坂村氏、30年間を振り返る

ここで坂村氏がTRONプロジェクト30周年を記念して、過去のプロジェクト成果物を次々と紹介した。坂村氏は電脳建築学の分野でも名を馳せているが、ここではIT関連に絞って取り上げたい。往年のPCユーザーとって懐かしいのは、やはり「BTRON」だろう。

TRONをPC化した最初の「BTRON試作機」

日本のIT産業が世界の流れに乗り遅れないため、新たなオープンアーキテクチャに基づくPCとして、1985年からBTRONの開発プロジェクトが始まっている。坂村氏は今だから語れるエピソードとして、BTRONを取り巻く当時の状況を語った。1986年、文部省(旧)と通商産業省(旧)が作った組織を通じて、BTRONアーキテクチャを"教育用PC"とする流れがあったものの、USTR(米国合衆国通商代表部)が外交貿易障害リストの候補にBTRONを加えた。新聞などで大きく報じられたため、覚えている方も少なくないだろう。

1991年に市販したTRON PC「1B/Note」

「風評的な被害を受け、他国から日本は(BTRONを)やめろという空気が流れた。当時はMicrosoftの圧力だといわれたが、同社は(TRONプロジェクトの)協賛メンバーでもある」(坂村氏)と噂を完全否定。「大人げないため、ここでは語らないが、(発表会で配った雑誌「TRONWARE」を手に)ここで書いた」と述べた。

その一文を引用しよう。「実は米国の企業ではなく日本人だということは後年分かったことだ。(中略)孫氏は(中略)TRONつぶしに動いたらしい」と記述している。これは1999年に刊行した大下英治著「孫正義 起業の若き獅子」を元にしたものだ。個人的には日本のIT産業を左右する存在だったBTRONが各方面から支持されていれば……と"たられば"話を頭に描いてしまう。ただ、やはり"たられば"ではあるが、BTRONが日本で発展したとしても、世界的にはいわゆる「ガラパゴス化」した可能性もある。物事には多くの視点があるので、結果としての現状を中立的に受け止めるべきだろう。

「TRONキーボードTK-1」。読者によってはこちらも懐かしいはずだ

続く成果物の紹介で「TRONCHIP」が登城すると、「当時からARMと同じことをやってきた。結果的に失敗したのは未来を先取りしすぎた」(坂村氏)と過去を振り返った。当時は大型コンピューターがまだ主流だったため、TRONCHIP上でCOBOLコンパイラをどのように開発すべきか、といったズレた意見が少なくなかったという。

TRONCHIPの1つ「Gmicro200」は日立製作所が実装した

T-Engineプロジェクトについても「Raspberry Pi」と比較し、販売戦略の面で後塵を拝したことを認めていた。T-Engineのハードウェアは仕様に沿って各社が販売するため高額になってしまったが、Raspberry Piは数十ドル程度。「クラウドファンディングのように流動的な協力環境がある米国と、ネット時代に即した制度やシステムがない日本では難しい」(坂村氏)と、当時から現在に続くプロジェクトの苦労を改めて振り返っている。筆者には「日本でなければ(T-Engineはもっと)成功したかもしれない」という坂村氏の発言が印象的だった。

T-engineプロジェクトから生まれたハードウェア。モバイルデバイスからスイッチなどあらゆる場面に用いられる

いずれにせよ30年という長き月日を振り返ると、TRONプロジェクトはすべてにおいて「発表するのが早かった」のだろう。一足早く未来を先取りしても、妨害する人々や制度上の理由で苦難を強いられた例は枚挙にいとまがない。だが、坂村氏の発言は明るい。

「ダメだといい続けると本当にダメになってしまう。だからこそ『次』を目指す活動が必要だ」、「プロプライエタリソフトウェアではなく、ソフトウェア開発者自身が社会に役立つことに価値を見いだせるソフトウェアソリューションを目指したい」と語っていた。

そんな坂村氏を始めとする各プロジェクトチームは、TRONプロジェクト30周年を記念したWebサイト「TRON PROJECT 30th Anniversary」を公開し、2014年12月10日~12日、東京ミッドタウンホールで最新の成果を紹介する「2014 TRON Symposium」を開催する。坂村氏が目指すTRONの世界を知りたい方は、訪れてみてはいかがだろうか。

阿久津良和(Cactus)