2023年4月15日から19日にかけて、米国ネバダ州ラスベガスにて開催された世界最大の電子メディア展示会「2023 NAB Show」(NAB 2023)。今年で100周年を迎えるNABには、放送・シネマなどの業界関係者が世界中から集まり、1,000社以上の出展企業が最新技術を来場者にアピールしました。日本メーカーでは、キヤノンの現地法人が「SPADセンサー」を搭載した超高感度カメラを世界で初めて展示したのがトピックといえます。日本でも「光の軌跡が撮れる!?」とSNSで話題になった新センサーの実力はどれほどのものか、取材しました。

  • 2023年中の発売を目指して開発が進められているキヤノンのSPADセンサー搭載超高感度カメラ「MS-500」。4K放送用カメラ対応ポータブルズームレンズ「CJ45e×9.7B」を装着していた

光の粒を一つひとつ数えられるSPADセンサー

今回キヤノンUSAが展示したのは、SPADセンサーを搭載したレンズ交換式の超高感度カメラ「MS-500」の試作機。プレスリリースでは「世界最高画素数の約320万画素(総画素数約320万画素/有効画素数約210万画素)1.0型SPADセンサーを搭載」とアピールしています。SPADセンサーといえば、少し前に「光の軌跡が撮れる!」とSNSで話題になった技術です。イメージセンサーと聞くと、カメラなどに搭載されるCMOSセンサーを思い浮かべますが、SPADセンサーはCMOSセンサーとは何が違うのでしょうか?

  • NAB 2023のキヤノンUSAブース。放送機器やシネマカメラなどの映像ソリューションを展示。超高感度カメラは「政府」向けの展示の一角で紹介していたのが興味深い

  • SPADセンサー搭載超高感度カメラ「MS-500」。カメラ自体は箱形のデザインを採用する

【動画】SNSで「動画を見ても理解が追いつかない 」と話題になったSPADセンサーの解説動画

  • SPADセンサーなら、このように光の軌跡が撮れる

SPADセンサーをシンプルに解説すると、光の粒(光子)を一つひとつ数えることができるイメージセンサーです。画素に一定時間たまった光の量を測るCMOSセンサーとは原理が異なり、SPADセンサーは画素に入ってきた光の粒を数える「フォトンカウンティング」という仕組みを採用しています。画素に光子が入るとすぐ電荷に変換され、その電子があたかも雪崩のように増倍し、大きな電気信号として取り出されます。光子一つひとつを電気信号に変えるため、原理的に電気信号にノイズが入らず、暗い場所でもわずかな光を検出し、ノイズの影響を受けずに被写体を鮮明に撮影したり、対象物との距離を高速・高精度に測定できます。

  • 一般的なCMOSセンサー(左)とSPADセンサー(右)の概念図。SPADセンサーは「半導体基板に形成したダイオードの両端子に高電界を印加しておくことで、ダイオードに光子が入射した際に雪崩増倍を発生させ、この雪崩増倍の発生した回数をカウントすることで入射光の量を計測できる」という

  • SPADセンサーを搭載した試作カメラで撮影した動画から静止画を切り出した撮影例。こちらは、室内で撮影したカラー画像

  • こちらは、星の出ていない闇夜(0.007lux程度)よりも暗い0.002luxの条件下で撮影した画像

  • こちらは、肉眼では周囲が認識できないほど真っ暗な0.0003luxの環境下で撮影した画像

一見すると欠点のない素晴らしい技術に思えますが、SPADセンサーの開発には高電圧の印加が必要で、消費電力やノイズの課題だけでなく、各画素に回数をカウントするためのカウンターなどが必要となることから画素サイズが大きく、画素数の増加も難しい点に技術的な課題があります。しかし、キヤノンは2021年12月、検出した微弱な光の粒子を独自の画素構造により効率よくとらえて大量の電子に増倍させることで、暗闇でもフルHDを超える世界最高の320万画素のカラー撮影が可能なSPADセンサーの開発に成功。SPADセンサー搭載カメラ第一弾として登場したのがMS-500です。

展示されていたMS-500の実機をチェック!

キヤノンUSAで高度監視製品を担当する濵口敦氏によると、MS-500は昼夜を問わず、数km以上先の遠方をカラー映像で監視可能な超高感度カメラだといいます。「SPADセンサーの超高感度性能と、豊富な高倍率の放送用レンズの組み合わせにより、人の目では認識できない暗闇や遠方などの厳しい環境下でも、いち早く対象物を発見・撮影できます」(濵口氏)。空港・駅・発電所などの重要インフラ施設の保護や、港湾・沿岸・国境監視などのユースケースを想定しているとのこと。なお、価格は現在検討中とのことです。

  • MS-500の背面。展示品に本体印字はなかったものの、製品紹介の動画では搭載端子の説明がされていた。3G-SDI端子やリモート端子などを備える模様

  • 製品紹介の動画での説明

  • 本体は箱形デザインでコンパクトだ

  • 製品紹介の動画内では、HDTV放送用カメラ対応のポータブルズームレンズ「HJ18e×28B」を装着した姿も紹介された

MS-500は、放送用レンズで用いられるバヨネット方式のマウントを採用しているのもポイント。「MS-500には大半の放送用レンズが装着できます」(濵口氏)。

会場では、超高感度撮影性能を確認できる暗室デモも行われていました。肉眼では何も見えない暗室ですが、ディスプレイには鮮明なカラー映像が表示されています。星の出ていない闇夜のような暗い環境下でも、わずかな光を正確に検出し、被写体を鮮明にカラー撮影できるとのこと。

  • ディスプレイにはMS-500の映像と肉眼の映像が表示されていた。このとき照度計は0.05luxを示していた

ブース内には、超高感度35mmフルサイズCMOSセンサーを採用し、最大ゲイン時に最低被写体照度0.0005lux以下(ISO感度400万相当)を実現するキヤノンの超高感度多目的カメラ「ME20F-SH」を用意し、低照度環境下での撮影性能の映像比較も展示されていました。ME20F-SHは月虹を撮影できるほどの超高感度性能を誇りますが、長距離撮影時の映像を比較すると、SPADセンサーを搭載するMS-500は遠方のボートの姿がより鮮明に捉えられていることが分かります。

  • それぞれ0.1lux以下の低照度環境で4~5km遠方を撮影した映像。左がSPADセンサー搭載のMS-500、右が35mmフルサイズCMOSセンサー搭載のME20F-SH

  • 高度監視向け製品ラインアップの展示。「ME20F-SH」「ML-100/105」「MS-500」の3機種

製品間の棲み分けについては「ME20F-SHやML-100/105はキヤノンのEFレンズが装着でき、おもに近距離から中距離の監視用途に適しています。一方のMS-500は、望遠性能が高い放送用レンズが使えるので、より遠距離の監視用途に適しています」(濵口氏)。

このほかにも、NBAチームのクリーブランド・キャバリアーズの本拠地であるロケット・モーゲージ・フィールドハウスに導入された自由視点映像システム(ボリュメトリックビデオシステム)とVRヘッドセットを使い、キャバリアーズの過去の試合をカメラの置くことのできないコートの中央や空中からなどの自由な視点から試合観戦ができる体験サービスの展示もされていました。

  • アリーナに設置した100台以上の4Kカメラを使い、時間と空間を3Dデータとして丸ごとキャプチャーすることで空間内の自由な位置や角度からの映像生成を可能にする「自由視点映像システム」(ボリュメトリックビデオシステム)の展示

  • LEDウォールを活用したバーチャルプロダクションの展示もあった

未来社会の「眼」となるキーデバイス

SPADセンサーとMS-500に関する疑問について、キヤノンUSAを通じて開発元のキヤノンに回答いただきました。

――SPADセンサーの技術的な課題はどのように解決したのでしょうか?

キヤノン:これまで、SPADセンサーは高画素化が困難といわれてきました。SPADセンサーは画素サイズが小さくなると、CMOSセンサーよりも感度領域(各画素において、入ってくる光を信号として検出できる面)の確保が難しくなり、それに伴って入射する光子が少なくなることに起因します。キヤノンは、画素サイズに依存せず感度領域(開口率)をほぼ100%にする構造に加えて、画素内に光子を反射させる独自の画素構造を開発し、SPADセンサーで世界最高画素数である320万画素に高画素化しました。

また、SPADセンサーは光の最小単位である光子を一つずつカウントできるため、極低照度下の撮影が可能です。一方で、光子を1つカウントするたびに消費電力が発生するため、光子が多くなる明るい環境ほど消費電力が増えてしまい、高画素で高照度の撮影は困難と考えられていました。しかし、これらの環境下でも消費電力を抑制する手法の開発に成功。この手法により、星明かりから快晴の明るさまでの広範囲な照度領域を捉えながら、100万画素の高解像度で0.37Wという低消費電力を達成しました。

――「MS-500」の製品開発の背景について教えてください。

キヤノン:従来は視認が困難だった遠方監視において、豊富な高倍率の放送用レンズの資産を生かし、また1型のSPADセンサーと組み合わせることで、セキュリティ、高度監視分野をリードしていく狙いがあります。これらの技術によって監視性能や視認性が上がることは人々の生活の安心、安全はもちろん、より豊かで平和な社会の拡大、持続、発展させることに寄与すると考えています。

――SPADセンサーは今回の製品以外にどのようなものに活用できますか。

キヤノン:SPADセンサーは、フルHDを超える高解像度、わずかな光をとらえる高感度性能に加え、1秒間に約30万km(地球7.5周分)という速さで動く光の軌跡をもとらえることができます。時間分解能と高感度性能の両立を生かし、自動運転での距離測定やAR(拡張現実)、VR(仮想現実)、MR(複合現実)などにおける高速で高精度な3次元空間の把握にも活用が期待されます。メディカル分野では、医療用の画像診断装置のカメラ部や顕微鏡などに用いることにより、生体内のきわめて微弱で短時間しか光を発しない蛍光物質の挙動や位置をとらえることができ、初期のがん細胞など、初期段階の病気や部位の特定に役立つことが期待されています。

キヤノンの担当者が「未来社会の“眼”となるキーデバイスです」と自信を見せるSPADセンサー、今後幅広い領域での活用が見込まれそうです。(取材・文/Shin(テクニカルライター))