富士通がリリースした最初のパソコン「FM-8」の発売から1年が経過した1982年5月、創刊となったユーザー誌が「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」である。FM-8を開発した富士通の半導体事業本部が自ら発行した本であり、「FM-8の情報を少しでも多く伝えることを目的に発行した」(創刊号の編集後記から)というものだ。

  • 「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」創刊号の表紙

少し前の同年3月、富士通の宣伝部が設置していた東京タワーのショールームが、東京・虎ノ門に開設したパソコン専用ショールーム「FUJITSU MICRO COMPUTER SKY LAB(スカイラブ)」へと移転(こちらは富士通の半導体事業本部が管轄していた)。ユーザー誌「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」は、FM-8ユーザーとの間を往復便(シャトル)でつなぎ、情報交換を密に行うという意味が込められた誌名であった。

季刊誌を目指して発行された「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」では、富士通からの最新情報や、アプリケーションソフトや周辺機器の情報、実用事例などを紹介。創刊号は32ページで構成し、F-BASICの徹底研究や、ゲームソフト「パックマン」の全プログラムリストを公開。これを正しく打ち込めば、FM-8でパックマンをプレイできた。

  • 「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」創刊号に掲載された、FM-8事業を統括していた当時の富士通 専務取締役 安福眞民氏の挨拶

  • F-BASIC徹底研究

  • パックマンのプログラムリストを公開

1982年9月に発行された創刊2号では、好評企画の「技術講座」において、FM-8の特徴ともいえる「バブルメモリー」について詳しく解説。さらに、ゲーマー向けにFM-8のPSG(Programable Sound Generator)の活用方法についても説明した。

発行が遅れて1983年5月となった創刊3号では、新たに発売されたFM-7やFM-11を大々的に取り上げたほか、ショールームのスカイラブが東京(虎ノ門)に加えて名古屋・川崎・大阪・札幌・広島・仙台・福岡にも広がる計画であることを告知。また、財務会計ソフトやCAD、英文ワープロなどのビジネスソフトウェアの紹介にも誌面を割いていた。FMシリーズに対応したソフトウェアの一覧表も7ページにわたって掲載し、ソフトウェアのラインアップが拡大していることを裏づけてみせた。

  • 「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」第2号の表紙

  • 「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」第3号の表紙

  • FMシリーズで利用できるビジネスソフトも紹介していた

「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」は、1985年9月に発行された第11号で休刊となり、その後は「FMシャトル」に引き継がれた。いずれも、富士通パソコンの歴史をたどる上では重要な資料となっている。

ちなみに1983年4月からは、富士通提供のテレビ番組「コンピュートないと」がテレビ東京およびテレビ大阪で放映が始まり、富士通パソコンの楽しさを訴求していった。番組では副音声を使って、番組中で紹介されるデータを送信するといったことも行われていた。

もともと富士通のパソコン事業は後発であり、「富士通マイコン スカイラブ・シャトル」の発行や「コンピュートないと」の放映は、他社の後追いとなっていたのも事実だ。実際、富士通のパソコン事業のスタートにあわせて、パソコン事業で先行していたシャープにてこうした企画で実績を持った人材が富士通に移籍し、マーケティング施策にも深く関わっていたという。