プラントエンジニアリングの世界的企業である日揮が、サバの陸上養殖事業に取り組んでいます。2022 年 10月に福島県浪江町と協定を結び、同町内に完全閉鎖型循環式による陸上養殖設備を建設し、日揮の子会社であるかもめミライ水産株式会社が陸上養殖事業を行っていくことを発表。施設で利用する設備において、Azure Machine Learning を活用した魚体のサイズ測定や疾病状況の可視化を行うためのシステム開発に挑戦しています。AI ・ ML の取り組みを推進するうえでカギになったのが、MLOps の構築と運用でした。ビジネス部門、データサイエンティスト、パートナーが一体となって取り組んでいる、サバ陸上養殖への AI 適用事例を紹介します。

「サバ陸上養殖 × エンジニアリング × AI」で社会課題を解決、消費者に新しい価値を提供

みそ煮、照焼き、塩焼き、竜田揚げ、南蛮漬け、酢じめ、ちらし、缶詰めなど、四季折々で日本の食卓を豊かにしてきたサバ。たんぱく質や鉄分、ビタミン B1 ・ B2、EPA ・ DPA を含有するなど栄養価が高く、値段も手ごろな万能魚として高い人気を誇ります。イワシ、サンマを加えた 3 大青魚のなかでは漁獲量が安定していて養殖も盛んですが、アニサキスに代表される寄生虫が多いこともあり、刺し身などの生食には不向きとされてきました。

そんなサバを海面ではなく陸上で養殖し、寄生虫リスクがとても低く、新鮮な状態のまま迅速に食卓に届けようというユニークな取り組みを推進しているのがプラントエンジニアリングの世界的企業、日揮です。同社では、2021 年にエンジニアリングの技術やノウハウを生かしたサバの養殖事業を構想、2022 年に陸上養殖を行う法人としてかもめミライ水産を設立し、AI を使って、水槽に取り付けたカメラ映像から成育状況や疾病状況を科学的に把握する取り組みを進めています。

青魚は気候や海流の変動の影響を受けやすく、漁獲量も年々減少傾向にあります。環境条件に左右されず、刺し身でも安心して食べられるサバを提供することは、食品の付加価値を高め、消費者の多様なニーズに応えながら、環境保護や持続的な成長にもつながる取り組みです。かもめミライ水産 代表取締役社長 CEOで、日揮 未来戦略室 プロダクトマネージャーの臼井 弘行 氏はこう話します。

  • かもめミライ水産株式会社 代表取締役社長 CEO 兼 日揮株式会社 未来戦略室 プロダクトマネージャー 臼井 弘行 氏

    かもめミライ水産株式会社 代表取締役社長 CEO 兼 日揮株式会社 未来戦略室 プロダクトマネージャー 臼井 弘行 氏

「日揮はもともとオイル&ガスの分野で、EPC(Engineering : 設計、Procurement : 調達、Construction: 建設)ビジネスを展開している会社です。一方で日揮グループはパーパス(存在意義)として”Enhancing Planetary health”を掲げており、再生可能エネルギーやさまざまな SDGs に関わるビジネスにも注力しています。そのなかで、水産資源の枯渇問題や人口増加によるたんぱく質への需要増、環境汚染、持続的な養殖の難しさなどを受けて、陸上で魚を育てる陸上養殖に注目したことが始まりです。陸上養殖は、日揮のプラントエンジニアリングの経験が活用できる分野です。養殖施設が大型になればプラントとしての設備が必要ですし、日揮の強みであるプロジェクトマネジメントのノウハウを生かすことができます。加えて、日揮は環境データを活用した生産システムの構築にも取り組んでいて、設備だけでなく、環境制御することで生産効率を高め、生産コストを低減させることが可能です」(臼井 氏)。

この「陸上養殖 × エンジニアリング × AI」というこれまでにないタッグを IT システムの面からサポートしたのが、Microsoft Azure(以下、Azure)の機械学習サービス Azure Machine Learning(以下、Azure ML)と機械学習環境構築の無償支援プログラム MLOps Lab でした。

福島県浪江町に完全閉鎖型循環式の「陸上養殖イノベーションセンター」を建設

陸上養殖プロジェクトは、日揮、日揮ホールディングス、かもめミライ水産、各種研究機関、水産関係者が一丸となって推進している取り組みです。2022 年 10月に福島県浪江町と協定を結び、浪江町に、完全閉鎖型循環式陸上養殖技術を用いた陸上養殖イノベーションセンターを設立することを発表します。

完全閉鎖型循環式陸上養殖とは、高度な水処理技術によって水槽内の水を循環させながら、浄化し再利用するもので、まさに日揮が持つプラント設備と環境制御の技術が生きる分野です。このプラントエンジニアリング技術に、これまで海面養殖に取り組んできた水産関係者のノウハウや経験を組み合わせて運営するのが陸上養殖イノベーションセンターとなります。

「完全閉鎖型循環式陸上養殖では、人工的な環境下で魚の養殖を行うために、水を循環させながら高度な水処理を継続的に行います。制御しているのは、水温、溶存酸素、pH、電気伝導率、水質(アンモニア・亜硝酸・硝酸塩)、給餌の情報(成分、給餌量、給餌時間)などです。水産業の経験を取り入れながら、より成育しやすく、疾病にかかりにくい状況を維持していくことが重要です。そこで課題になったのが、どのように魚体の成育状況を正確に把握していくかでした」(臼井 氏)。

かもめミライ水産では、完全閉鎖循環式陸上養殖システムの一つとして、統合環境制御システムを開発。センサーや画像から生産環境を可視化し、収集したさまざまなデータを AI などで解析しながら生産を支援できるようにしました。AI 活用の経緯について、日揮ホールディングス グループ基盤DX部 プリンシパルエンジニア(IT)データサイエンティストの岡田 邦夫 氏はこう話します。

  • 日揮ホールディングス株式会社 グループ基盤DX部 プリンシパルエンジニア(IT)データサイエンティスト 岡田 邦夫 氏

    日揮ホールディングス株式会社 グループ基盤DX部 プリンシパルエンジニア(IT)データサイエンティスト 岡田 邦夫 氏

「日揮社内で AI への取り組みは進めていたものの、陸上養殖はこれまでにないプロジェクトで、どのように開発リソースを管理し、継続的な改善ができるかが大きなポイントでした。これまで AI の取り組みではテーブルデータを R や Python などで分析し AI ・ ML モデルを作成することが中心でしたので、ローカルの PC で環境を構築すれば事足りました。ただ、陸上養殖では扱う AI モデルや状況によって実行環境を変えたり、AI モデルを改善し続けたりする必要があります。そこで利用し始めたのがクラウド上で AI プラットフォームを提供する Azure Machine Learning です。社内のデータサイエンティストが中心になって取り組みを進め、技術的なサポートをマイクロソフトから受けながらアジャイル的に改善していく体制づくりを整備していきました。陸上養殖プロジェクトは社内での AI 活用や ML 推進の試金石となるプロジェクトでした」(岡田 氏)。

Azure Machine Learning の上で画像認識 AI を活用し、魚体のサイズと疾病状況を可視化

日揮で AI の取り組みを推進したのは、グループ基盤DX部 シニアエンジニア(IT) データサイエンティストの喜多 陵 氏と、日揮パラレルテクノロジーズ エンジニアの中島 正人 氏です。喜多 氏は陸上養殖における AI 活用の意義をこう話します。

  • 日揮ホールディングス株式会社 グループ基盤DX部 シニアエンジニア(IT)データサイエンティスト 喜多 陵 氏

    日揮ホールディングス株式会社 グループ基盤DX部 シニアエンジニア(IT)データサイエンティスト 喜多 陵 氏

  • 日揮パラレルテクノロジーズ株式会社 エンジニア 中島 正人 氏

    日揮パラレルテクノロジーズ株式会社 エンジニア 中島 正人 氏

「養殖事業では、魚の斃死率を下げること、成育速度を速めることの 2 点が特に重要です。例えば 1000 匹の稚魚を水槽に入れたら 1000 匹全てが成長して出荷できること、かつそれが短いサイクルで行えることが理想です。陸上養殖が海面養殖と大きく異なる点は、水温や溶存酸素、pH などの成育環境を制御できることです。魚にとって最適な環境を作り出すことで斃死率(へいしりつ、突然死んでしまうこと)を下げ、かつより早く成長させることを期待しています。これまでの養殖では、どのような環境が最適かをベテランの方が自らの経験や勘を元に設定していました。私たちの陸上養殖事業は当初から AI を活用することを前提とした AI ネイティブな取り組みとしてスタートしており、最適化の目的となる斃死率や成育速度を AI で数値化することが大きな違いです。これにより勘と経験による最適化を脱却し、最適な環境をより効率的に探索することが可能になります。例えば魚の生育速度は、これまでは月に 1 回サンプルを採取してサイズを測るという手間のかかる方法で計測していました。これを画像AIによる推論に置き換えることで、日々の成育過程を連続的に推定でき、環境最適化に活用できるようになりました」(喜多 氏)。

AI の活用でまず取り組んだのは、水槽の中の魚がどのくらい成長したのかを魚を採取することなく推定することです。推定結果は Microsoft Power BI によってグラフ形式で可視化しました。取り組み初期における苦労について、中島 氏はこう話します。

「既存の AI モデルを組み合わせて適用することにより、カメラで撮影した映像から魚のサイズを把握することは可能です。ただ実際に現場で撮影できる映像は、照明や水の濁りなどの環境が影響し、必ずしも理想的なものにはなりません。AI モデルの頑健性を高めることに加え、そもそも現場での撮影環境をどのように設定するかが重要になります。さまざまな議論を経た上で、実際に現場に足を運んでカメラの設置などを行いました。画像 AI の導入により、従来は検体により月 1 回しか行えなかったサイズ調査は、 1 日 1 回の頻度で実施することが可能となりました。調査の実施頻度を上げることで、どのようなパラメータが成育に影響するかをより正確に予測できるようになると考えています」(中島 氏)

  • AIによる画像解析のイメージ。カメラによる撮影画像から、魚のサイズ把握や疾病状況の可視化を行う
  • AIによる画像解析のイメージ。カメラによる撮影画像から、魚のサイズ把握や疾病状況の可視化を行う
  • AIによる画像解析のイメージ。カメラによる撮影画像から、魚のサイズ把握や疾病状況の可視化を行う

開発したモデルを運用に乗せていくなかで、AI ・ ML モデルの更新をどう行っていくかという新たな問題に直面しました。例えば、稚魚の画像だけを使って学習したモデルは、魚の成長に伴い精度が低下していきます。このようなデータドリフトと付き合っていくためには、AI ・ ML パイプラインの構築による再学習の仕組み化が必要でした。

  • 魚体サイズ推定のシステムアーキテクチャ図

    魚体サイズ推定のシステムアーキテクチャ図

1 日 8 時間 3 日間のワークショップを通して MLOps 環境の構築と運用方法を学ぶ

AI ・ ML パイプラインは、データの収集から、データの準備・加工、モデルのトレーニング、モデルの評価、モデルのデプロイといった一連の処理をワークフローとして自動化していく取り組みです。自動化に加えて、過去の履歴をバージョンとして管理したり、複数のステップをデータサイエンティストやエンジニア、ビジネス部門担当者などで分担・協業しやすくなったりするメリットがあります。

「AI モデルの運用を考えるなかで、モデルの再学習や再デプロイの仕組みを省力化する必要性を感じていました。一方で、そうした環境をどのように構築し運用していけばよいかはよく分かりませんでした。そこで、マイクロソフトが実施するハンズオンに参加し全面的な支援を受けながら、Azure のサービスを使った MLOps 環境を構築していったのです。Azure を選択した理由は、一つのプラットフォームでモデルの学習からデプロイまで全体をカバーできること、技術的なサポート体制がしっかり整っていたこと、周辺の PaaS も含めてさまざまなサービスと連携できること、コミュニティが大きく盛り上がっていたことです」(中島 氏)。

相談を受けたマイクロソフトが提供したのが、ML に取り組む企業を支援するプログラム MLOps Lab です。日本マイクロソフトのクラウドソリューションアーキテクト 伊藤 駿汰 氏はこう話します。

  • 日本マイクロソフト株式会社 カスタマーサクセス事業本部 データ&クラウドAIアーキテクト統括本部 クラウドソリューションアーキテクト 伊藤 駿汰 氏

    日本マイクロソフト株式会社 カスタマーサクセス事業本部 データ&クラウドAIアーキテクト統括本部 クラウドソリューションアーキテクト 伊藤 駿汰 氏

「MLOps は、ML の DevOps ともいうべき取り組みです。MLOps には技術だけでなく DevOps 的思想や組織作りなどの要素が含まれるため複雑になりやすく、そこに難しさがあります。MLOps を推進するうえでは、単に ML パイプラインを構築して終わりにするのではなく、あるいはフルサイズの体制を一足飛びに実現しようとするのでもなく、複雑さに向き合いチームやプロジェクトの状況に応じてステップアップしていくことが重要です。マイクロソフトは MLOps をレベル 0 ~レベル 4 の 5 段階からなる「成熟度レベル」として整理しており、MLOps Lab ではお客様の現状と目指す成熟度レベルに合わせ、お客様の成長に伴走しながら取り組みを支援します。その結果としてML プロジェクトを構成する三つのループ(Inner Loop 、Middle Loop 、Outer Loop)に沿って、試行錯誤、モデルのデプロイ、運用をお客様自身の手で回していくことができるようにします」(伊藤 氏)。

  • ML プロジェクトを構成する三つのループ構造

    ML プロジェクトを構成する三つのループ構造

  • MLOps Lab の概要

    MLOps Lab の概要

MLOps を実践するポイントは、小さな一つのサイクルを回してみることにあるといいます。日揮でも 1 日 8 時間の 3 日間のワークショップに参加し、考え方や技術、方法論を集中的に学びました。日本マイクロソフトのクラウドソリューションアーキテクト 宮田 大士 氏はこう振り返ります。

  • 日本マイクロソフト株式会社 カスタマーサクセス事業本部 データ&クラウドAIアーキテクト統括本部 クラウドソリューションアーキテクト 宮田 大士 氏

    日本マイクロソフト株式会社 カスタマーサクセス事業本部 データ&クラウドAIアーキテクト統括本部 クラウドソリューションアーキテクト 宮田 大士 氏

「MLOps を実現するためには、多くの技術を学ぶ必要があり、実装に時間がかかります。お客様自身にベースの知識や技術がなければスムーズに進まないため、お客様に頑張ってもらわなければならないことが多いのが現実です。そんななか、日揮様は、ML モデルの実装・評価などの技術をすでにお持ちであり、後は Azure ML 上で MLOps を実装するのみの状態でした。3 日間のワークショップでは、集中的に技術を学びながらその場で MLOps を実装いただけたので、短期間で最大の成果を挙げられたと感じています。また我々マイクロソフト側としても、プラントエンジニアリングとサバの陸上養殖というこれまでにない興味深い取り組みに対し、熱意を持って取り組むことができました」(宮田 氏)。

経験や勘に頼らずに安定的にスピーディーにサバを生産し、消費者に届けていきたい

MLOps Lab を通した支援は 3 日間のワークショップ後も続きます。陸上養殖プロジェクトにおいて ML モデルをアップデートする仕組みを構築した後も、さまざまなシーンで ML モデルを構築、MLOps の枠組みのなかで取り組みを加速させているといいます。喜多 氏は、現時点での成果として大きく三つを挙げます。

「一つ目は、クラウドを活用した ML プラットフォームを構築できたことです。社内では AI やデータサイエンスが求められるプロジェクトが複数走っています。クラウド環境上で関連リソースを一元管理することにより、チームでの開発が容易になり、複数の開発者間でノウハウを共有することも容易にできるようになりました。二つ目は MLOps の仕組みによる省力化が実現できたことです。これまでは AI モデルの再学習や再デプロイはステップごとに手作業で実行していましたが、MLOps の仕組みを取り入れ、ジョブやパイプラインという形式で簡易的に実行できるようになりました。三つ目は、精度の継続的な向上を実現できたことです。別案件では、開発当初 90 %の精度だったモデルが、実際の環境にデプロイすると 50 %の精度しか出ないといったことを経験しました。これはデータの傾向が微妙に変わることが原因で、モデルの再学習の重要性を痛感しました。MLOps の省力化で再学習のハードルが下がったこともあり、必要に応じて 2 週間に 1 回程度の頻度でモデルのアップデートができるような運用にしています」(喜多 氏)。

こうしたクラウド環境の活用、開発・運用の省力化とリソース共有、継続的な運用といったメリットに加え、事業化に向けて業務やシステム開発のスピードアップが実現していることも大きな成果だといいます。

「業務部門の立場からは、システムやモデル開発のスピードがとにかく速いところが印象的でした。データを用意するとすぐにモデルを作成して現場にフィードバックしてくれますし、作ったものを見せてもらいながら、議論する機会も格段に増えました。ビジネスと開発が一体となって取り組みをスピーディーに進められたことがプロジェクトを成功に導くポイントだと思います。Azure ML サービスや MLOps Lab による支援がなければ、このようにスケジュール通りに目標を達成することはできなかったと思います。今後、さまざまなシーンで AI を活用していくことで、経験や勘に頼らずに安定的にスピーディーに魚が生産できるようにしていきます」(臼井 氏)。

現在進めている実証結果を踏まえ、2024 年 2 月には実証生産用のプラントを完成させる計画です。早ければ 2024 年 12 月には、消費者の食卓に寄生虫のいない安全で新鮮なサバが並ぶといいます。「陸上養殖 × エンジニアリング × AI」の成果に舌鼓を打つ日はそう遠くありません。日本マイクロソフトは日揮の新たな取り組みを支え続けます。

[PR]提供:日本マイクロソフト