先日、同級生と現在流行りの「平成女子ブーム」について語ったのだが「あれは私たちより少し若い世代の流行りだよな」という総意を得た。
つまり考え得る限り気持ち悪い言い方をすれば、我々は世間でいう平成女子よりちょっと「お姉さん」ということである。
よって現在流行りの「シール帳」を見ても我々世代は「こんなの流行ってたっけ」としか思わない。それより「まとまる君」の消しカスを集めてまとまる君二世を生み出す作業の方がブチ上がるのだ。
しかし、その時同級生の一人が自身の娘、つまりリアル令和女子を連れてきており、彼女はご多分に漏れずシール帳を所持していた。
シール帳ブームの過熱、それに伴う問題や醜い争いのことはXのおすすめ欄等で熟知していたので、さぞ令和女子を子に持つ昭和末期中年は大変だろうと思ったのだが、大変ではあるがそこまではないようだ。
確かに流行というのは、都会と地方で大きな差がある。
まず並の流行では、我々の村に到達する前に息絶えてしまう。
シール帳ブームは我が村の令和女子にも届いている時点で、ムーンブルク城陥落をローレシアに伝えた兵士レベルの強さがある。
しかし届いたとしても都会と同じ「温度」で届くわけではない。
シールの中でも特に人気なのが「ボンボンドロップシール」であり、むしろボンボンがドロップしていなければシールにあらずの扱いとも聞く。しかしこうやって平家のたとえがくる時点で、このシールもほどなく祇園精舎の鐘の音だと思ってほしい、
まず、都会でも難しいのだから、我が村でこのボンボンドロップシールを手に入れることはかなり難しいと思われる。
ごく少数の者が何らかのルートを使って所持していることはあるだろう、私も空前のたまごっちブームのころ、中学のクラスに1人だけ所持者がいたため「覇権」という言葉を習う前に意味だけ理解してしまった。
しかし、逆に言えばその一人以外は持ってないので「持たざる者」の方が圧倒的多数派なのである。
よってたまごっち所有者を囲む層の一番外側、スコッチエッグで言えばパン粉についたコゲとして「あれって校則違反だよね?」と、他のコゲと結束することが可能なのだ。
田舎は流行に対し過熱したくても物流の問題でそこまでホットになれない上、持たざる者の比率も都会より大きいと思われるので、流行に乗り切れずクラスで無事死亡みたいな現象も少ないのではないかと思われる。
私も、持たざる者かつクラスで常に孤立しがちな人間だったが、それが流行のアイテムを持っていないせいだったか言われれば、違うと断言できる。
むしろ持っていたら、それで良くないコミュニケーションを取ろうとして、Xのおすすめ欄に登場していたと思うのでなくて良かった。
最初からない田舎に比べ、都会にはあるがゆえに余計「持たざる者」が苦しむ構図になりがちなのかもしれない。
「あるのがいけない」というのは、食い物の話だけではないようだ。
都会住みは「買おうと思えばギリ買える」から逆にしんどいかも
もちろん、Xで見かけるのは常に極端な話であり、都会の平成女子が全員シールの有無で仲間をハブり、手製のレート表を元に金銭授受を行っているわけではないと思う。
しかしトラブルが起きているのも事実であり、女子側だけではなく売る側が危険な目に遭うケースもあるそうで、ボンボンドロップシールの扱いをやめる店も出てきているようだ。
この状況が「エアマックス狩り」を踏襲しているのだとしたら平成ブームはいよいよホンモノである。
欲しい人間全員にいきわたるようにすればいいと思うかもしれないが、全ての企業がそんな任天堂仕草をできるわけもなく、シールブーム自体いつ沙羅双樹になるかわからないのだから、作りすぎるわけにもいかず、常に品薄になっているようだ。
そんな状況を狙って「偽物」も出回っているらしい。
すでに「コレジャナイ」と言われる側の中年にとっては、シールに偽物も本物もないだろうと思ってしまうが、ビックリマンシールにだって偽物があったのだから当然ボンボンドロップシールにもあるだろう。
偽物を掴まないために、公式が偽物を見分ける動画を公開しているようなのだが、見分け方が分かったことによる弊害も起こっているらしい。
その見分け方をマスターした奴が「これは偽物だね」とエーミールのように指摘してくるようになったという。
よってこういう鑑定士気取りに指摘されないために偽物を掴むわけにはいかない、という状況にもなっているようだ。
私は流行に対し、常に一番外側のコゲだったため知る由もなかったが、中心の「持ってる者」にもいろいろ苦労があったのだろう。
そう考えれば「持ってない」は一番シンプルで楽だったのかもしれない。
