原字をどう描くか

橋本和夫さんは、写研の創業者・石井茂吉氏が亡くなった1963年(昭和38)以降、1995年(平成7)に60歳で同社を退職するまでの30年以上のあいだ、ほとんどすべての書体を監修した。

ここまででいくつか具体的な書体制作の舞台裏について触れてきたが、ここであらためて、橋本さんが原字部門の責任者だったころの文字のつくり方について聞いてみたい。

「原字制作はまず、薄手の原字用紙に鉛筆でスケッチをするところから始めます。用紙のサイズは48mm枠と80mm枠の2種類でした。48mmのほうは、本文用書体または見出し書体を描くときに使います。80mmは、極太書体や特殊な書体のときに使っていました」(橋本さん)

スケッチを終えると、それをライトテーブルにのせて、さらに厚手の原字用紙を上にのせる。こうするとスケッチが透けて見えるので、原字用紙上に文字のアウトライン(輪郭)をトレースしたあと、中を塗りつぶしていく。アウトラインをとるところから、中を塗りつぶすまでの作業を「墨入れ」という。

「アウトラインをとる道具は、烏口と雲形定規を使う人もいれば、品印という細い面相筆を使う人もいました。面相筆を使う場合は、溝の入った直線定規を使って『溝引き』をするんです。文字は、直線だけではなく、さまざまな曲線で構成されています。雲形定規を使う場合は、ひとつひとつの曲線に合うカーブを定規から見つけて、そのカーブをあてながら烏口で線を引いていく。一方、溝引きは、利き手に筆とガラス棒を同時に持ち、定規の溝にガラス棒を添わせてガイドにしながら線を引いていく。こうすると、微妙な曲線も手で調整しながら引けるんですね。人によって得手不得手がありますので、雲形定規でも溝引きでも、各自の得意な方法で行っていましたが、完全にフリーハンドのみで描く人はいませんでした」

ちなみに橋本さんは、いまでも原字を描くときに溝引きの手法を使うが、現在は筆ではなくサインペンや筆ペンを用いるのだそうだ。

「いまは良い道具がたくさんありますからね。多彩な道具でずいぶん楽になりました」

  • 橋本さんが現在使っている道具。左から、溝引き用の溝差し、サインペン、筆ペン2種類、シャープペンシル、ホワイト用の小筆、墨入れ用の面相筆(品印)

作業を始めるときの伝統

墨入れには、墨汁を使っていたのだろうか?

「写研では墨を擦って使っていました。各自、小さな硯を持っていて、作業を始めるときに水をすこし注いで、まず墨を擦りました。墨を擦るには10分から15分ぐらいはかかります。墨汁を使えば注ぐだけだから、時間短縮になりますよね。新しく入った人には『どうしてこんなことをやるのか』とよく言われました。すでにインクとペンを使っている会社もあったのですが、写研では、墨を擦ることが伝統になっていたんです」

墨の種類にもこだわりがあったのだという。

「松煙墨(しょうえんぼく)と油煙墨(ゆえんぼく)があるんですが、油煙墨のほうが粘るんですね。一日中ずっと原字を描くのに、途中で粘ってしまったら、描けなくなってしまいます。だからできるだけさらさらした、粘らない墨を使う。写研では松煙墨を使っていました」

頭のなかの文字を描く

原字制作では、鉛筆のスケッチをむずかしく感じる人と、そうは感じない人がいるそうだ。

「鉛筆のスケッチをむずかしいと感じる人は、その段階で完璧な下描きをして、そのとおりになぞってアウトラインをとろうと考えている人です。一方で、スケッチをそこまでむずかしいと感じない人は、鉛筆ではある程度のところ……、概念を描いておいて、修正しながらアウトラインを描いていく人です。おそらく、後者のほうが多いのではないかと思います」

鉛筆でのスケッチは、線に多少あやふやなところがあっても成り立つ。しかし墨でアウトラインをとるときには、きちんと形を決めていかなくてはならない。

「原字を描く人は、描いたり消したりしながら原字をつくっていくわけではありません。『描く』行為ができるということは、その時点ですでに、頭のなかに文字の形があるということなんです。ただ、実際に描いてみたら丸みが強すぎたというような、『消して直す』作業が出てくるというだけ。『あ』なら『あ』という文字の形が、頭のなかにある。それをどういうスタイルで描くのかという話です」

「文章も同じですよね。文章は、まず頭のなかで構成したものを、パソコンや手書きで文章として定着させているわけです。つまり、文章を書くという作業は、ほとんど頭のなかで行っている」

そして描く・書くときだけでなく、文字を評価する際にも、対象となるものが頭のなかに入っていることが必要だという。

「自分の頭のなかにあるものといかに合致するかによって、対象の良し悪しを判断し、評価するわけです。だから評価能力を上げたいときには、頭のなかの引き出しをできる限り増やさなくてはいけない。制作にあたってよく『いろいろなものを見なさい』と言われるのは、そういうことなのだと思います」

(つづく)

話し手 プロフィール

橋本和夫(はしもと・かずお)
書体設計士。イワタ顧問。1935年2月、大阪生まれ。1954年6月、活字製造販売会社・モトヤに入社。太佐源三氏のもと、ベントン彫刻機用の原字制作にたずさわる。1959年5月、写真植字機の大手メーカー・写研に入社。創業者・石井茂吉氏監修のもと、石井宋朝体の原字を制作。1963年に石井氏が亡くなった後は同社文字部のチーフとして、1990年代まで写研で制作発売されたほとんどすべての書体の監修にあたる。1995年8月、写研を退職。フリーランス期間を経て、1998年頃よりフォントメーカー・イワタにおいてデジタルフォントの書体監修・デザインにたずさわるようになり、同社顧問に。現在に至る。

著者 プロフィール

雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター、編集者。1971年生まれ。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『描き文字のデザイン』『もじ部 書体デザイナーに聞くデザインの背景・フォント選びと使い方のコツ』(グラフィック社)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)、『活字地金彫刻師 清水金之助』(清水金之助の本をつくる会)、編集担当書籍に『ぼくのつくった書体の話 活字と写植、そして小塚書体のデザイン』(小塚昌彦著、グラフィック社)ほか多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。

■本連載は隔週掲載です。