楽天が「第4のキャリア」として携帯電話事業に参入を表明したことが、大きな話題となっている。だが過去をさかのぼれば、第4どころか、PHSも含めれば地域によっては7つもの企業が、自社でモバイル通信のインフラを構築してサービスを提供し、競争を繰り広げていた時代があった。それがどのようにして、現在の大手3社体制となったのかを振り返ってみよう。

PHSも含めればかつては7社以上存在していた

昨年末、「楽天モバイル」を展開している楽天が、他社からインフラを借りるMVNOではなく、自ら通信インフラを持つ携帯電話事業者になることを表明したことが、大きな話題となった。楽天は今年3月にも総務省が実施すると見られている、4G用の1.7GHz帯と3.4GHz帯の追加割り当てを申請し、割り当てがなされた際には2019年の携帯電話事業参入を目指して準備を進めるとしている。

  • 楽天は、個人向けのMVNOサービスとして好調な「楽天モバイル」の実績をバネに、自らインフラを敷設する携帯電話事業にも参入することを明らかにしている

無論、既にNTTドコモ、KDDI、ソフトバンクの大手3社が全国津々浦々に充実したインフラを整えているだけに、楽天が今から携帯電話事業に参入して順調に成長できるのか、という点には多くの疑問符が突きつけられている。それだけに、楽天が今後携帯電話事業参入に向けてどのような動きを見せるのかというのは、今年の業界動向を見据える上でも大きな見どころとなるだろう。

だがよくよく考えてみると、何年か前まで携帯電話会社は3社以上存在していたし、PHSも含めればもっと多くの数が存在した時代もあった。それがなぜ、現在の大手3社体制に集約されていったのかを、改めて振り返ってみたい。

一般消費者向けにサービスを提供する携帯電話会社はかつてNTTの携帯電話事業、その後独立したNTTドコモのみであったのだが、1988~1989年にかけてKDDIの前身となる、京セラ系の第二電電(DDI)が展開するDDIセルラーグループとトヨタ系の日本移動通信(IDO)の2社が参入。さらに1994年には現在のソフトバンクの前身となるJR系のデジタルホングループ、そして日産系のツーカーグループと、5社が同時に存在していた時期がある。

  • 沖縄でauブランドの携帯電話事業を展開するKDDIの子会社「沖縄セルラー」は、かつて存在したDDIセルラーグループの名残りでもある

だがこれらの会社が、現在のように全国で同じように競争をしていたわけではない。かつては同じ地域に参入できる携帯電話会社の数が限られていたため、IDOは関東・中部エリア、DDIセルラーグループはそれ以外のエリアで事業展開をしていたし、ツーカーはDDIと関東・中部で「ツーカーセルラー」、デジタルホングループとツーカーグループは東名阪以外で「デジタルツーカー」として共同事業展開していた。ゆえに実際には東名阪で4社、それ以外では3社、しかも同じ会社に複数のグループが入り混じるという、非常に複雑な競争環境となっていたのである。

加えて1995年には、DDI系のDDIポケット、NTT系のNTTパーソナル、電力系のアステルグループと、3グループのPHS事業者が参入。特に1990年代後半から2000年代初頭にかけては、携帯電話の普及率が急速に高まっていた時期だけあって、携帯・PHSを合わせると、最も多い東名阪エリアでは7社が激しい競争を繰り広げるという状況だったのだ。

ウィルコム、イー・アクセスに足りなかったのは?

だが携帯電話の普及率が高まり市場が成熟していくとともに、各社の競争環境は大きく変化していくこととなる。PHS事業者は「つながらない」イメージの定着によって軒並み不振となり、NTTパーソナルはNTTに吸収され、アステルグループは解散。携帯電話事業者に対しても、KDDIの誕生によるDDIセルラーグループとIDOの統合、日産の経営危機によるツーカーグループの解体、そしてデジタルホングループの親会社である日本テレコムが英ボーダフォンに買収されるなど、再編の波が次々と押し寄せてきたのである。

その結果、携帯電話事業者はNTTドコモ、KDDI、そしてボーダフォンの日本法人の大手3社へと集約されていくのだが、そのことを快く思っていなかったのが、事業者の減少による市場寡占を懸念した総務省である。そこで総務省は2005年に、新規携帯電話事業者の参入に向けた周波数帯割り当てを実施。イー・アクセスが設立したイー・モバイル(後に統合)と、現在のソフトバンクグループに当たる旧ソフトバンクが設立した「BBモバイル」、そして独立系のアイピー・モバイルが免許を獲得することとなった。

だが旧ソフトバンクはボーダフォンの日本法人買収による参入へと方針を切り替え、アイピー・モバイルは資金不足や社内の混乱などによって事業開始前に破産。イー・モバイルだけが純粋な新規事業者として参入を果たす結果となった。また同じ2005年には、KDDI傘下となったものの、auに注力するというKDDIの方針からノンコア事業に位置付けられたDDIポケットが、ファンドの力を借りて「ウィルコム」として独立。その結果、大手3社に独立系の2社を加えた5社による競争がしばらく続くこととなったのである。

  • イー・モバイルは2005年に電波の割り当てを受けて携帯電話事業に参入。独立系の携帯電話会社としてWi-Fiルーターに力を入れるなど、独自のサービスを打ち出していた

そうした状況が大きく変化したのは2010年前後のこと。2009年にリーマン・ショックの影響を受けてウィルコムが経営破たんし、再建のため旧ソフトバンク傘下となった。また2012年には、資金繰りに窮していたとされるイー・アクセスの買収を、iPhone向けの周波数帯を欲していた旧ソフトバンクが、KDDIとの水面下での争いの末に買収を勝ち取った。その結果、現在の大手3社体制が確立されたのである。

  • ウィルコムは経営破たん後に旧ソフトバンク子会社となり、その後旧ソフトバンク傘下となったイー・アクセスと合併。ワイモバイルが誕生するきっかけとなった

独立系の2社がサービス継続に至らなかった背景には、携帯電話のインフラが通話が主体の2Gから3G、そしてデータが主体の4Gへと高度化し、高速データ通信を実現するためより多くの基地局を設置する必要が出てきたことで、従来より一層大規模なインフラ投資が必要になったことが挙げられるだろう。独立系の2社は資金面での基盤がぜい弱だったため、資金繰りでつまづき旧ソフトバンクへと吸収されたわけだ。

こうした歴史を振り返ると、楽天が第4のキャリアとして新規参入し、生き残り続けるためには十分なインフラ投資ができる豊富な資金力と、そのインフラ投資継続できるだけの顧客基盤をいかに構築できるかが、強く求められるといえる。ある程度企業体力のある楽天とはいえど、ゼロからインフラを整備するのに必要な投資はけた違いなものとなるだけに、この難題をいかにクリアできるかが楽天の成否を決めることとなりそうだ。