振り返ること2015年11月、PC事業とプリンティング事業を中心にした「HP Inc.」が誕生しましたが、常に変化を起こすというマインドは「HP(ヒューレット・パッカード)」創業から変わらない感があります。米HP Inc.のGlobal Head of Tech Ventures and Strategy兼Chief DisrupterのAndrew Bolwell氏への共同インタビューにて、これからのHPがどのような方向に向かうのかを聞きました。

  • HP Inc. Global Head of Tech Strategy and Ventures兼Chief DisrupterのAndrew Bolwell氏(写真提供:日本HP)

―― 本日はよろしくお願いします。自己紹介と、HPが注目している分野を教えてください。

Andrew Bolwell氏:米HP Inc.のAndrew Bolwellです。正式な役職はGlobal Head of Tech Ventures and Strategyですが「Chief Disrupter」としても知られています。後者は自分で付けた名称ですが、あらゆる企業においてイノベーションと破壊的創造が非常に重要になっているので気に入っています。

私の業務は、HPの代表として日々世界中のスタートアップとやり取りして、テックベンチャー(*)として必要なパートナーシップを結んだり、投資したりすることです。また、継続的な再発明や改革によって、HP Inc.が成功するための機会を広げています。

*:HPが社内に設けているベンチャーキャピタルのようなもの

HPは、最初の創業から80年以上、HP Labsを開設してから50年以上が経過しています(編注:HPは1939年、HP Labsは1966年に設立)。常に改革と必要な変化を続けており、それを可能とした理由の1つがHP Labsの存在です。HP Labsは先見的な考えを持って活動し、現在は4つの分野に着目しています。

1つ目はセキュリティです。HPは多くのデバイスを出荷していますから、そのデバイスが安全でなければいけません。

2つ目は3Dプリンティング。3Dプリンタの技術によって、世界の製造業市場において12兆ドルに及ぶ創造的破壊が起きるでしょう。

3つ目はデジタル製造。これは2つ目の3Dプリンタだけでなく、AI、ロボティックス、セキュリティ、そのほかのデジタルテクノロジーが含まれます。

最後の4つ目はマイクロ流体力学です。我々がプリンタで培ってきたコア技術を、新しい市場や用途に展開しようとしています。

これらがHP Labsで注視している分野ですが、研究開発はHPだけではできません。外部のイノベーションも含めて、テックベンチャーのHPがスタートアップと一緒になり、新たな市場を開拓しようと思っています。(2016年に)HPでテックベンチャーが発足して以来、40社以上のパートナーシップを組みました。これによって新しいイノベーションを開拓します。

  • インタビューはZoomにて。背景が素敵です

―― 4つの注力分野、その中でも特筆できる項目は?

Andrew Bolwell氏:それぞれに新しいことが生まれる余地がありますが、特にマイクロ流体力学に着目しています。この基礎技術は、HPの30年間にわたるプリンタ事業がベースになっています(編注:1984年に世界初の個人向けインクジェットプリンタ「HP ThinkJet」を発表)。

紙を正確に送り、さらにごく少量のインクを吹き付けることで質の高いプリントを実現してきました。数年前には、マイクロ流体力学の技術を応用した3Dプリンタを作成しています。マイクロ流体力学では、人間の細胞のだいたい「5分の1」というごく微量の物質を操作します。

この技術は新しい用途、例えばヘルスケア、生命科学、農業、獣医学、食品の安全性など、様々な産業に応用できる可能性があります。マイクロ流体力学を適用可能な市場規模は、2,000億ドル以上あるでしょう。

最近、HP Labsで実施している取り組みの1つに「製薬サンプルをバイオプリンタで作る」というものがあります。研究だけでなく、創薬のリサーチとしても利用可能です。

現在の研究や製薬プロセスには人が行う部分が多いのですが、多くの組み合わせを試すのは時間がかかる上、人的ミスが発生することもあります。バイオプリンタを使うことによって、試薬を適切な量で調合可能となり、並行して数百のテストが行えるようになります。製薬プロセスの速度と効率性が高まるわけです。新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こってから、世界中のおもな研究機関にバイオプリンタを寄付しており、製薬に役立ててほしいと思っています。

  • 米国およびEMEAの研究所に、多数のHP D300e BioPrinterを寄贈。バイオプリンタでは、インクではなく試薬を調合します。画像は米HPのプレスリリースから

―― 先日のグローバルサミットでは、例年取り上げているメガトレンドの話が出てきませんでした。新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって扱いが変わったのでしょうか? 次のメガトレンドレポートはいつ出ますか?

Andrew Bolwell氏:メガトレンドに対するフォーカスは変わっていませんが、今回のイベントではカバーする時間的な余裕がありませんでした。メガトレンドレポートはパンデミックの直前に出てきており、どのように変化しているのか精査する時間が足らなかったからです。しかし、イノベーションにおいてトレンドを理解することは非常に重要です。

パンデミックによって、働き方にどのような影響があるかも検討しています。現在は変化が加速しており、例えばどこからでも仕事をすることや、デジタルトランスフォーメーションが世界中で取り組まれています。一方、パンデミックが終息しても元の生活に戻ることはないでしょう。今まさに起こっている変化の一部が、「ニューノーマル」になると考えています。つまり我々は将来を見据えなければなりません。

将来の働き方という観点では、これまでは約20%の企業だけが在宅勤務をしていたのに対し、パンデミックによって企業で働く人のほぼ全員が在宅勤務するようになりました。今後も、約70%の従業員がある程度は在宅勤務したいとする調査結果もあります。

いずれは、どこでも働ける、どこでもオフィスになるという働き方ができるようになり、永久にオフィスへ行かないという人も出てくるでしょう。従来は仕事をするためにオフィスへ行きましたが、今後はコラボレーションを目的としてオフィスに行くという位置付けに変わるでしょう。

こうした状況は、我々のコアビジネスに対してはプラスに働いています。

教育や仕事のためにもPCが必須となって利用も増えていますし、プリンタも同様です。この分野においても今後、生産性を上げるためにコミュニケーション&コラボレーションしやすいイノベーションを加速したいと考えています。

―― 2020年はChief Disrupterとして最大のチャンスが訪れたのではないですか?

Andrew Bolwell氏:現在のような状況下では、すべての企業にChief Disrupterが必要です。そういう役職を作るか、人材を雇う必要があるでしょう。厳しい時期でも現状を自問自答しつつ、チャンスを見出す必要があります。

子どもたちが在宅教育を受けるにはツールが必要ですが、それ以上に(貧富の格差による)大きなデジタルディバイドが発生しており、デバイスを持っていない子どもたちはたくさんいます。これは製品そのものでは解決できません。違ったアプローチや違ったビジネスモデルによって、企業が今までと違った考え方をすることが重要です。

HPが実施したことの一例としては、ユーザーが不要になった古いパソコンなどを集めて、機器を必要とする子どもたちに配布したことが挙げられます。これは新しいイノベーションで解決したのではなく、新しいアプローチで解決した例ではないでしょうか。

ただ、1社の企業だけでは解決できない課題が多くなっています。そこでエコシステムとして、国家レベル、企業レベルで一緒になって協力し、解決する必要があります。組織・企業として協業できるものを見つけなければいけません。

社会における企業の役割も変わりつつあり、5年前ならば会社として収益を上げることや株主への還元を考えればよかったのですが、現在は世界においてよいことをしていく、社会的に大企業は株主にもステークホルダーにも良いことを考える必要があります。我々は「サステナブルインパクト」と呼んでいます。

  • 今回のインタビューとは直接関係ありませんが、日本でも2019年、三井住友ファイナンス&リースが中古パソコンを内閣府沖縄総合事務局に寄贈。これを学生ボランティアがOSの再インストールをして、沖縄県の子ども居場所拠点に配布しました。この取り組みは、内閣府による沖縄子供の貧困対策等プロジェクトチームのヒアリングと、企業からの提案がマッチングされた事例です。ほかにも、サードウェーブがタンザニアの職業訓練学校にノートPCを寄付した事例があります

―― 最後に、注力分野の1つ目、セキュリティに関してはどうでしょうか?

Andrew Bolwell氏:セキュリティに関しては、HPが長年取り組んでいる分野です。HP Labsにもセキュリティ専任のスタッフがいます。

HPが取り扱っているのはユーザーに近い製品群ですが、セキュリティの重要性は高く、トラストチェーンを作るようにしています。また、問題が発生したときに、いち早く解決できる回復力にもフォーカスしています。

セキュリティも1社では解決できない問題です。多くのパートナーシップを通じて解決に向かっています。最近の成功例としては「HP Sure Sense」(*)があり、AIを使ってマルウェアの動きを特定し、情報が漏えいする前にシャットアウトするというものです。セキュリティに関してはまた別の機会にも詳しくお話しできると思います。

* Sure Sense:HPとイスラエルのベンチャー企業「Deep Instinct」が提携、開発したセキュリティソフト。HPのビジネス向けPCに提供中。

  • HP創業の地である「ガレージ」は2005年に復元プロジェクトが行われ、2007年には米国の歴史登録財として認定。画像はWikipediaから