震災後の福島を写真で記録し続ける取り組み

ゲッティ イメージズが世界の報道写真家たちを支援する助成金プログラム「エディトリアル グランツ」。このプログラムに、2012年、初めて日本人のフォトグラファーが選ばれた。

ゲッティ イメージズの助成金プログラム「エディトリアル グランツ」とは、報道写真撮影に取り組んでいる世界の写真家たちから、その撮影テーマや作品を募り、厳選された数名に各2万ドルの資金援助をして、その撮影活動をサポートするというもの。今回は、60カ国328点の応募の中から、4名のフォトグラファーが選出された。この「エディトリアル グランツ」に、日本人として初めて選ばれた報道写真家 岡原功祐氏に話を訊いた。岡原氏は、これまでも世界各地を飛び回り、2011年3月からは、福島で撮影を続けている。

岡原功祐
2003年 早稲田大学教育学部教育学科卒業。コソボ(旧ユーゴスラビア)を訪れたことがきっかけで写真を撮り始める。大学卒業後から、人の居場所を主なテーマに、中南米、アフリカ諸国、日本などで撮影を続けている。主に国内外の新聞・雑誌で写真を発表。フランス、イタリア、オランダ、中国、バングラデシュ、タイ、国内では東京都写真美術館、Gallery 21、Tokyo Photoなどで写真展を開催。2007年にフランスの写真家エージェンシーVUに参加、2010年脱退。2009年には世界報道写真財団が世界中の若手写真家から12人を選ぶJoop Swart Masterclassに日本人として初選出。Photo District Newsが選ぶ世界の若手写真家30人にも選ばれる。また2010年には、日本人としては初めてW.ユージン.スミス賞2位受賞
岡原功祐

――岡原さんは、普段はフォトグラファーとしてどのようなお仕事をされているのでしょうか。

岡原功祐(以下、岡原)「普段は、アサインメント写真を中心に活動しています。国内外の新聞や雑誌からの依頼仕事を受けて資金を捻出し、自分のプロジェクトに取り組んでいるという感じです」

――ゲッティ イメージズの助成金プログラム「エディトリアル グランツ」にはどのような経緯で応募したのでしょうか。

岡原「日本では、報道フォトグラファー向けのこういった助成金プログラムは少ないのですが、海外ではいくつかあります。ゲッティ イメージズの『エディトリアル グランツ』はフォトグラファーの間では有名で、前回、海外の友人が選ばれたということもあって以前から知っていました。オンラインだけで手軽に応募できるのは、より多くの写真家に門戸を開いているという意味で魅力ですね」

――このような助成金プログラムの存在について、どうお感じになりますか?

岡原「やはり自分に限らず取材には資金が必要ですので、現実的に取材費用となる資金が与えられるのはありがたいです。また、このようなプログラムに選ばれたことで、自分の写真が世に出る機会も増えるというメリットもあります」

――今回、日本人として初めて助成金の対象として選ばれたわけですが、どのような活動をしていくのでしょうか。

岡原「助成金プログラムからプロジェクトのために2万ドルの助成金を頂き、テーマのための撮影費用にさせていただきます」

――今回はどのようなテーマで応募されたのでしょうか。

岡原「震災後の福島を題材とした『Fragments/Fukushima』です」

福島にて撮影された岡原の作品。助成金プログラム「エディトリアル グランツ」受賞作品より。
(C)Kosuke Okahara / Getty Images Editorial Grant recipient 2012

次世代が福島を理解するためにも写真で記録を残したい

――震災後の福島といっても、原発事故を含めてテーマは非常に広く、多岐に渡っています。岡原さんは、どの部分をフォトグラファーとして追求していく予定なのでしょうか。

岡原「特に福島の何というわけではないのですが、自分が見てきたものを撮っています。タイトルにFragmentsとあるように、本当に断片をひとつひとつ丁寧に撮影して、『かけら集め』をしているという感じですね」

――福島での撮影はいつ頃から開始されたのでしょうか。

岡原「2011年3月の震災直後からです。地震が発生した時はリビアにいたのですが、すぐに帰国して福島に向かいました。それ以来、20回ほど福島を訪れています。地震直後から数ヶ月は、新聞や雑誌の依頼で福島を撮影していたのですが、2011年の夏頃からは、自分の理解のために撮ろうと思って撮影を続けています」

――「自分の理解のため」とは、どのようなことなのでしょうか。

岡原「震災直後の頃は、撮影していても、自分で何を撮影しているのかよくわからない状態でした。例えば、誰もいなくなった20キロ圏内の状況に対して『怖い』という感覚があったんですよね。変な表現ですけど、撮影していても『これは作り話なんじゃないか』と感じるときもありました。その感覚を、これからも撮影を続けて、何なのかしっかりと理解したいと思ったんです。また、写真は記録として残るものなので、『残すために撮ろう』という気持ちは以前からあります。原発事故に関しても、放射能や放射性物質は目に見えません。後の世代が、一体この福島というものが何なのか、どんな意味を持つのかを理解するための材料として、写真で残しておきたいと思っています」

――最終的に、このプロジェクトでどのようなゴールを目指しているのでしょうか。

岡原「それも撮影しながら探っていく部分です。新聞や雑誌の依頼仕事ですと、ある程度決まったストーリーに沿って、必要とする写真を求められる場合もあるのですが、今回は完全に自分のプロジェクトですので、それはありません。まずは、福島の『かけら』を丁寧に集めていきたいと思っています。最終的には写真集というカタチにまとめたいと考えています」

――これからも福島に通う日々が続きそうですね。

岡原「はい。最低でもこれから半年~1年は通い続けたいと思っています。それで、納得できなかったら何年でも通うつもりです」

撮影:石井健