これまで、さまざまな領域(ドメイン)を対象とする警戒監視の概要と、そこで使用する機材やシステムについて取り上げてきた。

いずれにしても、探知手段となる各種のセンサーと、それと組み合わせる形で使用する識別手段、そして得られたデータを集約して状況認識の用に供するシステムがワンセットとなって警戒監視活動を支えているのだが、どの程度までシステム化、コンピュータ化するかは状況による。

場合によっては、人手に依存せざるを得ない部分もあるのが実情だ。

コンピュータはカンピュータになれない

見出しは、筆者の口癖である。

第31回で取り上げたように、日本近海における警戒監視に際してはP-3Cみたいな海上自衛隊の哨戒機が重要な役割を果たしている。P-3Cというと対潜哨戒機、つまり潜水艦狩りのための飛行機というイメージが強いが、実際には水上艦や民間の船舶も監視飛行の対象となっており、そこでは搭乗員による目視確認が重要な役割を負っている。

つまり、哨戒飛行中に艦船を何か発見したら、まず識別を行う。そのため、P-3Cの搭乗員のうち監視任務を担当する武器員は常日頃から、過去に撮り溜めた写真資料を使って、日本近海に出没する艦船を覚えるようにしているという。

しかも、同型艦や同型船が複数ある場合には、個別に覚えるのだ。面白いもので、同型の艦船を複数建造した場合でも、細かいところで仕様に違いが生じることは少なくない。例えば軍艦であれば、レーダーなどのアンテナの有無、あるいは配置が異なることがある。そういう細々した違いを一隻ごとに覚え込んで、ちゃんと識別できるようにする。これは大変な作業だ。

平素から日本近海に出没する艦船を覚えていれば、「アレは見慣れない艦である」「あの船は、普段はこの海域にはいないはず」といったことが分かってくる。それどころか、一種の「嗅覚」を働かせて、遠目に見た段階から「あの船はどうもクサい」なんていうことまで起きるというからすごい。

これはさすがに、コンピュータとセンサーの組み合わせでは実現できない芸当である。蓄積したデータに基づいて照合や分析を行うのはコンピュータが得意とするところだが、反対に、カンや嗅覚を働かせるのは、コンピュータがもっとも苦手とするところである。

人手だけでもITだけでもダメ

もちろん、航空機を識別するためのIFF(Identification Friend or Foe)や二次レーダー、船舶を識別するための船舶自動識別システム(AIS : Automatic Identification System)といった機材は有用である。それに、天気が悪かったり暗かったりすれば目視確認はできないから、レーダーが不要な装備だなんていうことはない。

しかし、ことに平時の警戒監視活動においては、そういったセンサーやシステムに全面的に依存できないのが実情といえる。したがって、見出しで書いたように「人手だけでもITだけでもダメ」という話になり、両者がそれぞれ得意とするところを組み合わせるのが最善の解決策となるわけだ。

これはなにも警戒監視活動に限らず、有事の際の戦場でも、あるいは我々の日常生活でも、同じではないだろうか。コンピュータ化、システム化が有用な場面は多いが、それに負けず劣らず、人間のカンや嗅覚だって有用である。

例えば、筆者もそうだし、読者の皆さんでも同様の経験をお持ちの方は少なくないだろうが、見慣れない差出人からのメールに対して「何かクサい」と感じたことはないだろうか?

最近は電子メールソフト、あるいは電子メールサービスが強力なspamフィルタを実装するようになってきているし、それで大半を排除することができるが、それでもフィルタをかいくぐってくる悪質なメールは皆無にならない。敵はなんとかしてフィルタをかいくぐろうと工夫しているのだから当然だ。

そうなると、最後の防壁になるのは個々のユーザーのカンや嗅覚である。以前に日本で、防衛関連企業を狙った標的型攻撃が発生したが、このときにも「このメールはクサい」といって開かないように指令を出した会社があったと聞く。警戒監視活動でも同様で、警戒警報の発端は監視担当者のカンや嗅覚、ということが間々ある。

人的手段にも配慮した仕組み作り

そうなると、警戒監視活動の計画や運用、あるいはそれを支える各種システムの構築に際しては、すべて機械任せ、コンピュータ任せにするのでは具合が悪いし、成果があがらなくなる。むしろ、人間の方が得意な場面では人的手段を優先したり、あるいは人的手段を援用したり、といったことを、当初の要件定義や設計の段階から考えなければならないのではないか。

ただ、人間がカンや嗅覚を働かせるには、それはそれで経験やデータの蓄積が要る。だから、教育・訓練の体系を整備したり、効果的な教育・訓練を行えるインフラを整備したりする必要もある。

例えば、艦船識別のための学習には識別写真の蓄積が必要だし、それをランダムに出して正体を当てさせる「紙芝居」が必要になる。そこでコンピュータを活用する手はあるだろう。蓄積した写真をランダムにパッと見せて回答を入力させることで、正解・誤答を判断して点数をつける、なんていう具合である。

第29回で「普通ではない状況を見分けるには、普通の状況が何かを知らなければならない」という趣旨のことを書いた。その「普通の状況」と「普通ではない状況」を見分ける場面でも、やはりモノをいうのは人間の感覚である。

ITに関わる仕事をしていると、つい何でもIT化して問題解決、といいたくなるものではあるが、人的要素も無視してはならない。それを示している典型的な事例が、警戒監視活動といえるのかも知れない。

とはいうものの、反対側に振子が振れすぎるのも問題である。つまり、IT化した方が具合がいいところまで人間任せにしてしまい、「経験を積んだ職人」がいないと二進も三進もいかなくなるのは問題だ。誰でも一定以上の水準で仕事をこなせるようにITを援用することと、そこからさらに高みを目指すために個々の人間のスキルを高めること。これらのバランスが大事なのではないか。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。