岡山県中西部に広がる吉備高原に位置する高梁市で、1964年から精神科医療を地域に提供し続けている医療法人梁風会 さきがけホスピタル。都市部に比べ医療従事者の確保が難しい環境の下、地域医療の問題に向き合い、精神科医療の灯火を絶やさないことを最大のミッションとしている。同院が院内業務のデジタル化に乗り出したのは、現院長の樋口裕二氏が入職した2017年。医事会計システムのみが稼動し、ほとんどの業務が紙と手作業で行われていた同院でClaris FileMakerによるシステム化が始まった。院長のトップダウンで独自の業務システム「Sakigakeシステム」を内製で開発したほか、職員の開発トレーニングなども実施。システムの発展と改良を続けることで院内業務の効率性と働きやすさにつなげている。

独学でシステム内製化の道を歩み始める

医療法人梁風会は精神科・神経科・心療内科を専門とするさきがけホスピタル(180床)を中核に、障害者グループホーム(共同生活援助)、就労の機会や生産活動の場を提供する就労継続支援B型事業所など障害福祉サービス事業所も併設し、精神障害者への包括的なケアを行う。また40キロほど北にある新見市にて、さきがけクリニックも運営している。職員は約150人(医師6人、看護師40人、精神保健福祉士5人、公認心理師3人、作業療法士5人など)が在籍。2023年4月に、従来の精神科病院のイメージを払拭し、温かく先駆的な医療を目指すため現在の「さきがけホスピタル」に改称した。

院長の樋口氏は静岡県や東京都内で勤務した後、2012年より地元の岡山大学病院に勤務し、2017年にさきがけホスピタルの前身に入職。2022年に病院管理者・院長に就任した。同氏がFileMakerに出会ったのが、岡山大学病院勤務時代の外勤先の精神科病院だった。その精神科病院ではFileMakerで開発した精神科関連書類のデータベースアプリケーションを運用しており、「初めて触れてみたが、便利なツールだ」という印象を持ったという。

精神科医療では精神保健福祉法に基づき、入退院時をはじめとしてさまざまな書式で大量の届出書類の作成・管理が求められる。樋口氏がさきがけホスピタルに入職した当時は多くの書類に関して、それぞれの帳票を手作業で作成していた。頭書情報など同じことを何度も手書きする煩雑さはもちろん、あまりの書類の多さに以前の患者記録がどこに保管されているのかもわからない状態だった。「おそらく、システム化されていない多くの精神科病院の課題でもありますが、反復するような作業はできるだけ省力化し、仕事を楽にしたいというモチベーションがあります」という樋口氏。そこで外勤先と相談し、運用していた精神科関連書類アプリの一部を譲り受け、FileMakerをスタンドアロンで利用しはじめたのが発端だった。

樋口氏がFileMakerの技術を独学で習得しながらさまざまな診療書類作成などのアプリケーションを開発していったところ、他の医師や精神保健福祉士なども次第に利用しはじめた。そのような状況から「よく理解していないながらもFileMaker Serverを立て、院内LANで運用」(樋口氏)を開始。その後、Claris認定パートナーである株式会社未来Switch(大阪市)の協力の下、クラウド化も実現している。

「院内のデジタル化にはある程度の投資をしておかないと、医療現場は非効率的な業務に忙殺されてしまいます。FileMakerを活用すれば、コストを抑えて業務の省力化ができるというムードが院内に広がりつつありました」(樋口氏)と当時を振り返る。

  • 院長の樋口裕二氏

精神科病院は全国に約1000施設あるが、その3分2が200床前後の中小規模病院だ。特に200床以下の精神科病院は、人的・予算においてもDX(デジタルトランスフォーメーション)リソースが限定された環境だとし、紙カルテ運用を続けている施設がほとんどだと樋口氏は指摘する。そうした環境下で現場オペレーションを改革する可能性を秘めていたのが、FileMakerによる内製開発であった。

システム開発・運用部門を新設

さきがけホスピタルの診療業務システムは、譲り受けた精神科関連書類データベースをベースに、樋口氏の手により患者管理や処方箋・指示箋など診療業務に関するさまざまな機能が追加され、医師や精神保健福祉士、作業療法士など、職員の業務支援に欠かせないシステムへと成長していった。そうしたなか、2022年4月に樋口氏が病院管理者・院長に就任したことにより、FileMakerの開発・運用、カスタマイズなどを担当する部署として、情報管理・心理室が新設され、インハウス環境への一歩を踏み出した。「(院長就任により)私一人で担ってきた開発・運用を他のスタッフに任せる必要がありました。システム環境の属人化を解消するとともに、それまで開発してきた診療業務にかかわるシステム以外に労務管理などもDXしないと職員の不便さは解消され得ません。そのため、院内業務をデジタル化しDXを推進する必要がありました」(樋口氏)

当時の情報管理・心理室のメンバーは、公認心理師、医局秘書、医療事務員など5人で構成され、全員が本来の業務と兼務していた。その中で開発担当の責任者に任ぜられたのが、プログラミング未経験だった公認心理師の黒河葵氏だ。「新部門に配属になった2022年4月から独学でFileMaker技術を学びはじめました。Clarisのマスターブック(※1)やYouTubeのトレーニング映像、開発サンプル(※2)などが役立ち、稼動していたシステムのエラー報告や改善要請に対処しながら技術習得を進めていました」(黒河氏)

(※1)Claris FileMaker を体系的に学習できる公式テキスト。現在は「Claris FileMaker ガイドブック」としてPDF 版は無料ダウンロードが可能だ。
(※2)ダウンロードしてすぐに使うこともカスタマイズも可能なテンプレートである「業種別サンプル App」は現在 100 種類ほどが無料で提供されている。
  • 開発責任者を務める公認心理師の黒河葵氏

当初、5人で構成されていた情報管理・心理室は、翌2023年4月には FileMakerシステムの開発や運用の主導の他、院内売店の運営などさまざまな業務を担当する事業部として再編。構成メンバーも7人に増員され、黒河氏と同じく心理師として勤務する安田昌平氏が主に開発を担当している。また他のメンバーはFileMakerによるシステムの運用や職員への運用指導、システム改善の補佐などを担っている。そして2022年の秋には、樋口氏が開発・拡張してきた診療業務支援システムに加え、労務管理など職員向け業務システム、院内売店などの物品管理システムの3システムで構成される「Sakigakeシステム」の本格的な開発・運用がスタートした。

新部門で本格的開発スタート

Sakigakeシステムは、「状元」(じょうげん)、「榜眼」(ぼうがん)、「探花」(たんか)と名付けられた3システムで構成されている。これらの名前は病院名の「さきがけ」が魁星(かいせい、北斗七星の第1~第4星)に由来しており、この魁星は昔の中国では科挙及第を願掛けする対象であった。同試験の上位合格者に贈られる称号にちなんだ非常にユニークな名称となっている。

「状元」は樋口氏が開発・拡張してきたシステムで、患者情報管理、入院患者記録、ベッドコントロール(病床管理)、処方箋・各種指示箋、診療に関する各種届出書類作成・管理など、主に診療にかかわる業務支援機能を有している。ユーザーは医師、看護師、精神保健福祉士、作業療法士、医療事務員などだ。特筆すべき機能は、ベッドコントロール機能だという。

  • 状元のトップ画面(虐待・ハラスメントなどに関する標語の院内周知も兼ねている)

ベッドコントロールは、病床を効率的に運用するために管理・調整することだが、同院では患者の病状に合わせて頻繁に転棟・転室が行われるという。従来は紙とホワイトボードで日々の各病棟の転室状況を記録・管理し、届出のために事務担当者が毎日、病棟看護師に確認電話するか各病棟のホワイトボードを確認していた。病棟看護師がシステム上でリアルタイムに変更操作することにより、どこからでも病棟の状況を確認できるようになった。電子カルテシステムなどには実装されている機能だが、FileMakerの基本的・特長的な機能を利用し、簡単な操作で病床管理業務を効率化した点が重要だと樋口氏は指摘する。

  • 習得した技術を駆使して開発したベッドコントロール機能(患者氏名は架空のもの)

職員向けシステムの「榜眼」は、出退勤管理・残業代算出などの労務管理機能やインシデントレポート報告機能、職員向け資料庫など、職員ポータルとして運用されている。樋口氏から出退勤管理機能の開発を指示され着手したもので、機能追加などの要件変更は黒河氏らと院長との会議で決定して進めたという。

出退勤管理は、各職員が携行する職員カードにQRコードを貼付し、バーコードリーダーで読み取って出退勤時間を記録する。医局や各病棟、事務部門にiPadを配布し、それぞれの部署で出退勤時に使用している。「以前は紙のタイムカードに記入しており、残業代を計算する専任職員を配置していました。システム化により残業代の算出も自動化されるので、専任職員の配置転換もできました」(黒河氏)

  • バーコードリーダーとiPadを使った勤怠管理

またインシデントレポートは、以前は用紙にインシデントのレベル、具体的な内容などを記入し、所属長・部長・医療安全委員会での確認・承認(押印)していたものをシステムで作成できるようにし、ポータルで集計や回覧・承認プロセスも自動化してステータス管理もできる機能を実装した。

主に院内売店システムとして運用する「探花」は、外部委託運営だった院内売店の専従者が退職することを機に売店を病院運営に切り替えたことにより、開発することになったもの。院内売店の運営はアウトソーシングすることが多いが、病院規模や地域性などから運営委託を請け負う事業者の誘致が困難だったことから自院運営にせざるを得ない背景があった。そのため、職員の業務負担をできるだけ軽減・効率化することがシステム開発の狙いだった。「売店運営を事業部で行うことになり、販売管理と同時に仕入・在庫管理もシステム化しようと開発に着手しました」(黒河氏)

  • 探花の注文販売画面(患者氏名は架空のもの)

完成した売店システムは、売店エリアでの販売をはじめ、閉鎖病棟への移動販売や看護師経由の注文販売、院内の自動販売機での搬入・販売などの機能を実装。紙伝票で処理していた作業をバーコードリーダーによる効率的な販売処理を可能にした。また、在庫管理機能では商品マスターをベースに仕入記録・返金処理・発注書の自動作成も行えるようにした。「事業部の担当者が定期的に仕入に出向き、割引している商品などを患者・職員向けに購入して入庫処理を行い、売店エリアでの販売や自販機への補充作業を行っていますが、それらの処理をすべてバーコードリーダーとiPadで簡潔にできるようにしました。事業部の職員が負担に思っていた業務を楽にしたいという院長の指示で開発に着手しましたが、指示されたもの以外にも業務を効率化できる細かな機能を数多く実装しています」(黒河氏)とし、事業部自らの考えで内製開発が進展してきたと話す。

  • 商品マスターを整備し、販売管理・仕入・在庫管理などをシステム化。職員の業務負担が軽減した

開発技術・リソース不足により開発委託の選択肢も

売店システムと在庫管理システムの内製開発で売店業務の効率化は実現したものの、入院患者の預かり金管理システムとの連携が課題としてあった。入院患者は嗜好品や紙パンツなどの生活必需品を購入する際、預かり金から購入することが入院規定であり、従来、預かり金管理はベンダー製のソフトウェアで行っていた。探花運用以前は、販売する際は職員が手書き領収書を元に預かり金管理システムに手入力して購入費を減算処理していた。そのため、手間がかかるうえ入力ミスなどにより残高が合わなくなるリスクもあった。探花システムの運用開始に伴い、それらの課題を解消するためベンダー製の預かり金管理システムと連携する必要性があった。「当初、預かり金管理システムからボタン操作でデータをCSV出力できるよう改修依頼をしたところ、数十万円の費用がかかると言われました。それなら預かり金管理システム自体も院内開発した方がいいだろうという結論になりました」(樋口氏)

ところが預かり金は入院患者から預かるお金であり、きちんとした報告書を家族へ定期的に提出する必要もある。院内開発ではハードルが高く開発リソースも不十分だとし、Claris認定パートナーである未来Switchに開発依頼することになった。

外部開発として初の案件だったが、黒河氏と未来Switch代表取締役の片岡博達氏がWeb会議で要件を決定し、開発を進めた。完成した新・預かり金管理システムは、状元システムの入院患者データと、探花システムの購入データとを共有することでデータの一元管理を実現。事務作業が大幅に効率化された。

事業部職員対象に開発トレーニングも実施

樋口氏1人で担ってきた開発業務を移管するために新設した事業部だったが、「スタッフに期待していた開発・運用スキル、あるいはDX推進の成果は当初の予想を大きく上回っている」と評価する樋口氏。ほぼ独学で習得してきた事業部スタッフのFileMakerの開発・運用技術をさらに向上させたいと考えた同氏は、開発トレーニングの実施を未来Switchに要請。病院支援で外部事業者の力を借りた人材育成に乗り出した。

事業部スタッフを対象にしたFileMakerの合同トレーニングは、2023年8月に4日間(20時間)の日程で行われた。「事業部スタッフの技術レベルを事前に伺い、初級・中級・上級・応用編の4コースの講座を行いました。医療系の課題教材を用い、初級・中級編については各10時間のトレーニングを4日間で実施する内容で、1つの課題ソリューションを繰り返し作成するリピートトレーニングを行いました。確実に技術習得できるよう特色を持たせました」と片岡氏は説明する。なお、黒河氏ら2人の開発経験者を対象とした上級~応用編はマンツーマンのオンライン講座で実施した。

  • 未来Switch代表取締役の片岡達博氏

初級~中級編を受講した事業部部長の坂田大輔氏は、FileMakerアプリケーションの構造的な知識はゼロの状態だったと言うが、「データベースの基本的な構造やリレーションシップによるデータ連携の仕組みなどが理解できました。トレーニングの後半は教材をなるべく参照せずにアプリ作成できるようになり、FileMakerデータベースの構造的な理解は深まったと思います」と振り返る。また、入職したときから状元システムを運用していたものの、技術的なスキルはまったくなかったと話すのは医局秘書の松本京子氏。「リレーションシップの構造などが理解でき、バックグラウンドでどのように機能しているのかがわかりました。それまでもシステム運用の立場からデバッグ作業を評価されていましたが、エラー発生について再現性の確認によって要因を関連付けて見つけることができるようになりました」(松本氏)

  • 事業部部長の坂田大輔氏

  • 事業部主任(医局秘書)の松本京子氏

事業部スタッフに機能説明する際に技術用語を使わず話すことに苦労していたという黒河氏は、「データベースの基礎や機能を理解してくれたので、技術用語を交えた会話も可能になったし、エラー報告も原因の見当を付けて報告してもらえるようになりました」とトレーニングの成果について語る。

事業部スタッフを対象にした技術トレーニングの定期実施は予定していないと話す樋口氏だが、教育機会は職員全員に対して設けていきたい考えだ。「Sakigakeシステムは職員全員で作り上げていくという文化・風土で開発・運用しています。FileMakerは非常に使いやすく、開発のスピーディーさや拡張性に優れたプラットフォームです。各部門の職員がより理解を深め、さらなる業務改善につながるアイデアを考えられるようになってほしい」(樋口氏)と展望した。

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