――24製品という数、2カ月という開発期間。どれをとっても、スタートアップとしては異例の規模ですね。UPQの設立に至るまで多くのハードルがあったかと思いますが、まずは、カシオに入社してからの状況を聞かせて下さい。

私、携帯電話が作りたくてカシオに入ったんです。私は2007年にカシオに入社して、携帯電話の商品企画をしていました。当時はガラケー(フューチャーフォン)全盛期で。内部ではAndroidを次にやろうと言いながら作っていました。丁度就職氷河期を超えた頃に入社して、しばらく新卒入社がいなかった頃です。技術系の先輩は皆10歳ほど上の方々でした。

私は中学生の時に携帯電話を持ったので、まずユーザーとして携帯電話に触れたんですね。でも先輩方は、私が携帯電話を使い始めた頃に、携帯電話を「作った」側なんですよ。最初はポケベル(数字などの簡易文字データを送ることができる小型の液晶端末)から始まって、PHSにになって、携帯電話になって。「それぞれの通信モジュールを作るのはとても大変だった。今の携帯電はカメラもタッチ操作もテレビも、全部入っているけど、初めはただの文字列、数字しか送れなかったんだよね」と、本当に嬉しそうに説明してくれるんです。「ものづくりっていうのは、こんなに楽しいんだよ」と。

そんな環境の中で、私もカシオでものづくりができるのかと期待していました。そして、Androidの準備をしていた頃に「iPhone 3G」が登場して。皆で様子を見ている間にうわっと市場を持って行かれてしまった。

中澤氏はカシオ時代に「SoftBank 830CA」やEXILIMケータイ「CA006」、「MEDIAS W N-05E」などの携帯電話を手がけている

――「iPhone 3G」は2008年7月に発売でしたね。市場が一気にiPhoneに傾いた印象があります。

入社して1年しない間に、商品のために議論して、楽しみながらものづくりするような状況ではなくなってしまいました。同僚も何人も辞めてしまい、NECと事業統合した後は、カシオの端末を作れる環境じゃなくなってしまったんです。

携帯電話の開発も、もう少し頑張ったら良いものができるのに、「コストを下げなきゃいけないからできない」という状況になりました。市場があまりにも淘汰されて、苦しくてそんな状況になっていってしまう。皆がとても苦しみながらモノを作っていました。できないことを決める会議で一番時間を取っていて、この間に何か作れたんじゃないかと何度も思いました。

私はモノってこんな風に作るんじゃなくて、もっとがむしゃらに作るものなんじゃないかと思っていたので、自分のチームだけは、できる限り「できないこと」を無くそうと言って製品を作っていました。でも、2012年に携帯電話事業から撤退するという話が出て、もう作ることもできなくなりました。「会社に残るならシステムを売れ」と言われたのですが、ものづくりを続けたいし、BtoBのシステムは売りたくなかった。それで会社を辞めました。