「格差社会」という言葉が生まれてから久しく、日本でもその格差は開く一方だという。

私も人間としての品格という意味ではすでにザコシショウになっているレベルで低いが、それは自らの選択の果てにハリウッド化しただけであり、日本人が米の次に好きな「自己責任」としか言いようがない。

しかし、世の中には「本人の努力不足」では片付けられない格差も多く存在する。

先日「親ガチャ」という言葉が流行った通り、どのキンタマから発射され、どこの股から出てきたか、というのは人生に大きな影響を及ぼすし、母親の股間が虹色に光ったら激アツである。

まず「格差社会」の「格差」とは何かというと、目隠しして高い牛肉を当てられるかどうかではなく、多くの場合「経済格差」を指す。

そもそも高い牛肉を当てられるのも、舌が肥えるだけの経済力があったからとも言えるのだ。

どれだけ良いものを食わせても、ピエールエルメよりブラックサンダーを選ぶ場合もあるので、生まれながらの才能によるところも大きい。だが、まずそれはブラックサンダーが美味すぎるのが悪い。

学力は資質より課金?

最近では教育技術も発達してきているので、学力は本人の資質よりも「課金」の方が大事と言われてきている。

格差社会に殺されないためには、十分な収入のある職につく必要がある。そのためには学歴や資格が必要となるが、生まれた家に十分な教育を受けさせる経済力がないとそれが得られず、結局低賃金の仕事にしか就けないという負のスパイラルが起こりがちなのである。

そこから抜け出すために、経済力のない家の子でも進学ができるよう奨学金という制度があるのだが、それが実質借金なため、学歴や資格が手に入っても「数百万の借金を背負っての鮮烈社会人デビュー」を果たす者も少なくなく、返し切れず自己破産、さらに借金が保証人にシフトし一家離散など、スパイラルをさらに深刻化させるケースもある。

それでも卒業できればまだ良いほうで、奨学金を借りたものの生活費のためにバイトに明け暮れ卒業ができず借金だけ残ったという、全損事故ケースもありえる。

つまり、格差社会の下のほうから抜け出そうと思ったら本人が自己責任で大きなリスクを負わなければならず、負のスパイラル脱出チャレンジに失敗するといよいよ取り返しがつかなくなる、というのが現状である。

さすがにそれは酷すぎる、金がなくてもやる気がある人間が学べる社会でなければ人材が育たず、ますます日本の国力は低下するばかりだ。

KADOKAWAの資格報奨金と、「お金配り」の難しさ

  • 究極的には「やる気」が一番の資産と言えるかも……

    究極的には「やる気」が一番の資産と言えるかも……

そんなわけで「やる気がある奴には金を出す」と言い出したのがKADOKAWAである。

KADOKAWAといえば、私も連載をさせてもらっている出版社だ。私によこす原稿料があって、やる気のある人間に援助する金がないというのは「パンはないけどお菓子はある」と言っているようなものなので当然といえば当然なのだが、それでもかなり太っ腹なことを始めたようだ。

KADOKAWAが始めたのは、従業員が取得した資格に対し最大100万円の報奨金を出す、という制度である。対象の資格を取得した従業員に資格の難易度に応じ、1万円から100万円の報奨金を支給するそうだ。

つまり、資格取得費を出すわけではなく、従業員個人が取得した資格に対して褒美を取らせるという制度である。

だからまずその資格を取る金がないという問題がありそうだが、先払いしてしまうと「学費を振り込んだ翌日逃亡」というリスクがゼロではないし、取得できなかった場合どうするかも考えなければいけないので、取得した資格に対して払うというのが一番スムーズなのだとは思う。

ただ、それ以前に「まずKADOKAWAの社員にならなければいけない」という最大の問題があるのだが、この制度の画期的なところは契約社員や嘱託社員にも適用される、という点である。

つまり非正規雇用から抜け出す足がかりにできる、ということだ。非正規雇用どころか、KADOKAWAを足がかりに他の企業に羽ばたいてしまいそうな予感も感じるが、KADOKAWA的にはそれで日本全体の国力が上がるなら構わない、ということなのだろう。さすが私に原稿料を払う企業なだけあって、いろんな意味で寛容だ。

だが、それでもまずは自腹で資格を取得しなければならず、取得できなければ何ももらえず学費がマイナスになっただけ、という本人がリスクを負うことが前提の制度ではある。

もっと学ぶ意欲がある人間には惜しみなく金を与える制度があった方が良いという意見も多いだろうが、残念なことにお金配り制度には必ず不正受給をしようとする人間が現れるのだ。

生活保護も不正受給者が後を絶たず、審査を厳しくした結果、本当に必要な人が保護を受けられないという本末転倒が起こったように、学費も簡単に支給すると不正受給者が現れ、結局審査が激シブになる流れが容易に想像できるので慎重にならざるを得ないのだろう。

しかし、条件つきではあるが「一般教育訓練給付制度」など、資格を取る学費を国に一部支給してもらえる制度はすでに存在する。ただ、この制度を全国民が知っているかというとそうではない気がする。

まずは「学びたい奴にはこういう制度がある」ということを義務教育で教えるところからなのかもしれない。