電力自由化をはじめとする「電力システム改革」が、国を挙げてすすめられています。資源エネルギー庁の 2018 年報告によれば、2016 年から 2 年間で 568 万件の世帯、事業者が新電力への切り替えを選択し、468 の事業者があらたに電力小売事業に参入しています。激しさを増す競争下において、既存の電力事業者は、サービス価値の向上なくしてプレゼンスを維持することが困難になりつつあります。
こうした状況の中、東京電力ホールディングスのグループ会社で首都圏の送配電事業を担う東京電力パワーグリッド( 以下、東電PG )は、先進技術である AI の活用に取り組んでいます。同社では、これまで 1,000 時間以上かけて目視でおこなってきた電線の点検作業を、Microsoft Azure をプラットフォームにした AI システムによって自動化。工数およびコストを大幅に削減することで、「電力の安定供給」と「託送コストの低減」といったサービスの高価値化を加速させているのです。
電力システム改革によって、既存の電力事業者にはサービスのさらなる品質向上が求められる
これまでエネルギー産業では、1 つの電力事業者が発電、送配電、小売を総合的に提供してきました。一方、現在政府が進める電力システム改革では、小売を 2016 年度に自由化し、2020 年までには送配電部門を法的分離することを義務づけています。同改革の目的は、競争原理による電力の安定供給の追求、電気料金の抑制といった、エネルギー産業全体の発展にあります。
この方針に早期に対応すべく、東京電力は 2016 年にホールディング カンパニー制を導入。燃料、火力発電事業と一般送配電事業、小売電気事業の 3 部門を分社化しています。
エネルギー産業の発展は、こうした「燃料、発電」「送配電」「小売」の各事業がサービス品質を向上し合うことでもたらされます。それでは、送配電を担当する東電PG にとってのサービス価値とは、いったい何でしょうか。
1 つに「安定供給」があることは、いうまでもないでしょう。しかし、それ以外にも同社には期待されている事があると、東京電力パワーグリッド株式会社の江坂 真吾 氏は説明します。
「電力小売自由化にともない、当社の送配電網を利用する事業者は多様化しています。この各事業者が価格を抑えて消費者に電気を届けるために、われわれには『託送コストの低減』も求められているのです。当社では、安定供給とコスト低減を両立させるアプローチとして送電線の保全に着目し、分社化した 2016 年度より、保全業務の高度化とスリム化の検討、これを実現するための仮説検証をすすめてきました。2018 年度からは画期的な施策として、AI を活用した架空送電線画像診断システムの稼働をスタートさせています」(江坂 氏)。
架空送電線の点検にかけていた 166 日分の目視作業を、AI で効率化
架空送電線とは、発電所から変電所、大規模工場、ビルといった施設に大量の電力を送るための電線です。2016 年度時点で、東電PG が管理する架空送電鉄塔の数は 50,369 基、架空送電線の亘長( 2 点間距離 )は 14,781 km にも達します。これらの設備は台風や大雪、鳥の接触といった危険に常にさらされており、すべてを定期的に点検することが電力の安定供給には欠かせません。
作業員が宙乗りになって電線を直接確かめる作業は、多大な時間とコストがかかります。そのため東電PG では、ヘリコプターで架空送電線を空撮し、その映像を元にして腐食や素線切れといった異常が無いか確かめる手法を取り入れてきました。しかし、こうした映像をもった点検には大きな課題が存在していたと、江坂 氏はいいます。
「ヘリコプターで撮った映像は、2016 年度実績で約 133 時間分もあります。点検時は正確性を向上させるために、10 分の 1 のスローモーションでこれを再生します。確認に要する時間はのべ 1,330 時間にも上り、目視での作業では膨大な労力を要するのです。1,330 時間という数字は、所定労働時間 166 日分に相当します。点検作業は熟練した作業員が担当するものの、長時間おなじような映像を眺めつづけるわけですから、当然、疲れ目や集中力の低下によって異常を見落としてしまう危険性もあります。大都市に電力を安定供給するための保全業務を属人的な診断に任せてしまうというしくみ自体に、そもそも課題があったといえるでしょう」(江坂 氏)。
AI を活用した架空送電線画像診断システムは、この保全技術を高度化し、業務をスリム化することによって、「電力の安定供給」と「託送コストの低減」をめざすべく導入されました。東電PG では 2017 年に実証実験をおこない、診断システムの有用性を確認。既述のとおり 2018 年 7 月末より、本格稼働を開始しています。
AI サービスを展開するためにもっとも適したパブリック クラウドが、Microsoft Azure だった
サイバー テロを防ぐ観点から、電力事業者が扱うシステムは高いセキュリティ、可用性が求められます。これを背景に東電PG では、従来自社データセンターの環境下でサービス開発し、これを運用することを標準としてきました。ですが、今回のプロジェクトに関してはパブリック クラウドの Microsoft Azure が、AI ロジックの精度を高めるための開発環境、そして学習モデルを稼働させるサービス基盤の双方に利用されています。
「われわれの命題は基礎研究ではありません。迅速に先進技術のサービス化を実現すること、そして早期にサービス価値を向上させることを追求しているのです。そのためには、物理リソースという制約がなくスケーラビリティの高いパブリック クラウドを活用することが最適解でした」と、江坂 氏はこの選択をした理由を明かします。
つづけて、AI ロジックの精度向上とサービス化を支援したテクノスデータサイエンス・エンジニアリング株式会社の庄司 幸平 氏は、同プロジェクトにおけるスケーラビリティの重要性を、つぎのように説明します。
「今回は、『CRISP-DM』と呼ばれるプロセス モデルに従って開発をおこないました。これは手戻りありきの開発手法で、AI ロジックの精度が目標を超えた段階でモデルをサービス実装するというものです。精度を高めるためには、アルゴリズム調整、データ学習、精度検証というプロセスを繰りかえすことになりますが、オンプレミス環境下では、作業開始前に必要なスペックを保守的に見積もってハードウェアを用意し環境を構築しなければなりません。パブリック クラウドならば、必要なスペックの仮想マシンを選択して稼働を調整するだけで最適な環境を用意することが可能です。また、PaaS を使うことで、DBMS(データベース管理システム)や Web アプリケーションといったサービスに必要な機能の実装に要する期間も短縮することができます。パブリック クラウドは AI ロジックの精度向上、サービス化のそれぞれを加速するうえで、きわめて有効なのです」(庄司 氏)。
市場にはさまざまなパブリック クラウドが存在しています。Microsoft Azure だけが電力事業者が求めるセキュリティ、可用性の要件に対応していたわけではありません。では、数あるサービスからなぜ Microsoft Azure が選ばれたのでしょうか。江坂 氏はこう語ります。
「AI サービスの開発は試行錯誤の連続になります。ロジック側とインフラ側が密に連携しなければ、精度向上に向けた PDCA サイクルを回すことは困難でしょう。マイクロソフトはこの AI 領域において大きな投資を行っており、また、これまで他製品を導入した経験からサポート体制にも信頼をおいていました。単なるクラウド ベンダーではなく、AI プロジェクトをロジックとインフラの双方から支えてくれるパートナーになっていただけることを期待したのです」(江坂 氏)。
"Microsoft Azure は機械学習に最適化した仮想マシンを豊富に取り揃えています。また Azure SQL Database といった PaaS も充実しています。優れたサポートのもとでこうした IT を使いこなすことで、当社のめざす「先進技術のサービス化」を早期に果たせると感じました "
-江坂 真吾 氏: 工務部 保全高度化推進グループ送電担当 課長
東京電力パワーグリッド株式会社
映像点検にかかっていた時間を 50% 以上も削減
架空送電線の画像を AI によって正確に診断するためには、乗り越えるべき課題があったといいます。空撮した映像内に占める異常画像の割合は、正常画像と比べて圧倒的に少なくなります。そのために即座に過学習に陥ってしまう、もしくは AI が偏った学習をしてしまうといったおそれがあったのです。この課題について、庄司 氏はつぎのように説明します。
「異常画像が映り込む割合は、1 時間の再生時間に対して数フレーム程度です。業務効率化の観点からは、その数フレームの異常画像を見逃さないだけではなく、異常画像の 10 万倍の規模になる正常画像を正常であると判定させる必要があるのです。異常画像のデータ量が限られている中で、正常画像に存在するさまざまな背景や付属品、送電線の種類といった多様性を『正常な状態』としてニューラル ネットワークにうまく学習させることができるのか、という懸念がありました。AI の構築においては、異常画像に対する正常画像の比率、映り込んでいる背景や付属品の種類などについて、試行錯誤しながら学習を実施しました」(庄司 氏)。
こうした中で精度を向上させるためには、GPU 数やバッチ サイズのバランスを最適化しながら PDCA をまわさねばなりません。この作業をすすめるうえでは、マイクロソフトの支援が大きな支えになったと庄司 氏はいいます。
「当プロジェクトでは、正常を異常と認識してしまう『誤報率』と、異常を正常と認識してしまう『失報率』について目標値を定め、精度の向上をめざしました。難易度の高いプロジェクトでしたが、Microsoft Azure では状況に応じて GPU 数を自由にスケールすることができます。マイクロソフトの技術支援を受けながら作業をすすめることで、ボトルネックの特定と解決を繰り返すことができました」(庄司 氏)。
"AI ロジックの精度向上、サービス実装のためのアーキテクト設計など、マイクロソフトからは多方面で密なサポートを頂きました。計画どおりに無事 2018 年 7 月にサービス インできたのは、優れたプラットフォームとこうしたサポートがあったからこそだと感じています "
-庄司 幸平 氏: 第3データサイエンスグループ グループ長 執行役員
東京電力パワーグリッド株式会社
架空送電線画像診断システムを用いた映像点検によって、これまで点検作業に要していた 1,330 時間の 50% 以上が削減できる見通しです。東電PGでは今後、運用上で蓄積した映像を学習データとして AI ロジックの精度をより高めることで、点検時間を 80% 以上削減することがめざしています。保全業務のスリム化と高度化を実現する同プロジェクトについて、江坂 氏はつぎのように期待を寄せます。
「スタート段階では、異常を正常と認識してしまう『失報率』を 5% 以内にすることを目標にしましたが、運用の中でこれを 1% 以内にまでおさえたいと考えています。誤報率も同様に減らしていくことで、人の眼を超えた精度でありながら作業負荷も劇的に削減するシステムが完成するでしょう。東電PG の命題である『電力供給の安定性』『託送コストの低減』のそれぞれに大きく寄与してくれると期待しています。このプロジェクトで得たノウハウを活用することで、AI を適用する業務領域の拡大にも取り組んでいく予定です」(江坂 氏)。
先進技術を応用した電力保全プラットフォームを構築することで、産業のさらなる発展へ
東電 PG がすすめる保全作業の高度化は、ソフト側の作業にとどまりません。現在、空撮に使用する航空機をヘリコプターからドローンへと変更する試みがすすめられており、既にヘリコプターと同等の撮影精度を担保できることが確認されています。これによって、空撮コストの大幅な引き下げ、点検作業のリード タイムの短縮が期待されています。
江坂 氏は、こうした取り組みの成果は、東電PG だけでなく産業全体で共有すべきだと強調。同社の取り組みをつうじてエネルギー産業の発展に貢献していきたいと、意気込みをみせます。
「現在、送配電事業者はそれぞれが独自に保全作業に取り組んでいます。しかし、そこで課題となっていることは各社で共通しています。仮に保全作業を高度化するための共通プラットフォームが確立されれば、各社がより安定的に、そして廉価に電力の託送を提供することができるでしょう。架空送電線画像診断システムを実用化し、その成果を業界内に広めていくことは、共通プラットフォームの実現、これを通じた産業の発展につながっていくと考えています」(江坂 氏)。
法令改正によって新規事業者が数多く参入することは、既存事業者にとっては望ましくない状況かもしれません。しかし、電力システム改革の本質はエネルギー産業のさらなる発展にあります。この本質を見抜き、先進 IT を導入した取り組みをいち早く進めている東電PG は、今後も間違いなく、業界内において高いプレゼンスを得つづけることでしょう。
[PR]提供:日本マイクロソフト