あの頃も今も、コンピュータは楽しい機械です。仕事でも趣味でも、コンピュータとともに過ごしてきた読者諸氏は多いことでしょう。コンピュータ史に名を刻んできたマシンたちを、「あの日あの時」と一緒に振り返っていきませんか?

最初はやっぱりコレでしょう。国民機と呼ばれたNEC「PC-9801」

本コラムの第1回、どの名機を取り上げるか悩みましたが、やっぱりコレは外せませんよね。NECの「PC-9801」です。

PC-9801とオプション類
(写真提供:NEC)

1982年(昭和57年)10月13日、日本電気(NEC)と新日本電気(NECホームエレクトロニクス、2001年2月解散)は、16ビットパーソナルコンピュータ「PC-9801」を発表しました。16ビットの夜明け、後に日本の国民機とまで呼ばれた「PCキューハチ」の誕生です。

搭載していたCPUは、インテル「i8086」コンパチブルの「μPD8086」でクロックは5MHz、RAM(メモリ)128KB、価格は298,000円、販売目標は年間7万台でした。マーケティングメッセージは「新発売でも即戦力」。

ハードウェアが発売されても、使えるソフトウェアがほとんどないマシンもあった時代です。しかし、同社はすでにヒットを飛ばしていた洗練の8ビット機「PC-8001」(79年9月発売)のN-BASIC、「PC-8801」(81年12月発売)のN88-BASICで開発されていた豊富なソフトウェアを、PC-9801に標準搭載したN88-BASIC(86)とオプションのN-BASIC(86)で互換利用できることをアピールしたのです。当時は、プログラム言語のBASICが全盛期。PC-9801付属のリファレンスマニュアルも、BASICと機械語について、詳細に記述されていました。ユーザーの気持ちに立った戦略の勝利です。

さて、1982年のソフトウェア日本市場は、200億円に満たない創成期でした(現在の市場規模は2兆円超ともいわれており、その1%未満です)。翌年の1983年から、PC-9801専用のソフトウェアが次々と開発されます。

特にゲームの分野では、PC-9801に搭載されたグラフィックスコントローラLSI「μPD7220」が効果を発揮し、640×400ドットの画面で8色カラー表示できることは革新的でした。飛行機操縦ゲーム「フライトシミュレータ」(日本ソフトバンク、81年創業、現ソフトバンク)に代表される、グラフィカルなゲームが次々と発売されました。1983年は、創業時の資本金200万円だった光栄(現コーエーテクモホールディングス)が、あの「信長の野望」を発売した年でもあります。

PC-9801のカタログ(資料提供:NEC)、クリックで拡大

PC-9801との出会い

PC-9801を筆者が初めて見たのは、1982年10月19日から開催された「データショウ'82」です。ここでPC-9801が展示され、技術者やパソコン好き(マイコニスト)が、先進の16ビットパソコンを目指して東京都・晴海の会場に押し寄せました。筆者も晴海に出かけ、大行列の中でPC-9801を遠くから眺めたものです。

翌月から各マイコンショップで展示が始まり、竣工したての新宿NSビルで開催された「NECパソコンフェア」に出向き、やっとPC-9801に触れることができました。キーボード配列でINSキーとDELキーが分かれ、BSキーとXFERキーの見た目に感動し、電源投入時の「Disk version How many files(0-15)?」が5秒ほどで表示され、そのスピードと文字の綺麗さに、16ビットのすごさを目の当たりにしました。キー入力とすばやい表示、その反応速度、ただそれだけで感動です。

1982年10月、あの日あの時

花の82年組という、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、早見優、堀ちえみなど、人気女性アイドルたちがデビューした年です。前述の新宿NSビルでPC-9801を見ると同時に、デビュー曲「潮風の少女」を歌う堀ちえみの握手会に参加し、熱狂……。

また、PC-9801が発表された1982年10月は、パイオニアから絵が出るカラオケ「レーザーディスクカラオケ LD-V10」が発売され、後のカラオケブームを生み出します。絵が出ないカラオケなんて、今では考えられませんね。筆者は、目黒にあったパイオニアのショールームで、レーザーディスク映画「エイリアン」を何度も何度も視聴しました。光り輝くレーザーディスクとSF映画がシンクロし、未来を疑似体験しながら興奮できたのです。

また同月、アニメ作品「超時空要塞マクロス」のテレビ放映が開始されます。劇中設定では、2009年にマクロスが宇宙へ旅立ち、ロボットに変形する可変戦闘機、バルキリーVF-1が配備されています。現実の世界でも、成長のスピード感と伸び率から、30年後の2012年には、誰もが宇宙旅行できると思えた時代です。

時は流れ2014年を迎え、OAやマイコンという言葉は日常化して消え、秋葉原の電気街は家電・パーツ・パソコンから様変わりし、アニメとアイドルとの融合、そしてホビーを巻き込んで成長しています。PC-9801がデビューした1982年は元気な時代であり、未来に近づくテクノロジーやアイデアが芽生えた、1つのターニングポイントだったのではないでしょうか。

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