2012年6月15日、太平洋マリアナ海溝で水深6671mまで潜水し、1989年に「しんかい6500」が達成した6527mの記録を抜いた中国の有人潜水船「蛟竜」。続く24日には水深7015mの潜水に成功し、開発目標としてきた7000mを突破してみせた。この記録達成を、しんかい6500を研究副主幹として開発した高川真一特任教授(東京大学)は、どう見ているのだろうか。同氏に話を聞いた。

高川真一特任教授(東京大学生産技術研究所 海中工学国際研究センター)は、しんかい2000、しんかい6500、かいこう11000など、日本を代表する深海潜水船、潜水機を開発してきた。現在も、セラミックス製耐圧容器や深海底鉱物資源採集システムなど、最先端の研究に携わり続けている

ロシアの深海探査艇「ミール」の技術を導入した中国の「蛟竜」

--蛟竜が水深7000mまで潜ったというニュースを聞いた時、どのような感想を持たれましたか
高川特任教授(以下、敬称略):なぜ中国が7000mまで潜ったのか、その理由をご存知でしょうか。

中国にとって、海底鉱物資源がある最も重要な領域は南シナ海なのですが、一番深いところで4500m程度しかなく、せいぜい4000mの潜航能力で十分なはずです。彼らが7000mに挑戦したのは、日本のしんかい6500の記録を超えるためなのです。これは、公式に発表された目標です。

--国威発揚が目的だったわけですね。2001年頃には水深300m程度に潜る技術しか持っていなかったのに、わずか10年で、しんかい6500の記録を抜くまで進歩したことについては、どうお考えですか
高川:確かに水深では、しんかい6500の記録を追い抜きました。しかし、それ以外の技術まで追い抜いたというのは、言い過ぎだと思います。

実は、蛟竜は、ロシアの技術の全面的なバックアップを受けて開発されました。それは、見た目にそのまま現れています。日本のしんかい6500や、米国のアルビンは、出入り口となるハッチの真上にカバーが取り付けられていて、ちょうど帽子をかぶったようになっていますが、ロシアのミールには、それがありません。蛟竜も同じデザインになっています。また、上面だけを赤く塗り、それ以外を白く塗るというペイントの仕方も同じです。

--中国は、60%程度の技術を国内で独自開発したと発表しているようですが
高川:もちろん中国の独自技術も入っているとは思いますが、ロシアからの技術供与を受けて国内で製造した部品も含めての60%ではないでしょうか。

--一番重要な耐圧殻は、どちらの技術なのでしょうか
高川:日本やアメリカ、フランスで耐圧殻を作るときは、大きな金属の板を一気にプレスして、お椀型に成型し、それを2つ溶接して球形にします。しかし、蛟竜の耐圧殻は、側板6枚、反対側6枚、天板、床板1枚ずつの計14枚の板を張り合わせて、手で溶接しています。溶接部分が多いと、歪みが増えます。だから、できるだけ溶接部分を減らしたいわけですが、その技術が中国にはまだなかったのだと思います。

張り合わせて溶接する技術が中国独自のものか、ロシアから提供されたものかどうかは分かりません。

--しんかい6500は1000回以上の潜航を行っていますが、耐久性の面で蛟竜が劣るということでしょうか
高川:よく列車や飛行機で金属疲労が問題になりますが、あれは材料を引っ張っているからです。水圧で押される場合は、あまり問題になりません。

--技術開発にかける時間を節約して、それなりのものを作ってきたのですね
高川:そうですね。しかし、中国も、浮力材ではかなり苦労したみたいで、欧米の浮力材メーカーが「7000mでも大丈夫だ」と保証したので、それを使っているようです。

--世界記録である水深7000mまで潜航可能な浮力材が市販されているわけですね。標準品を集めるだけで、相当なことができる時代が来たということなのでしょうか
高川:工業力というよりも、設計力が世界レベルに追いついたと言えるのかもしれません。部品は標準品を買ってくればいいわけです。ただ、輸出規制で特殊な油圧サーボ弁が手に入らず、いろいろな技術を組み合わせて、同等の機能を持った弁を開発するといったこともあったようです。

「蛟竜(Jiaolong)」の水深7000m潜航への挑戦は、宇宙における神舟9号のドッキングと並行して行われ、互いに祝賀メッセージを交換している(出典:CHINA SHIP SCIENTIFIC RESEARCH CENTER Webサイト)

ロシアの有人潜水船ミールと蛟竜の耐圧殻は直径2.1mで同じ大きさだ。しかし、ミールは鉄製だが、蛟竜はチタン製であるなど、相違点も存在する(出典:National Oceanic and Atmospheric Administration:NOAA)

「気球」の世界から抜け出せない深海潜水船

--日本サイドでは、蛟竜の記録達成をどう見ているのでしょうか。「しんかい12000」という新しい有人潜水船の名前を耳にすることもあるのですが
高川:開発エンジニアの中には、水深11000mまで有人で行きたいと考えている人が、かなりいます。しかし、有人潜水船を本当に活かすのは、開発サイドではなく、むしろユーザーサイドです。ですから、彼らが「ぜひ欲しい」と大きな声で言ってくれれば良いのですが、「11000mまで欲しいね」と口では言うものの、それ以上のことは言ってくれなくて…。予算とか先立つものを言う以前に、日本全体に、覇気がなくなってきている気がします。

--深海パイロット達の意見は?
高川:彼らなりに言ってはいるのですが、「どんなイメージ?」と聞いてみたら、しんかい6500が機能アップしたようなイメージで、「それじゃ行ったってしょうがないじゃないか」って、からかっているんです。

しんかい6500が、例えば11000mの耐圧能力を持ったとして、後は変えないとすれば、往復だけで10時間かかります。「海底に1時間もいられないよね、潜って何するの。もっと別のことを考えなきゃ」って言っているんです。そのためには、潜航スピードをアップすることが重要ですが…なかなかできないんですよ。

早く潜れるということは、重くなるということで、浮上するために、もっと浮力を付けなければならなくなる。すると、船体が大きくなるんですね。もっと高性能な電池があって、電池の推進力で深海まで勢いよく突っ込むとか、そういうのが理想なのですが。

--現在の、潜水船の重さだけを加速力として潜る方法では、水深11000mまで到達するのに時間がかかり過ぎ、7000m前後が限界だと。しんかい6500が開発されて20年余り、新しい有人潜水船がなかなか登場しなかった背景には、技術の限界を極めてしまったという理由もあったわけですね
高川:いろいろな潜水船がありますが、ベースは同じです。球形の耐圧殻があって、上に浮きがあります。これは気球なんですよ。1930年代に、スイスの物理学者オーギュスト・ピカールが、宇宙線やオゾンを研究するために、自らが設計した水素気球に乗って、上空16000mの成層圏まで達しています。彼は、その後一転して深海を目指し始め、耐圧容器があって、その上にバルーンに当たる浮きがついている深海潜水船のベースを作り上げます。それが、1960年に世界で初めて水深約11000mまで潜ったバチスカーフ・トリエステ号です。以来現在まで、「気球だから、狭いところに人間がいるのは当然だ」という発想が、そのまま受け継がれているのです。そこから脱却して、ちゃんと寝泊りができるものを考えなきゃ、これからの時代は間に合わないんじゃないかな。

オーギュスト・ピカールが設計したバチスカーフ・トリエステ号。船体のように見える部分は浮力部で、水より軽いガソリンで満たされている。4トンの船体のために75トンものガソリンが必要で、取り扱いが難しく、海中での動きも鈍かった(出典:The United States Navy)

「しんかい12000」は何を目指すべきなのか

--「蛟竜」以外に、最近の話題として、チャレンジャー海淵で11000mまで潜ったジェームズ・キャメロン監督の「ディープシーチャレンジ」がありますが、こちらの評価はいかがでしょうか
高川:あれを学者達が使うかというと、まず使いません。耐圧殻の内側の直径が1.09m、さらに機械がいっぱい入っているわけです。身を屈めて入って、身動きが取れない。足を伸ばそうなんて、とんでもない。人間工学的にお薦めできる船ではありません。

ただ、縦に細長い船体を持ち、進行方向を上下方向メインと割り切ったことで、海底に到達するまでのスピードアップをしてみせた。その点では、新時代の深海潜水船のあり方を垣間見せてくれました。ただし、海底に到着した後は、ほとんど走り回れません。

私は、「ディープシーチャレンジ」に先を越されて、蛟竜サイドは悔しかったと思いますよ。あれがなければ、名実ともに「世界一だ」と胸を張れたわけですから。

余談ですが、私は、キャメロン監督は、「ディープフライトチャレンジャー」という、リチャード・ブランソン率いるバージン・オセアニックが提供する富裕層向けの潜水船に乗船するのだと勘違いしていました。戦闘機みたいな形をしていて、搭乗者はパイロット席に座り、海底へ30度程度の急傾斜で突っ込んでいくというものです。

この潜水船は、スピーディーに海底に到達するという点では、新しい時代の有人潜水船のコンセプトを体現しています。ただ、パイロット席が上を向いているのです。浅海ならともかく、深海では、海底、つまり下が見えなければ意味がありません。

--すでに中国は、11000mまで潜航できる有人潜水船を開発すると宣言しています。彼らが開発できるのは、「蛟竜」技術の延長上で水深11000mに潜れるものだと思うのですが
高川:たぶん、そうでしょう。

--日本が「しんかい12000」を開発するなら、現在の技術の延長上で良しと割り切るのか、新しい有人潜水船像を創造する方向を目指すのか、どちらかを選択しなければならないということですね
高川:新しいものを作らなければいけません。往復10時間で何をするんですか。トイレもないのでは、何もできないですよね。海底が見えて、トイレがあって、ベッドがあって、海底までものすごいスピードで突っ走る。そんな新しい有人潜水船を目指さないのなら、水深11000mまで潜るって騒いでも、しょうがないですよ。