超特太ならではの悩み

1975年(昭和50)年秋に開催された第4回写研フェアで、「ゴナU」が発表された。人気書体ナールのデザイナー・中村征宏氏による、超特太角ゴシック体だった。

「ゴナU」は、当時の写植書体としてもっとも太いウエイトだった。このため「制作過程でいくつかの悩みに直面した」と監修した橋本和夫さんは語る。

「一番悩んだのは仮名でした。とくに『さ』『き』の文字。2画目と3画目(『き』の場合は3画目と4画目)はつなげる書体が多く、ナールもそういうデザインになっています」

  • ナールの「さ」「き」はつながったデザイン

「ところがゴナUのような超特太のウエイトでこれをやろうとすると、太すぎて隙間がなく、うまくいかない。じゃあどうするかと考えてたどりついたのが、その筆脈を切るというデザインでした」

  • ゴナUの「さ」「き」は筆脈を離した

たしかにこの筆脈をつなげていたら、ゴナUの線の太さを保ちながら折り返すことは不可能だ。切ったからこそ線は太さを保つことができ、フトコロの広さも確保されている。

「次に悩んだのが『な』という字です」

いまでは「ゴナ」といえば「な」を思い浮かべるほど、書体として特徴的な存在となっている仮名だ。その形も、実は悩んだ末にたどりついた結果だったという。

「ゴシック体の場合、ふつう『な』の3画目と4画目は離します。ゴナUも最初は通常の形でデザインをしたんですが、ゴナのデザインにどうしても合わなかった」

最初に試したという貴重な「な」は、『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』(*1)に掲載されている。この本はゴナUの発売と同時期に発行されているため、本書編集中はまだ前段階の字形だったのだろう。

  • 『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』掲載のゴナU

「どうしたら……と悩んだ結果、3画目と4画目をつなげる形になったんです」

こうして誕生したゴナの「な」は、同書体を特徴づける形となった。3画目と4画目がつながっただけでなく、3画目が水平に引かれたことで、横のラインがより美しくそろい、モダンな雰囲気を生み出した。

  • ゴナUの「な」は3画目が特徴的。このデザインが水平のラインを美しく出す

「『さ』『き』も『な』も、理由があってこの形にたどりついています。しかしフトコロの広いタイプの後発ゴシック体では、理由をふまえず、見た目だけで同じ形にしているものもある。それは違うのではないかなと思いますね」

ゴナは、濁点の位置も個性的だ。「が」を見ると、ふつうの発想ではそこには置かない、という場所に置かれている。3画目の上に濁点がのっているのだ。

  • 濁点の位置が独特なゴナUの「が」
    『写研38』(1976年2月14日発行)より

「中村さんはもともと図案文字を描いていらしたのか、文字をデザインするアイデアの処理がとてもうまい。さすがデザイナーだなあと思います。だから中村さんには、その後もいろいろな書体のデザインを依頼したものです」

12書体の大ファミリーへ

ゴナUは発売されるや、多くの雑誌や広告で使用されるようになっていった。力強く強烈なインパクトをもちながら太さを感じさせず、やわらかな味をもっていた。組んだときのラインが美しく、明るく洗練された印象を誌面に与えた。

1976年(昭和51)8月に創刊された平凡出版(当時/現・マガジンハウス)の雑誌『POPEYE』の2号では、ゴナUが大活躍だった。その書体使用方針について、デザイナーの新谷雅弘氏はインタビューでこう語っている。

〈文字は使われてこそ生きると思うんです。どんどん使われていい書体が残っていく。常に状況が変わっていくのだから文字もどんどん変わっていくのが当然だと思いますよ。時代を象徴している文字があって、時代のテンポと共にあゆんでいくと思うんです。ゴナUが出たときは、写植屋さんに強引に頼みましたよ。雑誌だけでなく、不動産広告とかいろんな分野で使われるから買ってくれといってね。 物を断定的にいいたいときにタイトルをゴナUにしています。大声出していうんではないけど “こうだ” といいきる言葉が多いので編集サイドでも好評ですよ〉『写研40』1976年より(*2)

ゴナUは20級(5mm角)以下では文字がつぶれやすかったため、1979年(昭和54)には小見出しにも使えるゴナEが中村氏によって制作された。同じく1979年(昭和54)に袋文字のゴナO、1981年(昭和56)に袋文字でシャドーのついたゴナOSが発表された。さらにその後、写研社内でチームが組まれ、1983年(昭和58)にはゴナL、M、D、DB、Bが、1985年(昭和60)にゴナH、LB、INが発表されて、全12書体のファミリーが完成。本文から大見出しまで対応可能となった。ファミリー化のチームを率いたのは鈴木勉氏。橋本さんは制作をサポートしつつ、その監修にあたった。

  • 本文から大見出しまで対応可能なゴナファミリー

1970年代がタイポスとナールの時代なら、1980年代はゴナの時代だった。ゴナは、時代を象徴する書体となった。

(つづく)

注) *1:「文字に生きる」編纂委員会編集/写研 発行/『文字に生きる〈写研五〇年の歩み〉』1975年11月11日発行/P.130 *2:「新刊雑誌展望」『写研40』(写研)1976年11月20日発行 P.45

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。