日本維新の会の展望

民主党、自民党、そしてみんなの党を離党した国会議員が「日本維新の会」に合流するには「維新八策」の丸呑みが条件でした。「維新八策」は党の基本方針とされていますが、未確定な部分が多く、今後どう変わっていくかわかりません。それを丸呑みとは「白紙手形」を振り出すような愚行です。白紙手形にはどんな金額を書き込まれても文句が言えないのですから。裏返せば、さすが弁護士の日本維新の会 橋下徹党首。しかし、ここに「独裁」をみつけます。独裁の言葉が悪ければ「ワンマン」。彼の手法は平成型ワンマン社長の典型です。

維新に合流した「みんなの党」の国会議員は比例代表で出馬した3人。しかも解散のない「参議院議員」で残り4年の身分保障つき。安全圏から「維新」を叫ぶ彼らも、それを受け入れる「維新」にも「打算」という言葉が浮かぶのですが、独裁者やワンマンというのはカリスマ的指導者1人によって成り立つものではなく、数多くの打算により従うイエスマンが支えて生まれることは、ナチスを紐解くまでもなく明らかです。

民主的プロセスを大切にする社長

東日本を中心に物流網を展開するN社のC社長。創業者の二代目にあたりますが血縁はなく、先代に気に入られ養子縁組をし、家と会社を相続します。気さくで人当たりが良く、弁も爽やかで非の打ち所がないという評判です。そしてC社長自身も「話し合い」と「みんなの意見」を大切にすると広言し、典型的なワンマン社長だった先代との違いを強調しています。社長の命令一下で動く、上意下達の指揮系統をあらため、毎週一回はかならず会議を開き、支店や遠隔地にいるものは「スカイプ」でつなぎ意見を求めます。緊急案件があれば、臨時会議を開き、最低でも3人以上出席しなければ決定を下さないように内規として定めます。

その上でワンマン時代の「中央集権」ではなく、各部署に裁量を与え、責任も持たせる「地方分権」で組織全体を活性化させる方針を打ち出します。橋下徹党首の言葉を借りれば「グレートリセット」です。

民主的手法の落とし穴

ところがリセット後のN社を支配したのは、先代以上の「独裁政治」でした。話し合いは欠かしません。週一回の会議にも欠かさず出席します。電子メールやツイッターを通じて、直接現場の社員とも意見交換をし、提出されたアイデアを頭ごなしに否定などしません。しかし、C社長が気に入らない提案が通ることもありません。会議の席で「あくまで個人的な意見」と断った上で、疑問や不安、ときには道義的責任や社会的状況を持ち出して否定的な意見を述べるのです。その上で、役職の高い順番に意見を求めていきます。社長が否定したあとに肯定的な意見を述べる役員はいません。それはもともと「ワンマン社長の家来」だからです。提案者以外の全員がC社長にお追従した意見を述べた後に採決をとるので当然のように否決されます。

平成型独裁者は話し合い、多数決といった民主的なプロセスを大切にします。それは自分が望む結論に至るように仕組みを作るからです。「臨時会議」を3人以上の出席と定めるのは、民主的な手続きというカモフラージュで、本人のほかに「腰巾着」を2人集めるだけでなんでも決定できてしまう仕組みです。「平成型独裁者」は成立過程に「民意」を織りこむことで、賛成者の「同意」という契約を取り付け、伴う責任を分散し責任の重圧から身をかわすのです。その結果、先代以上の独裁政治となった「ワンマン0.2」です。そして提案など考えず、頭を空っぽにして従っていれば給料が貰えると打算するイエスマン達が彼を支えます。その姿は選挙のことだけを考えて、志を置き去りにする国会議員に似ています。

昭和の時代の独裁者…もとい、ワンマン社長は傲慢を隠しもしませんでした。いまでいうとあの新聞社の名物主筆に名残を残します。敵対すれば鬼、悪魔の類に見えたとしても、それはすなわち「責任の所在」を明らかにしていることでもあります。平成の独裁者との違いです。

ヒトラーにはなれない橋下党首

橋下徹党首は日本維新の会に合流した国会議員に「白紙手形」を切らせることで党や党首の決定に「ノー」を封じ、その手続きとして「公開討論会」を開き「同意」という契約を取り付けました。これにより「透明性」があると参加者と塾生、そして有権者に錯覚させる狙いもあったのでしょう。また「橋下ベイビーズ」と揶揄される傘下の塾生たちとは、みずからの考えに賛同したものだけを集めた生粋のイエスマン。「平成型ワンマン社長」は民主的プロセスを独裁のためのツールに使います。そもそも民主的プロセスとは危ういもので、「ヒトラー」は民主的な選挙の結果に生まれているのですから。

もっとも、橋下徹さんがヒトラーになるかといえば明確にノーと言えます。彼は致命的な政治的失敗をしても「ゴメンナサイ、辞職します」とその場から逃げ出すタイプでしょうから。テレビタレント時代の舌禍事件も「自主降板」だったように。ヒトラーのように命がけで狂気の道を進むことはありません。

また、彼は「法」を武器とした弁護士であり、法治国家においては「失政ぐらいで命は取られない」と高を括っている面も透けて見えます。国政進出に際しての記者会見でも「命がけ」といったすぐ後に、「命は取られない」と言質を与えまいとするところなど、いまでも立派な「弁護士」です。

エンタープライズ1.0への箴言


「独裁を仕組み化すると民意すら操れる」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。

筆者ブログ「マスコミでは言えないこと<イザ!支社>」