理化学研究所(理研)は、独自に開発した「nanoCAGE法」をマウスに適用し、サンプル量が微量なためにRNA発現解析が困難だった「嗅覚受容体」遺伝子のプロモーター領域を網羅的に解析したと発表した。その結果、ゲノム上の全臭覚受容体遺伝子の87.5%について、転写開始点の位置を同定することに成功したとしている。研究は、理研オミックス基盤研究領域ゲノム機能研究チームのピエロ・カルニンチ(Piero Carninci)チームリーダーと、イタリアのSISSA神経生物学部門を初めとする、ノルウェー、アメリカ、イギリス、ドイツなどの研究者らとの共同研究によるもので、成果は米科学雑誌「Genome Research」オンライン版に掲載された。

匂いは、鼻の奥にある組織「嗅覚上皮」上の多種多様な嗅覚受容器ニューロンが発現する嗅覚受容体と匂い分子が結合して感知され、ヒトで約350種類、マウスで約1100種類存在する。それぞれの嗅覚受容器ニューロンは、1種類の嗅覚受容体遺伝子を発現するため、特定の匂い分子を捉えることができるという仕組みだ。非常に選択的な仕組みだが、これは分化の過程で多層的に起こる転写制御によるものと現在では考えられている。

最近、マウスの嗅覚受容体遺伝子の内、タンパク質に翻訳される領域のほぼすべてが同定されたが、そのメカニズムの全容はまだ判明しておらず、その転写開始領域については不明のままだ。これまで、個々の嗅覚受容器ニューロンがどの嗅覚受容体遺伝子を発現するのかという選択的発現メカニズムの解明が試みられてきたわけだが、同じ種類の受容体を発現する細胞数が少なく、解析用試料が十分得られないことが問題だったのである。

また、嗅覚受容体遺伝子のプロモーター(遺伝子を発現させるのに必須の機能を持つ塩基配列のこと)に結合する「転写因子」(DNA上のプロモーター領域・塩基配列に特異的に結合し、RNAへの転写の過程を促進または抑制する一群のタンパク質のこと)も、同定されたものが少なく、さらに「ノンコーディングRNA」(ncRNA:タンパク質をコードしないRNAのことで、ほ乳動物の発生やほかの生物学的機能において重要な役割を担う)の発現については報告がないというのが現状である。嗅覚受容体遺伝子の選択的発現メカニズムを理解するためには、これらを明らかにし、転写制御ネットワークを解明する必要があるというわけだ。

そこで研究グループでは、顕微鏡下でマウスの嗅覚上皮をレーザーで切り出し、2010年に同研究グループが独自に開発したnanoCAGE法により転写開始領域の解析を網羅的に実施。結果、ゲノム上のプロモーターの位置を同定することに成功したのである。

nanoCAGE法とは、DNAの断片であるプライマー配列の工夫とcDNA(相補的DNA、メッセンジャーRNAから逆転写反応で合成されたDNA)の特異的な増幅法の導入により1000倍以上の感度向上を実現した技術だ。結果、ナノグラム(ng)レベルのRNAの量から、転写開始点の同定とそれぞれの発現の定量解析を、先端のシーケンサを使い大規模に解析できるのである。

今回の解析で発見したプロモーター領域は、RACE(Rapid Amplification of cDNA end)法で再確認が行われた。その結果、1092個ある嗅覚受容体遺伝子の内、87.5%に相当する955個の遺伝子について転写開始点を同定し、さらに通常アミノ酸翻訳に用いられない「アンチセンスRNA」を含む新規ncRNAが発現していることも確認されたというわけだ(画像1)。この結果より、ncRNAが嗅覚受容体の選択的発現を制御している可能性も十分に予想できるとしている。

なお、アンチセンスRNAとは、DNAより転写されるRNA(センスRNA)の塩基配列に対して、相補的で逆の方向性を持つRNAのことで、ncRNAの1種である。特定の遺伝子に対するセンス/アンチセンスRNAペアがそろうとRNA二重鎖を作り、本来の遺伝子の機能が抑制されるという仕組みだ。理研では、二重鎖DNAの双方の鎖が読まれるセンス/アンチセンスのRNAペアが、哺乳類において多く発現し、機能性を持つことを発見している。

画像1。同定した転写開始点の割合。ゲノム上のさまざまな位置で同定した転写開始点の割合を示す。52%がタンパク質をコードする既知の遺伝子(RefSeq)の領域で、19%がncRNA領域で同定した

さらに研究グループは、「バイオインフォマティックス」(応用数学、情報学、統計学、計算機科学などの技術応用によって生物学の問題を解こうとする学問で、「生命情報学」、「生物情報学」などと訳される)により、同定したプロモーター領域の転写因子結合部位(画像2)と、嗅覚受容体遺伝子を発現させる転写因子を予測。

画像2。転写因子結合部位の解析結果。同定したプロモーター領域における、転写因子(SOX・ FOX motifs、HOX motifs、MEF2A、TATA-box、EBF1、IKZF1)結合部位の位置。横軸上の0の位置が転写開始点で、下流(正)に嗅覚受容体遺伝子が存在する

中でも3つの転写因子(EBF、TBP、MEF2A)について、「クロマチン免疫沈降法」(タンパク質とDNAが接合している部位を、タンパク質に対する抗体によって抽出し、同定する方法)を用い、プロモーター部位に結合することを確認した。

また、同定したプロモーター領域の下流に「レポーター遺伝子」(解析したい遺伝子が発現しているかどうか簡便に定量、検出および細胞レベルで可視化する目的で利用される遺伝子のこと)を組み込んだトランスジェニックマウスの解析も実施。それにより、このプロモーターが正常に機能することを確認し、nanoCAGE法による解析結果が正しいことを実証した。

研究グループでは、今回解析したマウスの嗅覚受容体遺伝子のプロモーター領域に関する知見は、今後の嗅覚受容器ニューロンにおける嗅覚受容体の選択的発現のメカニズム解明に役立つと期待できると考えているという。さらに、nanoCAGE法は解析のターゲットとなるRNA量が微量であっても遺伝子発現解析を可能にし、今回のような神経系の細胞の解析や、がん細胞の解析への貢献が期待できるとしている。