これまでのコンピューティングモデルの変遷については、日本におけるマイクロソフトのビジネス以前のところから語り起こした。すなわち、まずメインフレーム全盛の時代の中、1975年にパーソナルコンピューティングを掲げてビル・ゲイツ氏がマイクロソフトを創業。日本においてもNEC、富士通といった会社がPCの黎明期から参入しており、その後ビジネスが大きく成長した。この時期のマイクロソフトの代表的な製品としては、70年代はBASIC、80年代はWordとWindows 1.0、90年代はWindows 95を挙げた。とくに80年代については、IBM-PCによりハードウェアが、MS-DOSによりソフトウェアが、それぞれ標準化されたことが大きいという。

そして話は日本での25年間に移る。日本における技術的な大きな転換点として、加治佐氏は、1993年のプラットフォーム統一、1995年のインターネットへのシフト、2002年に掲げた信頼できるコンピューティングの確立の3つを挙げる。

日本におけるプラットフォームの統一は、1993年のWindows 3.1、1994年のWindows NT 3.1登場により、OEM各社が独自にカスタマイズしたプラットフォームからマイクロソフトブランドによる共通化されたプラットフォームへの移行が進んだことを指す。これにより、アプリケーション・周辺機器が多数リリースされるようになったという。

日本における3つの転換点

プラットフォームの統一により、パソコンの普及が大きく進んだ

インターネットへのシフトについては、加治佐氏は「当時のマイクロソフトは、インターネットへの対応があまり進んでいなかった」と認めながら、1995年の12月にゲイツ氏が「マイクロソフトはインターネットへ真剣に取り組んでいく」と宣言したのが転換点だったと振り返る。

3点目として挙げた"信頼できるコンピューティング"は、Nimda、Code Redなどによる混乱、さらには9・11同時多発テロなどによる社会的不安などからセキュリティへの意識が高まったことを受け、開発スタイルを"問題への対処"ではなく"最初から堅牢なシステム"を追求するなど、セキュリティについて妥協しない姿勢へ転換したことを意味する。ただその成果については、「当初5~10年でどうにかしたいと思っていたが、それほど甘くはなかった」とし、「悪意のあるユーザー側がセキュリティホールを探すための技術が進んでしまい、またコストも投入されるようになってきている」と、対処がより困難になっているという現状認識を示した。

ゲイツ氏が1995年12月にインターネットへの取り組みを宣言し、同社は大きく舵を切った

"信頼できるコンピューティング"への取り組みにあたってゲイツ氏から送信されたExcecutive Mail。転換は進むものの、未だゴールは見えない