今年の5月の大型連休はどこにもいかずに東京の自宅でのんびりしていた。あまり天気がいい日が続くものだから、つい昼間から屋外でビールを飲めるところはないかと近くを捜し歩き、適当な何カ所を見つけてそこに日替わりで入りびたりという毎日であった。割高の料金を払って混雑する行楽地に行くより満足度という点ではずっとコストパフォーマンスがよいし、何しろビアガーデンまでの道のりは徒歩で行くので健康増進にもなる。

「飲ん兵衛というのは、なぜいつもこうして飲む理由を正当化したがるのだろうか? 昼間から酔っぱらってしまうことに対する後ろめたさがあるだけいいか?」、などとどうしようもないことを考えていたら、ふと私が所有しているパーツのコレクションを思い出した。家に帰って整理してみると、CPUだけでもいろいろ集まった。興に乗って世代ごとに並べてみるとなかなか壮観であるので思わず写真を撮った。写真撮影ついでに今までに書いたCPUの話の総集編を世代ごとに書いてみることにした。

著者所蔵のAMDのCPUの面々:それぞれの時代でAMDを支えたCPUの猛者たちが一堂に会した。1つひとつが威風堂々とした顔を持っている

総集編ではそれぞれの時代でAMDを支えたCPUを世代ごとに簡単に解説するが、これらはすべて私がすでに書いた話に述べられているので、過去の章のリンクもつけておいた。お時間があれば是非そちらもご参照願いたい。

各CPUの写真の横に簡単なCPUデータも記しておいた。ほんの20年間における半導体技術の目覚ましい発展を概観することができるだろう。

1. 第2世代「80286」:AMDとインテルの蜜月時代最後のCPU - そして両社は果てしない戦いに突入

80286はインテルがその後CPUの、というか半導体業界の巨人になることのきっかけとなった重要な製品である。現在でもインテルは業界トップの半導体メーカーである。

発表:1984年
ビット幅:16ビット
動作速度:8MHz
トランジスタ数:13万4000個
プロセスルール:1.5μm(1500nm)

インテル・ブランドの"i"が付いた貴重なAMD CPUの写真である。最初のころはインテルのOEMのような形で市場に供給していたのだろう。後に出る製品はAMD286としてマーキングされている

インテルは前世代機種「8086」がIBMのPCに採用される際に、モトローラの優秀なCPU「68000」の追撃をかわすためにAMDと共同戦線を張ることを決めその話をAMDに持ち掛けた(最初はNational Semiconductorに持ち掛けたが、相手にされなかった)。その当時インテルのグローブと親交のあったAMDのサンダースは二つ返事で引き受けた。かくしてAMDはインテルCPUのライセンス・パートナーとなった(その後の大きな離婚騒動になるとは知らずに…)。80286は8086の後継機種で、インテルがPCの中心演算装置(CPU)メーカーとしての確固たる地位を確立するのに大いに貢献した製品である。この辺のいきさつは拙稿「80286からAm486まで、インテルとAMDの確執の起源」あるいは「IBM PC誕生秘話」をご参照願いたい。AMDはライセンスされた80286に改良を加え、結局市場シェアでインテルを抜き去った。AMDを疎んじたインテルは後継機種32ビットの80386のライセンスをAMDにしないことを極秘に決定、AMDを市場から振り切る作戦に転じた。待てども来ないライセンスに業を煮やしたAMDは仕方なく386を独自で再設計しなければならず、インテルから大きく後れを取る結果となった(この間インテルはAMDに対してライセンスをちらつかせ、鼻から使うつもりもない周辺チップをAMDに開発させていた!!)。

2. 第3世代「Am386」:AMD渾身のリバース・エンジニアリングで戦線復帰

時代は16ビットから32ビットに急速に変わっていた。前述の通り80386のライセンスはインテルからなされず、契約違反だとしてAMDはインテル相手に訴訟を起こした。訴訟は成立したが裁判中はライセンスがないのでAMDは独自開発の80386を設計することを決意。30万個近くのトランジスタを集積したCPUを設計図なしで再設計するリバース・エンジニアリンクのプロジェクトを立ち上げた。その頃の様子は今でもありありと覚えている、拙稿「AMD 80386のリバース・エンジニアリングに着手」をご参照されたい。その後AMDがAm386で戦線復帰すると見るやインテルはすかさずマイクロコードの著作権侵害でAMDに対し訴訟を起こした。しかし訴訟が進む中でもAm386の採用は進んでいった。この裁判は、二転三転の裁定が下りたが、最終的にAMDが勝訴した。この辺の事情については拙稿「AMDとインテルの法廷闘争の歴史」をご参照。

発表:1991年
ビット幅:32ビット
動作速度:20-40MHz
トランジスタ数:27万5000個
プロセスルール:0.8μm(800nm)

Am386はなぜか手元に見つからないので、この写真はいつもお世話になっている長本尚志氏よりお借りした (写真: 長本尚志氏)

CPUの拡大写真を体育館一杯に何千枚も並べて、なんとそのロジック設計を目視で読み込むという途方もないプロジェクトでAMDのリバース・エンジニアリング技術チームを率いたのはベン・オリバー(Ben Oliver)である。ベンはAm386を1991年に見事完成、一躍AMDの全社的ヒーローとなった(「Am386完成。ベンよくやった!!」ご参照。各ブロックを機能の要素ごとにライブラリから読み込んできてレイアウトする完全CADベースの現在の半導体回路設計現場からは到底想像できない作業である。もっともこのころのAMDのCPUエンジニアたちは、ALU、レジスタファイルなどのCPU内部を4ビットに区切った素子でもって自由に設計できるマイクロプログラム型ビットスライスLSIの製品をサポートしていた経験があり、このような作業は手慣れていたのかもしれない。どちらにしても何十億個というトランジスタが集積される現在のCPU(これが誰もが使うスマートフォンに搭載されている!!)設計からは想像できない古き良き時代である。

3. 第4世代「Am486」:AMDのリバース・エンジニアリングチーム最後の製品

Am386でx86市場への復帰を果たしたAMDはすでにリバース・エンジニアリングでの80486の開発を進めていた。私の記憶では、前の経験もあってかAm486は非常に短期間で完成にこぎつけたと思う。ただしライセンス契約の有効性を主張していたAMDとしてはインテルのマイクロコードを使用していたので、発表直後に敗訴の裁定が出て出荷停止になった。これに対抗してAMDは独自開発のマイクロコードを格納したAm486を発表(まさに執念である!!)。Am486はほどなくしてAMDの屋台骨を支える定番製品になった。マイクロコード著作権についての裁判も逆転勝訴し、晴れてAMDはCPUでインテルの向こうを張る競合として完全に息を吹き返していた。

ぴったり後を追いながら差を縮めるAMDをインテルは第5世代CPU「Pentium」で振り切ろうとする。そこでAMDは完全独自アーキテクチャのK5でインテルを一気に抜き返す非常に野心的な積極策に出たが、そこに落とし穴があった。

発表:1993年
ビット幅:32ビット
動作速度:25-120(4倍速)MHz
トランジスタ数:160万個
プロセスルール:0.35μm(350nm)

私が所蔵しているAm486にはもはやWindowsのロゴは見受けられない。AMDのCPUは完全互換だということが発表から間もなくして浸透した結果であろう。この辺の事情については拙稿「パッケージにWindowsのロゴをあしらったAm486」をご参照

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
・連載「巨人Intelに挑め!」を含む吉川明日論の記事一覧へ