工場の自動化を実現する技術の1つであるマシンビジョン。かつて日本メーカーのカメラが大活躍していたマシンビジョン市場は、ここ10年で大きく変化した。本連載では、この10年でマシンビジョン市場で起きた変化と現在のトレンド、そして今後の展望について解説していく。


工場の自動化を助けるFA用途での画像処理(=マシンビジョン)は90年代に一気に世の中に普及した。画像処理アルゴリズムの研究開発自体は1960年ごろから活発に行われてきたが、それが90年代にマシンビジョンで大きく普及した背景には、マイコンやパソコンの演算能力の飛躍的向上が起因している。これまで机上の理論であった画像処理アルゴリズムがようやく日の目を見る時代が訪れ、より高度な自動化を果たしたいFA市場が一気に画像処理を採用し始めた。

この90年代の画像処理市場の急成長の時代に用いられたカメラは、CCD素子を搭載したアナログ通信を用いたカメラであった。センサー素子であるCCDやCMOSのトレンドついては次回で詳しく述べるとして、今回はアナログおよびデジタルといった通信方式について詳しく紹介する。

SONYが製造するCCD素子をカメラに搭載し、CCDから出力される各ピクセルの輝度値を、アナログ信号のままパソコンに伝送することを、アナログインターフェースのカメラ(以下、アナログカメラ)と称する。カメラに接続されたケーブルはアナログ信号を伝えるため、それをパソコンのメモリに取り込むには画像入力ボードと呼ばれるボードが必要であった。この画像入力ボードはカメラからのアナログ信号を取り込んで、それをFPGAでデータを配列した後、PCIバスを介してパソコンのメインメモリに転送する。

アナログカメラとデジタルカメラの機器構成

このアナログカメラ市場において、世界中の画像処理ユーザが日本製のカメラを採用した。

しかし、2000年代初頭からここに変化の兆しが訪れる。カメラからパソコンに直接データをデジタル信号で伝送することができれば、約10万円の画像入力ボードを排除でき、システムコストを下げることができるのでは、という点に世界の企業が気付き始めた。2000年代初頭にはWindowsも安定し、パソコンには標準でEthernetポートが搭載されるようになったので、カメラの内部でデータをデジタル化して、Ethernet経由でデータをパソコンに送ればいいのではないか、ということである。

日本勢が見逃した2つの潮流

現在、工業用カメラの世界で圧倒的な世界No.1の地位を築いているBasler社(ドイツ)は、この思想をいち早く具体化するべく動きを見せた。しかし、1社だけでEthernetを介するデジタルインターフェースカメラ(以下、デジタルカメラ)を構築しても、アナログを絶対視している世の中を変えることはできないと考えた。そこで、Gigabit Ethernetを介してデータを転送する通信規格を定めることで、マシンビジョン市場全体がアナログからデジタルに移行する大きな渦を巻き起こそうとした。技術的な標準規格を定めるのが得意なドイツ勢は、すぐに数社が結集して知識を持ちより、GigE Visionという規格を2005年に定めた。

一方、日本ではまだパソコンの安定性が「工業用のジャパン品質には不十分」と考えていた時代に、まさか画像データをEthernetで安定して伝送できるとは考えてもいなかった。マシンビジョンの世界では、画像を1枚取りこぼすだけで検査が十分に行われず、市場に不良品が流出して大変な騒動になる。そんな世界に、EthernetというIT(インターネット)向けに作られた通信技術を活用することなどできないと考えていた。その考えは間違いではなく、本来の用途であるITの世界でのEthernetは途中で通信が途絶えても、ウェブサイトの表示が少し遅れるくらいで大きな問題にはならない(TCP/IP)。

そこでGigE Visionは、そのような不安定性を克服するべく、すべての通信パケットをカメラとパソコンの両端で監視して、1つでもパケットが失われれば即座に再送させる安全なソフトウエアの仕組みを(UDP上に)作り込んだ。更には、Ethernetの規格自体も10Bから100B、そしてGigabit Ethernetと、世代を重ねるに伴ってハード面での仕様もどんどん向上した。しかし、10Bや100Bの通信性能で「不安定」という概念を持ってしまうと、どうしてもその概念から離れることが難しく、日本勢はGigabit Ethernetでのハード面での性能向上を冷静に見つめようとしなかった。

つまり、日本のカメラメーカも顧客も、2つの潮流を見逃したことになる。

1つ目は、パケットを再送するなどのソフトウエアの技術を駆使することで、通信の安定性を限りなく100%近く安定化させることができることである。これまでのアナログカメラは、ハードウエア技術として考えられていた。しかし今は違う、デジタルカメラはソフトウエアの技術である。

2つ目は、Ethernet規格のハードウエア面での性能向上がマシンビジョンに耐えうるものである、ということを冷静に解析しなかった。これまでの10Bや100Bの時代に経験した「不安定さ」、更には高品質をあまりにも大切にする思想が邪魔をして、Gigabit Ethernetがすでに十分な性能を備えたという事実に気づくのが遅れた。

世界では2005年のGigE Vision規格の制定からデジタルカメラの普及が急速に始まった。しかし、上記2つの問題を抱える日本市場は、カメラメーカそしてそれを利用するユーザも頑なにアナログカメラにこだわり続けた。ただでさえ製造装置の技術はもはや日本だけでなく、台湾や韓国を中心とするアジア勢が追い上げてくる中でコスト競争が激しさを増すようになってきた。2台までのカメラであれば10万円の画像入力ボードでよいが、4台なら2枚のボードで20万円、そして8台なら40万円と、装置内のカメラが増えれば増えるほどコストは影響力を増してくる。

ようやく日本市場が、上記の認識がすでに時代遅れであると気づいたのは2010年に入ったころである。我々は2009年から国内でのデジタルカメラの啓蒙を行ったが、2010年から一部のユーザが使い始め、それから6年が経過した今では、デジタルカメラを販売するにあたって、その安定性について説明する必要は一切なくなった。市場の普及率を見ても、世界的にはすでに2013年にデジタルカメラがアナログを超えたのに対して、国内はようやく最近になってデジタルとアナログが同等になったのではと考えている。

世界市場におけるアナログVSデジタルカメラの割合

次回はでは、本市場にもう1つの大きな変化をもたらしたセンサー素子のトレンド、CCDからCMOSへのトレンドについて紹介する。

著者紹介

村上慶(むらかみ けい)/株式会社リンクス 代表取締役

1996年4月、筑波大学入学後、在学中の1999年4月、オーストラリアのウロンゴン(Wollongong)大学に留学、工学部にてコンピュータ・サイエンスを学ぶ。2001年3月、筑波大学第三学群工学システム学類を卒業後、同年4月、株式会社リンクスに入社。主に自動車、航空宇宙の分野における高速フィードバック制御の開発支援ツールであるdSPACE(ディースペース、ドイツ)社製品の国内普及に従事し、国内の主要製品となる。2003年、同社取締役、2005年7月、同社代表取締役に就任。

同社代表取締役に就任後は、画像処理ソフトウエアHALCON(ハルコン、ドイツ)を国内シェアトップに成長させ、産業用カメラの世界的なリーディングカンパニーであるBasler(バスラ―、ドイツ)社と日本国内における総代理店契約を締結するなど、高度な技術レベルと高品質なサービスをバックボーンとした技術商社として確固たる地位を築く。次のビジネスの柱として2012年7月にエンベデッドシステム事業部を発足し、3S-SmartSoftware Solutions(スリーエス・スマート・ソフトウェア・ソリューションズ、ドイツ) 社の国内総代理店となる。