前回、「かつて、陸戦の指揮所で使用する通信手段といえばVHF/UHF/HFの通信機と有線電話ぐらい」という話を書いた。ところが、この業界でもネットワーク化が進んできて、遠距離・大容量の通信手段が欲しくなった。すると海軍と同様、衛星通信(SATCOM : Satellite Communications)が必要、という話になる。

衛星通信の難しさ

衛星通信といっても、種類はいろいろある。メジャーな方式は、赤道上空36,000kmの静止軌道を使用する衛星だが、周回衛星を使用するタイプもある。もっとも、軍用の通信衛星では前者が主流となっている。ところが、静止衛星を利用しようとすると、一つ厄介な課題がある。

VHF/UHF/HFは、わざわざ指向性が強いアンテナを使わない限り、電波は四方八方に向けて飛んでいく。ところが、衛星通信は話が違う。建物の屋上やバルコニーに設置されている、衛星放送受信用アンテナを見ればお分かりの通り、赤道上にいる通信衛星に指向する形でパラボラ・アンテナを備え付けている。

陸戦用の指揮所でも同様に、衛星通信を使用する際は、端末機とアンテナを用意する。そしてアンテナは、赤道上にいる通信衛星に向けて設置する。指揮所の場所が固定されていれば、それで問題は解決する。指揮所の場所が変われば端末機もアンテナも設置し直すことになるが、そのときにはまた、通信衛星の位置に合わせてアンテナを据え付ければよい。

  • 米陸軍が使用している、車載式衛星通信アンテナの一例。トレーラーに載せてあり、これを他の車両で牽引する 写真:US Army

    米陸軍が使用している、車載式衛星通信アンテナの一例。トレーラーに載せてあり、これを他の車両で牽引する 写真:US Army

では、指揮官や幕僚が指揮車に乗って移動しているときはどうするか?

移動しているということは、アンテナと衛星の位置関係が、時々刻々、変化し続けるということである。すると、アンテナは固定式というわけにはいかない。可動式にして、常に衛星の方を自動的に指向するように作らなければ、仕事にならない。

実は、似たような話は他にもある。例えば、日本の鉄道業界で衛星放送の受信機とテレビを設置するのが流行した時期があり、小田急20000形RSE車のスーパーシートなどが該当する。ところが、走る車内で衛星放送を観るには、まず走りながら連続的に衛星放送を受信できなければならない。そこで20000形は、屋根上に衛星放送受信用のアンテナを取り付けた。これは可動式で、常に衛星の方を向く。

似たような話は空の上にもあって、それが機内Wi-Fiサービスの生命線であるところの衛星通信アンテナ。MQ-1プレデターやMQ-9リーパーなどの無人機が搭載するKuバンド衛星通信のアンテナと同様に、パラボラ・アンテナがレドームの中に納まっていて、アンテナは常に衛星の方を向く。

そして、衛星通信の導入が先行していた艦艇でもやはり、可動式の衛星通信アンテナを備えており、これが衛星の方を指向するようになっている。

陸戦における独特の難しさ

つまり、「移動しながら通信衛星との接続を維持する」事例も技術も、すでに存在はしている。ところが陸戦の分野ではまだ、走りながらの衛星通信、いわゆるSOTM(SATCOM-on-the-Move)は発展途上である。米陸軍の通信システム新型化案件でも、まず最初は停止した状態で衛星通信を使用するところから話を始めており、走りながら通信できるようにするのは、それができた後、という流れで作業を進めてきた。

どうしてそんなことになっているのだろうか。

これは私見だが、先に紹介してきた艦艇や航空機の衛星通信はいずれも、陸戦と比べると条件がよいのではないか。陸軍が移動する場所は舗装された道路ばかりではなく、未舗装の道路も、道路でないところも通る。すると当然ながら、車両は揺れるし、姿勢変化も向きの変化も激しい。そんな状態で、正確に通信衛星を狙ってパラボラ・アンテナを指向し続けるのは、あまり簡単な仕事ではなさそうだ。

すると、陸戦用のSOTMを実現するには、「車両の位置と動きをリアルタイムで把握して、それに合わせてアンテナの向きをリアルタイムで調整して衛星を指向し続ける」仕掛けが必要になるとわかる。

位置の把握は、GPS(Global Positioning System)をはじめとする各種GNSS(Global Navigation Satellite System)を用意することで、緯度・経度・高度が分かり、それに基づいて指向すべき向き(衛星がいる方向)を計算できる。動揺は、ジャイロスコープみたいな、姿勢変化を把握するメカが要る。そして、これらから得た情報に基づいて、アンテナをどちら向きに指向するかを計算する。それに合わせてアンテナを動かす機構が必要になる。

また、野戦環境で使用するものだから、動揺・振動・風雨・粉塵・高温・低温にも耐えられなければならない。

  • 通信機器に限らず、陸軍の装備は野戦環境下で使うことを前提にして設計しないと使い物にならない 写真:US Army

    通信機器に限らず、陸軍の装備は野戦環境下で使うことを前提にして設計しないと使い物にならない 写真:US Army

どこかで聞いたような話だと思ったら、アクティブ・サスペンションに似ているかもしれない。あれはまさに、車体の動きに合わせてサスペンションを調整して動揺を打ち消すことで、車体を安定化させている。動きにリアルタイムに反応するところは同じである。

また、陸戦用の衛星通信機器では、大きなアンテナをそのまま持ち歩くことができない、という制約もある。そして店開きや店じまいのことを考えると、迅速に展開・折り畳みができるパラボラ・アンテナが欲しい。艦載用、あるいは航空機搭載用の衛星通信アンテナでは、折り畳み式にしたいなんて話はない。

著者プロフィール

井上孝司


鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野で、技術分野を中心とする著述活動を展開中のテクニカルライター。
マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。『戦うコンピュータ(V)3』(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて『軍事研究』『丸』『Jwings』『航空ファン』『世界の艦船』『新幹線EX』などにも寄稿している。