2012年のヒッグス粒子の発見により、素粒子物理の新たな扉が開かれた。最近では、欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を用いた実験で、ヒッグス粒子がボトムクォークと相互作用(湯川結合)する証拠をATLAS実験などのデータで観測することに成功するなど、まだまだ宇宙誕生の謎につながる発見が続いている。

そんなCERNのLHCの成果を踏まえ、さらに宇宙の進化の謎に迫ろうという国際的な研究が「国際リニアコライダー(ILC)」と呼ばれる全長20kmにおよぶ直線型の加速器を活用した電子と陽電子の衝突実験だ。その建設地の最有力候補となっているのが日本の北上山地である。科学者のみならず、科学に、そして宇宙に興味を持つ、さまざまな階層の人たちに向け、8月5日、ILCが切り開くであろう科学の未来の姿について、シェルドン・L・グラショウ博士とバリー・C・バリッシュ博士という2人のノーベル物理学賞受賞者がお茶の水女子大学にて「ノーベル賞受賞者に聞く ILCが開く科学の未来」と題した講演を行なった。

  • シンポジウムの様子

    シンポジウムの様子。定員は1000名となっており、会場は2階席までほぼ満員状態となっていた ( C)Yukio Yanagi

素粒子物理の世界では物質はどう見えるのか?

水は酸素原子に水素原子が2つで構成されている。また、1つの原子を見ると、電子とその中心に原子核という粒子が占めており、その原子核には、中性子と陽子という核を作る粒子で構成されている。そして、標準理論と呼ばれる物理学者たちが100年の時をかけて作り出してきた理論の中では基本的な粒子として、たとえば陽子は3つのクォークが集まって出来ているというような形でまとめられている。

このように標準理論というのは、この世界の根源的な物質を作る基本粒子と、その基本粒子の間の力の働きを素粒子で説明したものだが、この標準理論が出来上がっていく過程の中で、グラショウ博士は電磁気力と弱い力はもともとは同じ力だったという電弱統一理論にいち早く気づき、これが科学者たちの協力によって標準理論の中の重要な要になっていった(グラショウ博士は1979年にノーベル物理学賞を受賞)。

また、この流れで素粒子に質量をもたらすことへ重要な役割を果たしている「ヒッグス粒子」の存在が示唆されていたが、長い間発見することはできず、2012年にようやく発見に至った。

「ヒッグス粒子はいったいどんな役割をしているのか、さらにもっと詳しく調べたい」というのが今、素粒子物理学界での重要なテーマとなっているが、実は標準理論で説明出来るのは、宇宙のたった5%だけで、残りの95%はどうなっているのかが、素粒子物理学の大きなテーマにもなっている。

このような根源的で根底的な物理法則を探していく過程で活躍しているのが加速器であり、その最新かつ最先端のものがILCということになる。

ILCとは何なのか?

「ILCとはまさに未来のマシーンです。20年強にわたり重力波にかかわる研究を進め、重力波の検知器を作っている中、2005年にリニアコライダーの設計について依頼されました。今回の話は、世界各地の研究者が集まって作られている点においてグローバル、地球規模で行われているこの取り組みが、いかに科学的に重要性の高い素晴らしい取り組みであるのか、そして、このリニアコライダーを作って行く上で、最新のテクノロジーがいかに使われているか、皆さんのご理解を深めることが目的です」とバリッシュ博士は、今回の講演の意義を語る。

また、「第一に、自然の本質を理解するためのツールとして存在するのが、この加速器です。最も重要なILCの任務は、『質量がどこからどのように来ているのか』を調べるということ。素粒子物理は設問をベ―スにして行われる科学です。理論の専門家と実験の専門家の協業で、設問を設定し、答えを探求していきます。このような、探究型の科学のアプローチにおいて、問題にどのように取り組んでいるのか事例を紹介します」と述べ、CERNのLHCが探求してきたテーマを以下のように説明した。

「『どのような対称性があるのか』、『どのような自然の法則が存在するのか』、最近の共通課題として議論されているのが『超対称性』。このような問いについてLHCは探求を行なってきました。また、昨今、特に素粒子物理の分野で関心が高まっているのが、『宇宙には追加的な次元が存在するのか』ということ。この様な問いに答えようと、実験と理論によって検証しようとしています」。

また、ヒッグス粒子の発見に成功したCERNのLHCは円形であるが、ILCは線形である点について、「(ILCで利用する)電子は(CERNで利用されている陽子に比べて)軽い存在のため、円形で動かすと、放射光となってエネルギーを発散してしまいます。そうすると、円形のままエネルギーを高める必要があり、そうなると大型化が避けられない。すなわち非常にコストが高くなる。結果として問題の解決につながる効果的なソリューションはリニアな線形でした。ただし、線形加速器の場合、1回で衝突しなければいけない。それを実現するために、これまで長年にわたって技術的な開発、そしてイノベーティブなソリューションの探求が世界中の加速器の専門家たちが協力して試みられてきました。その結果、さまざまな問題の解決が見えたことで、ILCの実現に道が開かれました」と、その必要性と、技術的なめどが立ってきたことに触れ、そうして生み出された技術は医学をはじめ、さまざまな分野にも波及していることにも言及。加えて、ILCが建設されることで、世界中からトップクラスの研究者たちが日本に集結することで、日本の科学レベルが今以上に高まり、より世界に対して科学技術で貢献できることが期待できるようになるとした。

  • 講演中のバリッシュ博士

    講演中のバリッシュ博士 (C)Yukio Yanagi

実は21世紀の素粒子物理を牽引してきた日本

一方のグラショウ博士は開口一番、「私たちは今ILCを必要としている」とし、ILCの必要性を広く日本に伝えたいという自らの意思で、今回の来日を決めたことを強調。「世界の科学の進歩のため、ILCの建設について日本学術会議から前向きな評価が出されることを願い、来日しました」と、日本でのILC建設実現に向けた期待を述べた。

ILCの実現に向けては、世界49の国と地域の沢山の科学者が参加しているほか、さまざまな組織も参加。「例えばICFA(国際将来加速器委員会)は、『さまざまな発見が生まれる可能性が大きい重要不可欠な科学プロジェクト。日本が主導する国際プロジェクトとして、ILCがタイミングよく実現することを奨励する』とコメントしているほか、2018年5月に福岡県で開催されたリニアコライダーの国際学会『ALCW2018(Asian Linear Collider Workshop 2018)』では、全会一致でILCの科学的な重要性を強調し、日本政府に対して、プロジェクトの誘致についての関心を促す『ILC福岡宣言』が採択されました。また、CERNのニュース情報誌の中でも、『いまだに仮説に留まるCEPC(Circular Electron Positron Collider)、建設の用意が出来ているILCとその両方が存在するということは、高度な補完になりうる。ILCはCEPCの100倍の能力を持つ装置。ヒッグス粒子を確認できる確率も100倍』という声明文が記載されるなど、世界中の科学者たちがILCに期待を寄せています」と、そのいずれもが日本に対して大きな期待を寄せているとする。

  • 講演中のグラショウ博士

    講演中のグラショウ博士 (C)Yukio Yanagi

こうしたさまざまな組織・機関からの声明などを踏まえ、グラショウ博士は、「高エネルギー物理学は、『今、ILCを必要としている』ということが言えるでしょう。ILCが建設されれば、今後数十年間にわたり、実験素粒子物理学の中心となる施設となり、それは日本の科学の進歩に繋がっていく。これまで日本はノーベル賞を22人が受賞(物理学、化学、生理学・医学の3賞合計。受賞時外国籍の方も含む)し、21世紀に入って素粒子物理学の分野だけでも5人が受賞しています。私は、この偉大な伝統をぜひ引き継いでいただきたいと思っています。また、ILCを推進することで、日本の技術能力の開発に繋がり、建設することで日本の産業にも利益をもたらします。難題に取り組むことで、さまざまな新しいアイデアが出てくる。そのアイデアがILCから他の分野へ波及し、アイデアと人材への波及効果が生まれます。また、加速器の設計は、ビッグデータの解析においても技術者の養成が進むことへ繋がると考えています」と持論を展開。ILCを活用することで、ヒッグス粒子に似たその他の素粒子が存在するかどうかも分かってくるとし、標準理論を越える超対称性粒子が見つかるかもしれないことに触れ、「これは偉大な発見。大変な快挙となる」と、世紀の大発見につながることを強調した。

なお、グラショウ博士は最後に、「標準理論は間違いなく不完全な理論。まだ多くの問いに答えられていません。核分裂、ミュー粒子、タウレプトンの発見は偶然がもたらしました。そうした偶然と同じように、ILCがその偶然を起こしてくれる可能性は高いと信じています。ILCが適切なタイミングで実現できれば、科学者の使命をより良く果たせるようになります。大きな発見の可能性を持つ装置のため、ILCは短期間のうちに間違いなく世界的な研究機関に発展していくと考えます」とILCが秘めた可能性について言及。それが素粒子分野で世界に貢献してきた日本でできれば、これほどうれしいことはないと締めくくった。

  • ILCの模型

    今回の講演の後日(8月7日)に報道陣向けに開催された会見の場に設置されていたILCの模型 (編集部撮影)