山口大学は12月27日、いつ、どこで、何があったか、といったエピソードに関わる記憶形成の中心的な役割を担う脳の「海馬」の学習機能が、興奮性と抑制性のシナプスの多様性によってもたらされていることを発見したと発表した。

同成果は、同大大学院医学系研究科の美津島大 教授らによるもの。詳細は「Nature Communications」に掲載された。

海馬には時間や空間の情報が入り、特定のエピソードに反応するニューロンも近年の研究から発見されていたが、実際に記憶情報をどの様にデータとして記録するのかといった様態は不明のままであった。

研究グループは、これまでの研究から、シナプスには、神経細胞を繋ぐ部分が無数にあり、相手の神経細胞を興奮させる「興奮性シナプス」と、相手の神経細胞を静める「抑制性シナプス」があり、学習を行うとマウスの海馬神経細胞の興奮性シナプスの連結が強化されること、ならびに学習時に興奮性シナプスの強化を阻止すると回避学習ができないことを報告していた。しかし、何が興奮性シナプスを強化するか、その引き金となる分子が不明であったことから、今回、その解明に向けた研究を行ったという。

具体的には、アセチルコリンに着目し、学習前後の海馬内の分泌量を測定。その結果、アセチルコリンは学習中から分泌量が増加し、学習後にも高く維持されることが判明したという。

自由行動動物を用いて、海馬におけるアセチルコリン分泌量を測定した。回避学習前のアセチルコリン分泌量は低いが、学習中一気に上昇し、学習後もしばらく上昇が続いた。一方、エピソードの学習がなかった他の3群(非学習群、ショックのみ群、探索のみ群)では分泌反応が見られないか、一時的であった。■は学習時期を示す。「ショックのみ」はショックケージで飼育し、エピソードなしで突然ショックを受けた群。「探索のみ」はショックケージに入れるがショックを受けなかった群

そこで、個々の海馬神経細胞について興奮性シナプスと抑制性シナプスの機能解析を行ったところ、回避学習は興奮性シナプスを多様に強化するだけでなく、抑制性シナプスも多様に強化することを確認。

学習させなかったラットではシナプス反応は弱い(左)。一方、回避学習をさせたラットでは抑制性シナプス反応も興奮性シナプス反応も強化され、多様な反応が見られた(右)

その結果、個々の海馬細胞が複雑かつ多様なシナプスを保持することで、エピソードを学習できることを解明すしたとする。

個々の海馬細胞の興奮性シナプスの反応(縦軸)および抑制性シナプスの反応(横軸)をグラフで表示した。回避学習群では神経細胞ごとに反応の大きさ異なり、各海馬細胞が複雑かつ多様なシナプスを保持していることがわかる。一方、非学習群、ショック群、探索群では、興奮性シナプスの反応も抑制性シナプスの反応も小さく、単調であった

さらに、興奮と抑制、どちらのシナプスの多様性が、回避学習に関わるかの検討を実施。その結果、学習過程に、海馬がアセチルコリンを受容するアセチルコリン受容体の一種である「ムスカリン性M1受容体」を阻害して興奮性シナプスの多様性を抑えた場合、また「ニコチン性α7受容体」を阻害して抑制性シナプスの多様性を抑えた場合のいずれの場合も回避学習ができなくなることを確認。この結果から、興奮と抑制、どちらのシナプスの多様性も学習には必要であることを突き止めた。

左右の海馬に薬物を微量注入して学習を評価した。興奮性シナプスを変化させる、アセチルコリン受容体のサブタイプを阻害すると回避学習ができなくなった(ムスカリン性M1受容体阻害薬)。一方、抑制性シナプスを変化させる、アセチルコリン受容体の別のサブタイプを阻害しても回避学習ができなくなった(ニコチン性α7受容体阻害薬)。この結果から、アセチルコリンを引き金とする興奮性シナプスの変化と抑制性シナプスの変化の両方が、回避学習に必要であることが解った

なお研究グループでは、正常な老化でもアセチルコリン分泌量は徐々に低下するが、アルツハイマー型認知症ではエピソードの記憶障害が著しく、海馬アセチルコリンの減少が特に顕著であることが知られており、今回のニコチン性α7受容体が学習依存的な抑制性品プルの可塑性を維持する役割を持っているという成果は、神経毒性の高いAmyloidβ1-42がニコチン性α7受容体に選択的に結合して伝達を障害するという既知の知見と合わせ、今後のアルツハイマー型認知症に対する新薬の開発につながる作用点を明確化することに役立っていくことが期待されるとコメントしている。