2022年7月にKDDIが発生させた大規模通信障害を機として、総務省で実現に向けた議論が進められている非常時の事業者ローミング。KDDIの通信障害でも問題となった緊急通報の扱いが議論の焦点となっているが、非常時に使える技術や手段には限界がある一方、緊急通報受理機関が「呼び返し」に強くこだわりを見せている。通信事業者と緊急通報受理機関の見解が大きく分かれる中で、非常時ローミングの早期実現はできるのだろうか。

非常時ローミング最大の課題「呼び返し」

2022年7月2日よりおよそ3日間にわたって発生した、KDDIの大規模通信障害。主としてコアネットワークの音声通話に関する部分で大きな障害が発生したことから、単に通話ができないというだけでなく、警察や消防など緊急通報受理機関への緊急通報もできなくなるという深刻な事態をもたらしたことは確かだ。

  • KDDI通信障害を機に議論進む非常時ローミング、意見が割れる中で早期実現は可能か

    2022年7月2日にKDDIが発生させた大規模通信障害は、主として音声通話に影響したことから長きにわたってKDDI回線利用者が緊急通報などもできない事態をもたらした

その後もKDDI、さらには他社も通信障害を起こしており、2022年9月4日には楽天モバイルも2時間以上にわたる通信障害を発生させている。そうしたこともあって注目されるようになったのが、通信障害、さらには大規模自然災害などの非常時に携帯電話会社のネットワークが使えなくなった場合、他社の回線にローミングして通信を継続できる仕組みの実現である。

ただ海外ローミングなど、携帯電話会社同士が契約して常時ローミングをする仕組みではなく、あくまで非常時に、一時的にローミングをする仕組みであることから従来の事業者間ローミングとは違ったルール作りが求められる。またそもそも、非常時はネットワーク自体に何らかの異常が起きている可能性が高く、そのような状態でも実現できるローミングとはどのようなものか? という点も考えていく必要があるだろう。

そうしたことから非常時ローミングの実現に向けては総務省が音頭を取り、有識者会議「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」を立ち上げて実現に向けた議論が進められている。執筆時点(2022年10月27日)では既に3回の会合が実施されているのだが、その内容を聞いていると実現に向けた課題は少なくないように見える。

中でも最大の争点となっているのは「呼び返し」の存在だ。実は携帯電話会社が緊急通報を扱うためには「事業用電気通信設備規則」で定められた3つの条件を満たす必要があり、1つ目は携帯電話が接続した基地局の近くの緊急通報受理機関に接続すること、2つ目は端末の位置情報を緊急通報受理機関に伝えること。そして3つ目が呼び返し、つまり緊急通報受理機関側から通報者に折り返し電話ができることなのだ。

  • 総務省「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」第1回会合資料より。携帯電話会社が緊急通報を扱うには3つの条件を満たす必要があり、「呼び返し」もその1つとなっている

だがこの呼び返しを実現するには、緊急通報受理機関側が一般の回線に電話をかけて接続できるようにする必要がある。そのためには非常時ローミングという特殊な状況下でも通常と変わらない音声通話ができる環境を実現しなければならず、技術的ハードルが一気に高まってしまう。それに加えてローミングを受ける事業者側に被災事業者側のトラフィックが全て流れてしまう可能性も出てくることから“共倒れ”も懸念されるという。

  • 総務省「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」第1回会合のTCA提出資料より。非常時ローミングで呼び返しを実現するには通常とほぼ同じローミング環境を提供する必要があり、技術的ハードルも大幅に上がってしまうという

一方で呼び返しを必要としない仕組み、つまり通報者による緊急通報だけができる環境を実現するのは、技術的ハードルは比較的低いという。それゆえ通信事業者の業界団体である電気通信事業者協会(TCA)は、早期に非常時ローミングを実現するならば呼び返しの必要がない仕組みを用いる方が現実的だとしている。

  • 総務省「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」第1回会合のTCA提出資料より。呼び返しなしの仕組みは、上記と比べ仕組みが非常にシンプルなことが分かる

非常時でも“完璧”を求める緊急通報受理機関

一方で、警察、消防、海上保安庁といった緊急通報受理機関側からは、非常時ローミングでも呼び戻しが必要不可欠という意見が相次いでいる。その理由としては、非常時に通報者と継続的に連絡を取ることができないと、通報者の状況や正確な場所などを把握できず適切な対応ができないためだという。

とりわけ海上保安庁は、海上という特殊な環境下ということもあり、対応には通報者と常に連絡を取り合う呼び戻しを必ず実施しているとの意見が出ていた。また消防庁は現場の活動にも携帯電話のデータ通信を用いていることから、非常時ローミング時も音声通話だけでなく、データ通信も対象にすることが望ましいとするなど、通常時と変わらない通信環境を要求している。

  • 総務省「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」第3回会合の消防庁提出資料より。呼び返しによって後から通報者に連絡を取れることが、その後の処置や対応などをする上で非常に重要であることを訴えている

ただ先のKDDIの通信障害のように、コアネットワークに障害が発生してしまうと非常時出会ってもローミングの実現自体が困難だ。それでも緊急通報を実現する方法の1つとして、海外の多くの国で用いられている、SIMを挿入しない状態で緊急通報だけができるようにする「SIMなし発信」という手法が存在している。

だがこの方法ではSIMがないので電話番号を通知できず、当然ながら呼び返しもできないので、いたずらの多発や、多数の端末を用いて緊急通報受理機関に電話をかけるDoS攻撃が仕掛けられる可能性もある。そうしたことから緊急通報受理機関側はいずれもSIMなし発信の導入には否定的な様子だ。

  • 総務省「非常時における事業者間ローミング等に関する検討会」第3回会合の海上保安庁提出資料より。通報者からの情報が得られず、呼び返しもできないSIMなし発信は活動に支障が出るとして、導入に否定的な見解を見せている

ただ一方で、呼び返しができなければ緊急通報を受け入れられないという姿勢は、一度でも通報さえできれば命が救える、という人達を犠牲にしてしまうことにもつながりかねない。実際有識者の一部からは緊急通報受理機関に対し、「SIMなし発信で救える命もあるのではないか」という意見も出ていたようだ。

大規模な災害や通信障害の発生時はそもそも通常時とは大きく異なる異常な環境にあり、その中で通常時と変わらない完璧なネットワークの実現を求めるのには無理があるだろう。理想的な環境にこだわり続け非常時ローミングがいつまでも実現できないとなれば、救える命も救えなくなってしまうだけに、まずは異常な状態でも可能な限り利用者を救える現実解の早期実現に向けた議論に集中し、その実現後に理想的な環境へ徐々に近づけていくべきではないかと筆者は感じている。