「たとえば車のように、人の体全体のはたらきをシミュレーションできないだろうか」

そんな思いからダッソー・システムズが数年来進めているのが「リビング・ハート・プロジェクト」だ。その名の通り生きている心臓を模した3Dシミュレーションモデルを作成し、患者の個別化医療における活用を推進。それにより、心疾患の治療、診断、予防に役立てる目的で進行されている。

今回は、同プロジェクトの担当責任者であるSteven LEVINE(スティーブ・レビン)氏に、プロジェクト立ち上げの経緯や展望について話を聞いた。

「リビング・ハート・プロジェクト」担当責任者・Steven LEVINE(スティーブ・レビン)氏

今やシミュレーションは医療分野でも活用されているが、プロジェクト立ち上げ当時、シミュレーションといえば産業分野のためのものであったという。レビン氏は自動車の衝突実験のシミュレーションの例を挙げ、2006年~2013年にかけて同社が携わったBMWの事例では、自動車のいわば「外側」だけのモデルだけでなく、安全のために乗員のシミュレーションまで行えるよう研究したと語った。

医療の現場において、服薬時や手術時の人体の反応を知りたいと思っても、実際の人体でそれを測定するのは非常に難しく、回数も限られる。そこで、先述のBMWの事例を手がけていたのと同時期の2013年に、人の体内反応を把握するための手段を得られないか、また「医療面ではなくエンジニアリングの視点で、人体の仕組みはどこまでわかっているのだろうか」という疑問について考えたことが、プロジェクト立ち上げのきっかけだったという。

心臓が対象となったのは、人体の要となる臓器であるのはもちろんのこと、レビン氏の子どもが生まれつき、右心室と左心室が逆に配置されてしまうという難病を患っていたことも関係していた。その病を正確にとらえるには、シミュレーションを行うのがよいのではないか、という周囲の勧めもあり、心臓という臓器のモデル化に焦点が定められた。

「それまで人間の体のモデル化は着手されてこなかったため、エンジニア、研究者、医師、FDAのような国の機関など、多くの方々の協力を得ながら、まずはひとつの心臓のモデルをつくることから始めました」(レビン氏)

各国のエキスパートから必要な部分の技術を提供してもらうことで、3Dデジタルモデルの「リビング・ハート」を作りあげた。心臓の動きにまつわる電気信号など、エンジニアリング的な要素も含まれており、医師がバーチャルなテストを実行できるよう設計されている。現在は約100名、24カ国のメンバーとプロジェクトを進め、実験、テスト、コメント、モデルのアップデートを行っている。

3Dデジタルモデル「リビング・ハート」は、データ解析だけでなく、3Dデータおよび3Dプリンティングした実物を用いた心臓病の治療方針の検討、薬品治療の効果測定など、さまざまな用途で用いることができる

10月末日に発表された直近のトピックは、3Dデジタルモデル「リビング・ハート」が3DEXPERIENCE プラットフォーム・オン・ザ・クラウドで提供されたこと。これにより、オンデマンドのHPC環境にアクセス可能になったことで、心臓の3Dデジタルモデルの活用の間口が広がり、小規模な医療機器メーカーなどの参画も期待できる。このアップデートに関してレビン氏は、(研究機関だけでなく)臨床現場で「リビング・ハート」を利用可能な状況に大きく近づいたと語る。

最終目標は「全身の3Dモデル化」

最も重要なポイントは、「薬の効き方を分子レベルでシミュレーション可能なこと」、とレビン氏。このプロジェクトが進行すると同時に、心臓以外のコミュニティから声をかけられることも増えた。

そのひとつの例が脳で、手術なしで電気信号を与えた状況をシミュレーションし、改善の確度をあげるという用途だ。患者のMRIから得られたデータをシミュレーション環境に落とし込み、手術計画を立ててドクターにフィードバックすることができる。

「自分たちの体のことを理解できる日も近い」とコメントしたレビン氏だが、ではこのプロジェクトも、いずれ人間の全身に展開していくのだろうか。

そう尋ねたところ、「全身が目標という理解で差し支えありません」との回答だった。現在も、心臓だけでなく、人体のいろいろな部分を研究し、それにフィットする機器やソリューションを考案しているとのことだ。

「体は部分ではなく、すべてがつながって機能しているものです。自動車や飛行機でも、パーツを変えるとほかのところにも影響が出る。だからこそ、全身を見ていく必要があるのです」(レビン氏)。

現在公開可能な個別の事例として、心臓弁に欠陥がある人の血流をシミュレーションし、弁だけを治すのではなく、心臓全体で血流を良くすることを目指したもの、シューズメーカーから依頼を受けた足のモデルで、スポーツシューズ開発の際に脚にかかる負荷を測定可能にしたもの、そして肌のモデルを作り接着剤などのかぶれの状況をシミュレートし、ウェアラブルデバイス開発に生かすものなどが挙げられた。

スポーツシューズ開発において脚にかかる負担を測定(左)したり、肌のモデルをつくりシミュレーションを行う(右)など、身体の他の部分のシミュレーションを行う例も増えてきているとのこと

レビン氏は、「人間の体がどうなると正しく機能するか、健康になるのかというのを理解して、医師やエンジニアの皆様にお伝えしていきたい」と語る。

近い将来、全身の3Dモデルが出そろってつながりあい、ひとつの人体を模したシミュレーションが行えるようになれば、我々個々人が受ける医療のクオリティは向上するに違いない。同プロジェクトの今後の展開にも期待したい。