サンフランシスコで開催されるIntel Developer Forum(IDF)の最終日は、主に研究リサーチを中心としたイベントが行われる。その一環で昨年から、Moira Gunn氏が功績を残したエンジニアをインタビューするスペシャルトークセッションが設けられている。今年のゲストはApple IとApple IIを設計したSteve Wozniak氏だ。シリコンバレーを代表するガレージ起業伝説を生み出した同氏だが、起業精神にあふれていたのはもう1人のSteve (Jobs氏)だけで、自分は内心「会社を興すのがこわかった」という。それでも「生涯エンジニアでありたい」という夢のために、Jobs氏とのパートナーシップに同意した。

終始リラックスして質問に答えるSteve Wozniak氏。インタビュワーのMoira Gunn氏はNPRの「Tech Nation」と「BioTech Nation」のホストを務める

2006年に「iWoz」というWozniak氏の自伝本が出版された。この日のインタビューは、その要約のような内容で、サイエンスに興味を持つきっかけとなった父親の影響、10歳の頃から熱中していたマイコン、エンジニアとしてのキャリアとApple設立、現在の興味などが、Wozniak氏の口から語られた。少なからず聴衆はJobs氏との確執のような刺激的なコメントを期待していたと思うが、批判の矛先を向けられたのはゴシップ好きのプレスのみ。"Mac"という単語がほとんど出てこなかったことを除けば、Jobs氏とAppleについては友好的な言葉が続いた。

もっとも面白かったのは、Hewlett-Packard(HP)の社員でありながら、Apple Iを作り上げ、周囲の評価にピンときたJobs氏がパソコンビジネスを持ちかけてきた頃の心境だ。有名な話しだが、「(学生時代に)HPのハンドヘルド計算機の設計の仕事を得られた。あれは今考えても非常にラッキーだった」とか、「(HPは)会社の中でエンジニアが尊敬される理想の職場だった」というように、Wozniak氏の言葉で語られると、同氏がいかにHPを愛していたかが伝わってくる。話は、Apple設立に資金を提供するエンジェル投資家があらわれてから山場を迎える。ノリノリのJobs氏に対して、HPを退職する必要があったWozniak氏は悩んだ。「生涯HP社員」を心から望んでいた同氏に、悪魔のようにJobs氏は誘いの手を伸ばし、翌日からWozniak氏は親戚・友人から次々に起業を勧められる羽目になった。ただ最終的にHP退職を決断させたのはエンジニア魂だった。同氏が開発したパソコンはHPに権利があったため、まず会社にみせたのだが、興味を示さなかった。しつこくアピールしても反応は鈍かった。HPなら……と期待していた部分があったからこそ、余計に失望した。

Wozniak氏はエンジニアであり、楽しくパソコンを設計できれば、それで十分だった。Jobs氏のようにパソコンでひと山当てようなどと思いもしなかったし、会社を経営したり、人を使うのは面倒なことでしかなかった。それもApple設立に消極的だった理由である。結果的にWozniak氏が作り出したものを、Jobs氏があの手この手で商売にする理想的なパートナーになるのだが、当時は2人の組み合わせの相乗効果など考えもしなかった。だが友人の1人から「投資を受けて会社を設立し、成長したとしても、今のままのエンジニアの立場であり続けても構わないだろう」と言われて決断した。そしてAppleでもいちエンジニア以上を望まなかった。だからWozniak氏は"1番"の社員番号を持っている。1987年にフルタイム社員でなくなってからは、Appleとの関わりも少なくなった(現在も籍はある)。今ではApple Storeで買い物する際に社員割引を求めると、しばしば「社員番号は何番ですか?」と聞かれるそうだ。