銀色に光り輝く物体の正体は?

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    2号機「イザナミ」の振動試験モデル。六角柱の本体は対辺80cm、約100kg。上に副鏡がのびている。宇宙ではさらに40cmほどあがりアンテナが展開

「もしかして、これは!!!」衛星に対面した中島さんの声が上ずる。私達を待ち受けていたのは、銀色に光り輝く六角柱の機体。2020年打ち上げ予定の2号機「イザナミ」の振動試験モデルだ。

伊藤副社長によると、実際に飛ぶ実機(フライトモデル)と形や質量、素材は同じ。ただし内部の電子機器類は実物でなく、アルミの削り出しで質量を実機と合わせているとのこと。

「振動試験って…宇宙では振動しないでしょ?」中島さんがリスナー代表として素朴な質問をぶつける。JAXA新事業促進部・事業開発グループ長上村俊作氏は「ロケットの打ち上げではもの凄い振動と音響がします。宇宙には修理に行けないため、できるだけ地上で試験をしておくんです」と回答。

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    鹿児島出身のJAXA上村俊作氏(右端)は学生時代から中島さんのファン。「JAXAの人に会うの初めてだけど、全然JAXAっぽくない(笑)」とナカジーさん

「なるほど、内部には精密機器がたくさん入っているから、打ち上げ時に振動してトラブルが起こったりすると、今までの苦労が水の泡になるわけですね。実際の打ち上げ時の振動などは、インドから打ち上げる1号機の結果をふまえて改良していくんですよね?」

中島さんがマイクを向けると伊藤副社長は「本来は1号機のフィードバックを元に2号機を開発するという話でしたが、(打ち上げが予定より遅れて)1号機を打ち上げていないのに2号機の開発をやらないといけないのでけっこう大変です」。

「今の話はNHKだったら『プロジェクトX』作りますよ。『1号機が打ちあがってない状態で2号機の電話が鳴って、えー!』みたいな。林さん、かなりのプロジェクトですね」

中島さんのコメントに笑っている暇はない。その場にいるすべての人に突然マイクが向けられる。私は、「36機もの衛星群を、発注者と下請けという立場でなく対等な『ワンチーム』として作り上げていく関係性は、北部九州ならではの特色ではないか」とコメント。QPS研究所と共に衛星を開発する複数の企業を取材させてもらったが、どの企業も独自の技術をもち、ゼロからのものづくりを楽しんでいたのだ。

取材当時はまだ初号機イザナギは打ち上げられていなかったが、2号機「イザナミ」は初号機から進化している点が多々あった。例えば太陽電池パネル。初号機の7面から10面に増え、衛星が強力なレーダーを出すための電力をより多く取り込めるようにした。これらパネルをどう取り付け、どのように展開させるかについてもQPS研究所と二人三脚で考え、オガワ機工のエンジニアが設計図に落とし込む。

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    展開式の太陽電池パネルを説明するオガワ機工の伊藤副社長

「開発はめちゃくちゃ面白い。この衛星には本当にたくさんの人の知恵と思いが詰まっていると思うと、自分たちのプライドになります」。伊藤副社長の言葉に中島さんは「カッコいい! どんな難題があっても、できないと言ったらおしまいで、アイデアをどうカタチにするかを考えるチャレンジ精神とか、聞いていて本当にわくわくします。おれもいっちょかみしておけばよかった~」と興奮。

10分のラジオ番組2回分を、あっという間に収録してしまった中島さんは、その後も衛星から離れない。「ねじ一本にトラブルがあっても衛星はうまくいかないわけですよね」と言いつつ、その手は衛星のねじに…。

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「男はボルトとかナットが大好きですよね。小学生の頃は工事現場に入ってボルト類を集めてましたよ。屑鉄屋が学校の横にあって売ってもらったベアリングを磨き粉で綺麗に磨いたりして。工業製品萌えです」と笑うと、伊藤副社長も「男って馬鹿ですよね…」と意気投合。

「いや、それが仕事になってるのが凄い。俺は口を動かしているだけだから」という中島さんだが、工業製品萌えだからこそ、エンジニアの想いに共感しを熱く伝えられるのだろう。

きっかけは民間宇宙旅行を発表したリチャード・ブランソン

オガワ機工での取材を終え、福岡市内に戻る車中で中島さんにインタビューを行った。

―:衛星をご覧になった感想をお聞かせ頂けますか?

中島浩二さん(以下、中島):いやー、まずは興奮しました。九州の技術が詰まったものが宇宙空間に飛び出して、どう役に立って行くのか。まずは「希望の光」ですよね。

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―:中島さんは、いつから宇宙に興味をお持ちなんですか?

中島:最初の衝撃は、2004年にヴァージングループの総帥リチャード・ブランソンが「おれ、宇宙旅行やるよ」と言い出したときです。

―:民間宇宙飛行賞金レースで、スペースシップワンが高度100kmの宇宙飛行を達成して、いよいよ民間宇宙旅行が始まるのか~という期待が高まった絶妙のタイミングでしたね。

中島:そうです。リチャード・ブランソンがオレンジ色の宇宙服を着てヘルメットを持っている写真が、世界中に流れたんですよ。それまで宇宙開発って国がやっていたのに、民間の人たちがやり始めたら、相当面白いことになるなって思ったんですよ。

―:宇宙が身近になって、もっと面白くなると?

中島:はい。ぼくは1965年生まれなので、69年のアポロ月面着陸の時は4歳だから、そんなにリアルタイムに興奮したわけではない。アポロチョコレートの方が僕にとっては大切だったんです(笑)。その時に周りの大人たちが「お前たちが大人になったら、新婚旅行は宇宙に行ってるよ」と言っていた。でも実際大人になっても、まったくその兆しはない。宇宙開発でもそんな話を聞かないなと思っていた中でのリチャード・ブランソンの発言だったので、相当衝撃を受けたわけです。

―:やっときたか!と。その文脈で言うと、今日、QPS研究所の衛星の実物を見て、民間宇宙開発に現実感はわきましたか?

中島:QPS研究所は数年前に別の番組のディレクターがたまたま見つけてきて、CEOの大西俊輔さんに取材したことがあったんです。その時は「へー、こんな会社があるんだ」と。その後何回か取材させてもらって、2018年12月には「もうすぐ打ち上げだから衛星のテストをしてきました」と大西さんが興奮していた。その時は2019年3月に打ち上げと聞いていたのに、「打ちあがらないな~」と思っていました。ようやくですね。

―:「九州発宇宙」という点では?

中島:僕は九州の企業をつぶさに追いかける「ぐっ!ジョブ」という番組をずっとやっていますが、九州の人間には「ものづくりの九州」という自負があります。九州のものづくりが結集して衛星になって打ち上がるなんて、本当にわくわくします。実際は大変だと思いますけどね。成功するかどうかわからない中で、皆さん手弁当でやってらっしゃるんじゃないかと。