ロシアはどこまで本気なのか
はたしてロゴージン氏の放言、脅しは、どこまでが真意で、そしてどこまで正しいのだろうか。
まず大前提として、NASAやESAなどには経済制裁を解除する権限はなく、前述の書簡はアピール以外のなにものでもない。
また、書簡に対し、NASAのビル・ネルソン長官は「NASAは、ISSとその運用に関して、RKTsプログレスやTsNIImashとの必要な協力を含む、さらなる協力を促進するために、米国の関連連邦省庁とともに引き続き取り組む」と回答しており、必ずしも協力ができないとしているわけではない。
この回答の背景には、ロシア制裁において、米国商務省が「政府間の宇宙における協力分野などは、ケース・バイ・ケースでレビューする」と定めているということがある。つまり、現在の制裁下でも、ISSに関連した活動については例外的に輸出入などの取引が認められる可能性がある。
このことに対してはロゴージン氏も反論できないようで、最近では主張はややトーンダウンし、「私は、不法な制裁が完全かつ無条件に解除されてこそ、ISSやその他の共同プロジェクトにおけるパートナー間の正常な関係は、初めて回復されると考えている」とコメントするようになっている。
つまり、「実際問題として、ISSにおける両者の協力が続けられるかどうか」、という問題を突き詰めると、ネルソン長官の回答のように「制裁が解除されなくとも協力は可能」であることから、「制裁が解除されない限り協力できない」ということへ、ゴールポストを動かしたのである。
結局のところ、ロゴージン氏、そしてロシアにとって、「実際にISSをどうするか、ISSがどうなるか」ということは重要ではなく、米国と駆け引き、とくに制裁解除のための材料としてISSを使っている、言葉を変えればISSを人質にしているということにほかならない。
ロシアがISSから抜けたくない理由、抜けたい理由
ただ、それゆえに、ロシアがISSへの参画を続けることも、そして抜けることも、どちらも十分にありうる。
参画を続ける動機は、ISSを通じたロシアのプレゼンスの維持である。ロシアの宇宙予算は限られており、その中でアピールできるのは有人宇宙技術くらいしかない。そしてそのアピールを続けるためには、なんだかんだ言いつつもISSを継続するほかない。
事実、2014年のクリミア併合にともなう制裁時にも、ロゴージン氏(当時は副首相)はISSからの撤退などを匂わせていたにもかかわらず、現在まで運用に関わっている。また最近でも、制裁が続く中、米国人宇宙飛行士を乗せたソユーズを予定どおり運用するなど、現時点まではISSへの参画を止めるメリットより続けるメリットのほうが大きいと判断していることがうかがえる。
その一方で、ロシアにとってISSに関わり続ける旨味がなくなりつつある、つまり参画を止めてもいい動機が生まれつつあるのもたしかである。
そのひとつは、ソユーズを通じた収入が得られなくなったということである。ISSにおける国際協力は、基本的には物々交換で行われており、金銭的なやり取りが発生することはない。ただ例外的に、米国がスペースシャトルを引退させ、自国の宇宙船を保有していなかったころ、NASAはロスコスモスに運賃を支払い、ソユーズ宇宙船の座席を購入する形で宇宙飛行士の輸送を行っていた。その金額は最高で1席あたり約8000万ドルであり、ロシアにとっては外貨獲得の貴重な、また大きな機会となっていた。
しかし、2021年からスペースXが「クルー・ドラゴン」宇宙船の運用を開始したことで、今後はその収入が得られなくなった。
また、今回の戦争と制裁により、ロシアのロケットを使った商業打ち上げも事実上できなくなったことから、宇宙技術を他国にアピールしたところで、商業打ち上げの受注などといった直接的、金銭的なリターンが得られないという状況にもなっている。
また、初期に打ち上げられたロシアのモジュールはすでに設計寿命を超えており、老朽化により小規模ながら空気漏れなどのトラブルも出始めている。米国などはISSを2030年まで運用する方針を示しているが、そこまでもつかどうかは不透明である。つまり、これから先も運用に関わったところで、修理に忙殺される可能性があるばかりか、ロシア側モジュールが原因で事故が発生する危険もあり、それならば早期に撤退したほうがいいという判断もありうる。
ロシアは戦争前の時点で、2030年までの運用延長に対して、支持はしつつも、参加を続けるか正式に決定はしていなかった。また、かねてよりロシアは、2024年をもってISSへの関わりを止め、比較的新しいロシア側モジュールを切り離し、それをもとに独自の宇宙ステーションを建造するという構想も打ち出していた。そこにISSに参画していない中国やインドを取り込もうという動きもあった。
こうしたことから、今回の事態をきっかけとし、2024年まででISSへの参加を止め、そして独自の宇宙ステーションや中国、インドとの協力などの構想が具体化する可能性もあろう。
国際協力と平和のシンボルとして
一方、仮にロシアがISSから抜け、宇宙飛行士や補給物資の輸送や軌道維持が提供されなくなったとしても、米国などのみでISSの運用を続けることは可能とされる。
まず宇宙飛行士の輸送に関しては、ロシアの「ソユーズ」宇宙船しかなかった数年前ならいざしらず、現在ではスペースXがクルー・ドラゴン宇宙船を運用しており、ボーイングも「スターライナー」宇宙船の開発を続けている。
物資の補給に関しても、スペースXの「カーゴ・ドラゴン」補給船と、ノースロップ・グラマンの「シグナス」補給船があり、数年後には日本の補給機「HTV-X」の運用も始まる予定となっている。
また、軌道維持についても、シグナス補給船を使ってできるめどが立っている。
国際協力と平和のシンボルとしてのISSの意義は形骸化しつつある。しかし、それでもなお、むしろこんな時代だからこそ、協力を続けることには大きな意義がある。対話と交流のチャンネルの維持し続けること、人間が協力すればどれだけ大きなことが成し遂げられるのかを示し続けることで、和平への手がかりになることも期待できる。
史上最大かつ最も複雑な国際科学プロジェクトであるISS。それだけのものを実現させた人類の力と可能性によって、この危機と悲劇を乗り越えられることを、そして子どもたちをはじめ、多くの人の夢と希望を乗せて輝き続けてくれることを願いたい。
参考文献
・Roskosmos | VK
・U.S. Department of Commerce & Bureau of Industry and Security Russia and Belarus Rule Fact Sheet | U.S. Department of Commerce