2023年7月12日に設立40周年を迎えたワコムが、これからの展望を示す場としてメディアラウンドテーブルを開催した。
近年話題の生成AIにも関わるデジタル証明書技術「Wacom Yuify」をはじめとした今後の方針について、井出信孝代表取締役社長兼CEOが自ら語った。
すでに日常に溶け込んでいるデジタルペン技術
PCはキーボードによるテキスト入力で操作するのが主流だった1984年に、世界初のコードレスペンタブレット「WTシリーズ」を発売したワコム。1983年の設立以来、デジタルペンによる直感的なインターフェースの開発と提供を続けてきた。
現在、世界150以上の国と地域でワコムのペンタブレットが使用されており、映画制作から工業デザインまで幅広い分野で活躍している。また、デザイナー、マンガ家やイラストレーターなどのプロクリエイターだけでなく、趣味でのユーザーも多い。
近年では、教育現場や電子化された各種証明書、カードの電子サインなどにもワコムのペン技術が使われており、ペンタブレットを持っていなくても、実はワコムの技術に触れたことがあるという人は多いのではないだろうか。
創作の証を発行する「Wacom Yuify」
デジタル作画の作品において、クリエイターが盗用や無断使用を防ぐために、ウォーターマークを入れることがある。そんなウォーターマークのように、作品のクリエイター情報を目に見えない形で作品に記録する「Wacom Yuify」について発表があった。
「Wacom Yuify」は、クリエイターが描いたものに対してマイクロマークスと呼ばれる目には見えないマーキングを施し、「誰が、いつ、どのように描き、ライセンスを許諾しているかどうか」などの情報が記録されるもの。現状はローンチ前だが、利用料は無料で公開する予定だ。
マイクロマークスは、その一つひとつがブロックチェーンと繋がっており、作品の一部を切り抜いて使用した場合でも、記録された情報が有効となる設計。それらの情報は特殊なスキャンによって取得できるようにする。
現在、Wacom Yuifyは欧州のアートコミュニティにてベータ版のフィードバックを得ている段階。今後は、イラスト・マンガ制作で多く使われるセルシスの「CLIP STUDIO PAINT」に実装し、ユーザー目線ではいつもの制作環境の中でWacom Yuifyのサービスと繋げられるようにしていきたいとした。
デジタルコンテンツの情報信憑性を証明する技術は他社にも類似するものがあるが、Wacom Yuifyはそれにプラグインとして活用できるような形態をとっており、混在による衝突などは起こらないと考えているという。国や地域によってサービス形態は異なるが、2024年を目途に何らかの形にしていく予定だ。
井出社長は「まずは使っていただいて、クリエイターさんたちのより深いニーズを認識して、それに応えるような、もしくはその期待を超えるようなサービスやコンテンツにしていきたい」とした。
近年注視されている生成AIに関わる機能については「距離感を考えているところ」と前置きしたうえで、「AIに(自作のイラストなどを)学習されないようにするデータを入れる機能」、あるいは「AIに学習されたとしても自作イラストの取り込みを証明できるような技術」など、具体的な方策は今後検討すると語った。
ビジネスモデルの確立、つまり使用料による収益化は、ニーズに応えられるような技術になり、証明以外の付加価値をクリエイターに提供できるようになってから臨みたいと話した。
XR空間に「創造的なクリエイションの場」を提供
開発中のアイテムとして「Wacom VR Pen」のデモ映像も公開した。将来的にメタバース空間における直感的なインターフェイスツールとしての活用を目指しており、仮想空間での立体的な描画が可能となる。
Wacom VR Penはワコムの年次イベント「コネクテッド・インク」でも2020年、2021年にプロトタイプを展示していた。井出社長によれば、Wacom VR Penの開発は「最終段階まで来ている」とのこと。
さらに、クリエイターが自由にクリエイションできる場として、「Metamorphosis(メタモルフォーシス)」というワコムオリジナルのVR空間を、VRChat上に立ち上げている。Wacom VR Penが実用化されたら、クリエイターがそれを使ってメタモルフォーシスで自由に創作し、集える場として発展させていきたいとした。
また、クリエイターの筆跡や癖などを分析して視覚化した「KISEKI ART」も展開。CLIP STUDIO PAINTのセルシス、ディープラーニングの研究開発で知られるPreferred Networksとの協業プロジェクトだ。
指紋や声紋のように、ひとりひとりが持つ唯一無二の“絵紋”を作家の創作の軌跡から抽出することも目指す。オリジナル作品ではもちろんだが、「名画の模写」のような完成の見た目が近い作品においても“絵紋”は違っており、作家の個性が如実に表れるという。
今後数年ですべてのペンタブ・液タブをリニューアル
最新のプロダクトでは27インチの「Wacom Cintiq Pro 27」が昨年10月に発売されているが、今後数年でほぼすべてのプロダクトをリニューアルしていく予定。「Wacom Cintiq Pro 27」ではペンの設計を一新しているが、今後もすべてのプロダクトで刷新を行っていく。
近年ではコロナ禍の影響でリモートワークでの制作作業が行われるようになった。その一方で、リモートデスクトップにおける描画の遅延が大きな課題となっている。
ワコムの技術が実装されたリモート環境ソリューション「Project Mercury」はリモート環境に最適化されており、ペンによる描画に関して専用の通信路を確保することで、遅延の大幅な改善を実現。そのうえで、手元のPCの描画データとリモートのデータをミックスすることで、遅延をユーザーに体感させない設計だ。
このソリューションは2023年NABショーのプロダクト・オブ・ザ・イヤーを受賞。現在は、『THE FIRST SLAM DUNK』制作現場など、企業でのベータ版導入を開始している。
教育方面ではZ会と協力し、デジタルインク技術を使った商用教育サービスを開始。答案の筆跡を解析することで、「どこで迷い、つまづいたのか」が色付けされてわかるようになっているため、復習のポイントを見つけやすく、効率的に学習を進めることができる。 また、これまで学習で書いてきたペンの筆跡を距離に換算する「インクジャーニー」では、スランプで成績が上がらないときも、努力の結果が目に見えることで学習へのモチベーションにつなげる。
パイロット社のロングセラー筆記用具「Dr.Grip」をベースとしたデジタルペン「Dr.Grip Digital」も開発中。筆記具メーカーが持つ「書きやすさ」「持ちやすさ」といった長年の知見にワコムの技術をかけ合わせることで、より豊かなクリエイションに繋がっていくと考えているという。
身近なデバイスでは、Galaxy S23 Ultra対応の「S Pen」や「Xiaomi 第二世代 Pen」など、さまざまなスマホやタブレット端末に付属するペンなどを継続してサポート。
ワコムで展開されている多岐にわたるプロダクトや技術などが、今後リリースされるものも含めて紹介された。
「クリエイションという体験において、いろいろな変化のダイナミクスが起こってくる。その中でそれぞれの局面に合わせた技術を用意していき、クリエイターと並走していきたい」と井出社長は話し、技術先行ではなくクリエイターファーストで、今後もあらゆるニーズに応えていきたいと語った。