日本のレシプロ機の最高速度は時速約700km

こうして完成した研三中間機は、その1か月後の1942年12月26日、各務原飛行場(現在の航空自衛隊岐阜基地)において初飛行に成功。それから約1年間にわたり、計32回の試験飛行を実施した。

その大半ではトラブルが続出し、とくに気温が高くなる夏場には、冷却液の温度上昇に起因する問題が起こりやすかったという。これは、前述の機体の冷却システムが、肝心の冷却性能において不十分だったことを意味する。

気温が低くなった1943年の秋から冬にかけては徐々に安定した飛行を行えるようになり、そして1943年12月27日に行われた31回目の試験飛行において、高度3500mを飛行中に時速699.9kmを記録。この当時、世界では時速700kmを超える飛行機は珍しいものではなくなっており、世界記録には遠く及ばなかったものの、日本のレシプロ機としては最速となった。

ちなみに、速度記録などの認定は国際航空連盟(FAI)が行っているが、速度記録に挑戦するには、「高度75mで、3kmの基線を往復すること」という条件が定められている。そのため、高度3500mで記録されたこの速度は、そもそもこの規定を満たしていない。なお、高度75mを飛ぶ構想はあったものの、万が一墜落した際のことを考え、実行はされなかったという。もっとも、仮に高度75mを飛んだとしたら、大気密度が高くなるため、抵抗も大きくなり、最高速度はさらに落ちていたと考えられる。

幻となった世界最速を目指した2号機

こうした動きと並行し、山本らは研三中間機の研究成果をもとに、世界最速を目指した2号機の開発にも取り掛かった。ここまでの研究から、世界記録達成のためにはエンジン馬力が2500馬力ほど必要であったり、また空気抵抗を減らすため無尾翼機にするべきであるといったりといった提案がなされた。

当初は飛燕のエンジンを改良する計画もあったそうだが、目標の馬力に届かないことがわかり、やがてロケット推進や、ガスタービン式推進、いわゆるジェット・エンジンや、ジェットとプロペラを組み合わせた、いわゆるターボ・プロップ機にするといった構想が描かれた。

しかし、研三中間機の製造が進んでいた1941年12月に、日本が真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争に突入。そして研三中間機が初飛行した1942年6月には、すでにミッドウェー海戦が起こり、さらに試験飛行を繰り返していた同年8月には、かの苛烈なガダルカナル島の戦いが起こるなど、日本は徐々に敗戦への道を歩み始めていた。そのため、研三の優先順位は下がり、また開発につぎこめるリソースも少なくなっていき、新エンジンの実現のめども立たなくなった。

日本最速の記録を達成した1943年12月の時点で、すでにプロジェクトの中止は既定路線となっており、そして1944年1月18日、「研三終末委員会」が開催され、飛行試験の経過などが報告された後、プロジェクトは終了となった。研三で得られた成果も、研究開始時期が遅かったことや、戦局の悪化により、他の飛行機に活かされることはなかった。

そして1945年8月、敗戦を迎えた日本において、研三に関する資料の多くは焼却処分された。各務原にあった研三中間機も、米軍によって破壊。1943年の時点で日本最速のレシプロ機ではあったが、それから約2年が経ち、当時の米国にはそれよりはるかに速い飛行機がすでにいくつもあり、もはや接収したり参考にしたりする価値もなかったのだという。

空宙博における展示

研三に関する資料は、敗戦時に廃棄されたことで、長らく存在しないと考えられていた。

しかし、山本について調査していた研究家が、山本のご子息から「幼い頃に研三の映像を観た」という証言を得、それを元に国立科学博物館に調査を依頼した。その結果、映像が残されていることが判明。そして、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(空宙博)などの専門家によるさらなる調査の結果、研三中間機の設計に関する資料や、2号機の検討時の資料、さらに研三中間機の試験飛行の映像などが存在することが明らかとなった。

空宙博にて開催されている「スピードを追い求めた幻の翼 研三―KENSAN―」では、こうした新発見の資料や調査結果を踏まえ、研三の概要や歩みをはじめ、そのときどきの世界の飛行機技術の動きや、調査の結果判明した新事実、そして発見された試験飛行時の映像などを展示。さらに、試験用であったことなどから廃棄をまぬがれたメタノール噴射装置や試験用の単筒エンジンなどの実物や、そして実物大模型などが多数展示されている。

空宙博のある岐阜県各務原市は、研三の生まれ故郷でもあり、そして同館にほど近い航空自衛隊岐阜基地は、まさに研三が試験飛行を繰り返した地でもある。ぜひ当地を訪れ、かつて日本の技術者たちが世界最速を目指した開発に挑んだ、幻の翼に触れてみてほしい。

  • 研三

    空宙博のスタッフらが製作した、研三の胴体前部部分の実物大模型。空気抵抗を減らすため、きわめてなめらかな形状となっている (所蔵:岐阜かかみがはら航空宇宙博物館)

2020年3月12日追記:岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の継続した調査結果などにより、より正確な事実が判明したこと、新型コロナウイルスの影響により、当初記載していたイベントでのギャラリートークは中止になったことなどを受けて、記事内容を一部修正させていただきました。

参考文献

・「スピードを追い求めた幻の翼 研三-KENSAN-」図録、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館