現する社会」、「安心して仕事・生活ができる社会」、「食の恵みを安心して享受できる社会」、「ワクワクできる心豊かな体験に満ちた社会」の4つによって実現する「豊かな社会」を通じて、「A SUSTAINABLE FUTURE」を創り出すことをパーパスとしている。
ヤンマーの”ありたき姿”を現す「本質デザイン」の哲学
ヤンマーが本格的にブランディングやデザインに取り組むようになったのは、創業100周年を迎えた2012年のことだ。顧客価値を最大化したプレミアムブランドを目指し、社外の著名クリエイターの協力を得て、ブランドリニューアルと認知向上に取り組んできた。これを「YANMAR DESIGN 1.0」とすれば、2015年にはヤンマー初となるインハウスデザイン組織を設置し、ヤンマーらしさを視覚的に表現する活動を進めてきたのが、「YANMAR DESIGN 2.0」である。
そして、2022年には、ブランド部を設置し、対外的なコミュニケーション全般に渡るクリエイティブ活動を開始。さらに、ヤンマーらしいデザインを追求するために、DESIGN PHILOSOPHYとして、「本質デザイン」を打ち出し、本来の機能的な価値や意味を重視し、形や様式にとらわれず、物事の本質に迫るデザインを真摯に追求、極めることを目指した。また、DESIGN DIRECTIONとして、「柔和剛健」(Gentleness and Toughness)を掲げることで、創業者である山岡孫吉氏の精神を受け継ぎ、柔らかく人々に寄り添いながらも、課題に対しては力強く立ち向かうデザインを目指している。
長屋社長は、「ヤンマーらしいDESIGN PHILOSOPHYを考えるのに、それほど苦労はしなかった」と振り返る。その理由を、「ヤンマーの企業姿勢が明確だっため」と語る。
「機械は、高性能化ばかりを目指し、新たな機能を次々と搭載することに走りがちになる。しかし、忘れてはいけないのは、なにが本質であるかという点である。機械や道具は、人に便益を与えるために存在する。それを忘れて高性能化すると、不要な機能ばかりが増え、使いにくくなり、価格も高くなる」とし、「ヤンマーが目指す本質とはなにか。それは人をベースにしいる点である。人に便益をもたらすことが、ヤンマーの本質デザインになる」と位置づける。
2024年秋に発表した「YANMAR PRODUCT VISION(YPV)」は、YANMAR DESIGNの新たなビジョンであり、同時にヤンマーの“ありたき姿”を視覚化したビジョンでもある。
「“ありたき姿”をもとに定義した新しい意匠や設計思想などを、体系化して整備するとともに、プラットフォーム化したのがYPVである。本質デザインの追求を、有言実行するためのひな型をつくり、製品やサービスを統括していくことになる。効率的で、顧客価値を最大化する製品開発を実現したい」
共通化したデザイン思想を、農機や建機、ボートなどの製品のほか、サービスなどを含めた同社プロダクトに順次適用する。「YPVの考え方は、これから登場するすべての製品に反映されることになる」とする。
これにより、部材や設計の共通化に加えて、開発工数の効率化やコストの削減につなげるほか、未来の作業を見据えた新たなヒューマンマシンインタフェースによる直感的な操作性の実現や、居住性の向上なども目指すことになる。
これにあわせて、2035年の利用を想定したコンセプトモデルを発表。LAND(大地)、SEA(海)、CITY(都市)にフォーカスした3つのプロダクトを公開した。
「YPV-L(LAND)」は、農機のコンセプトモデルで、従来のキャビン構造を見直し、運転席には大型ディスプレイを設置して、直観的な操作を可能にした。複雑な農作業を集中管理するほか、他の自動運転農機などをコントロールできる。自動運転化を想定し、キャビンレス仕様も用意しており、作業場所や作業者のニーズにあわせたカスタマイズも可能にしている。
建機のコンセプトモデルである「YPV-C(CITY)」は、ヤンマーが得意とする後方超小旋回による作業性を確保しながら、機械質量は約3500kgを実現。電動化を前提とし、都市部でのリノベーションや屋内作業にも最適化した設計となっている。災害時には、現場への迅速な移動できるように走行に最適なホイールを採用。初動救助活動を可能にしている。キャビンはYPV-Lと共通化しており、開発効率の向上に加えて、共通インターフェースの採用によって、農機と建機で同じ操作性を実現するという。
「YPV-S(SEA)」は、フォイリングセイルボートをベースにしており、新たなマリンライフの実現を支援することになる。Quiet Excitementをコンセプトに、揚力で船体を浮かび上がらせるモノハルフォイリングシステムを採用。風力を活用した自動制御セイリングを組み合わせて、自然力を最大限に活用して、海上を飛ぶように滑走する。補助電力には電動モーターを採用し、環境にも優しい設計が特徴だとしている。新たなカゴリーの提案になるという。
さらに、これらの3つのコンセプトモデルのベースになる考え方として、「YPV-H(HUMAN)」を打ち出している。農機と建機を同じ操作で利用できるようにするなど、共通インターフェースを採用。高機能化が進むなかでも、誰もが使いやすいようなに工夫を図る。たとえば、運転席には直感的な操作が可能な大型モニターを設置し、複数の自動運転農機を制御する司令塔の役割も担う。
さらに、YPV-Hは、共通インターフェースの枠を超え、より幅広い視点での役割も担う。それは、ヤンマーが打ち出す「HANASAKA」を具現化する切り口のひとつになると位置づけているからだ。前述したように、「HANASAKA」では、「人を、未来を咲かせよう」というメッセージとともに、「人の可能性を信じる、人の挑戦を後押しする文化」を築き、次世代育成や文化の醸成にも取り組んでいる。
また、長屋社長は、「YPV-HのHは、HUMANのHであるとともに、HANASAKAのHでもある」と位置づけながら、「花は咲くのではなく、咲かせるものであるという考え方をもとにしたHANASAKAは、ヤンマーのすべての活動の基盤であり、ブランディングやデザインにおいても中心的なテーマである。YPV-Hも、YPV全体の基盤としての役割を担う」と語る。
すべての起点に「人」を、プロダクトは「人のために」
YPVというビジョンを検討する上で、長屋社長は、「人」に戻って議論を繰り返してきたと振り返る。
「ヤンマーの基本姿勢は、人があって初めてプロダクトがあるという点。プロダクトは、人のために作っており、それが、人のためになっているのか、人にとって使いやすいのかといったことに立ち返りながら、モノづくりをしてきた。YPVを検討する上でもそれは同じであった」とする。
つまり、YPV-Hは、YPV-L、YPV-C、YPV-Sの共通インターフェースという位置づけだけでなく、YPV全体を構築する上で、ベースになる役割を担う重要なレイヤーと存在していたといえるのだ。
YPV-Hは、ヤンマーのすべての起点に「人」があることを象徴するものになる。
ヤンマーは、2024年1月に小型電動農機のコンセプトモデル「e-X1」を発表している。このコンセプトモデルには、先行する形でYPVの考え方の一部を採用している。つまり、YPVによって、現時点で、なにができるのかといったことを具現化してみせたのだ。
その一方で、YPVの正式発表にあわせて、2035年という長期視点でゴールを設定し、それをノーススター(北極星)といえる目標に定めた。
さらに、その中間点となる2030年にも目標を設定。2025年からのフォアキャスティングと、2035年からのバックキャスティングによって、設定した中間目標に対して、進捗を評価し、必要に応じて修正を加えることになる。
ヤンマーでは、YANMAR DESIGNの進化に向けて、YPVによる長期ビジョンを作り、ノーススターを掲げ、迷子にならないように中間地点を設定したわけだ。
だが、YPVによって実現するコスト削減や部品の共通化率といった数値目標は一切示していない。そこには理由がある。
YPVでは、これまでは製品ごとにバラバラだった取り組みを、統括的なアプローチに変えて効率化し、コストを削減することを目指している。部品を共通化し、コストを削減しながら、品質を高めることも可能になると見ている。なかには、コストを100分の1、あるいは10分の1にまで削減できるといったものもありそうだ。
しかし、こうしたビジョンやコンセプトを出した際、数値目標を掲げた途端に、それを達成することが目的となってしまうことがよく見られる。本質的な目標より、数値目標を達成することが重視され、いつのまにか数値目標ばかりが取りざたされるようになるといったことは本末転倒ともいえる事態だ。
YPVでは、「数値目標を達成することが正義」とならないように、定量目標はあえて作らなかった。
YPVの取り組みは、数値を追うことに注力するのではなく、ヤンマーの“ありたき姿”をベースにした異なるやり方を社内に浸透させることが最も重要な要素になる。
そして、その取り組みは、まだ始まったばかりだ。YPVによる農機、建機、船、共通インターフェースがどんな形で登場するのか。なににも増して、人のための製品として、どう進化するのかが楽しみだ。