楽器が弾けないのにミュージシャン。こんな人はもう沢山いるでしょう。でも、絵が描けないのにマンガ家というのは、まだ新しいのではないではないでしょうか。絵がヘタなマンガ家はたくさんいますが、自分で線の1本も描いていないマンガ家が登場したのは、これは大きな出来事だったと思います。

前回は、デジタルクリエイションの醍醐味、その一部をご紹介させていただきました。絵が描けないのにマンガ家になった菅原そうた氏のご紹介。彼の場合まさにデジタルその周辺の最新機器という環境がなければマンガ家にはなっていなかったでしょう。実際、彼の作業机に従来のマンガの道具は見当たりません。パソコンがあるだけ。菅原そうた氏の発言で「ぼくは両親よりもAdobeの世話になった」というもうどうしようもない両親に甚だ失礼な名言? があるのですが、確かにアプリケーションはクリエイションを触発する。彼の場合それが夢を叶える道具になったわけで、人生への影響は大きかったのでしょう。創作の芯は変わらねど、人間には出来ない表現で新鮮さをもたらし、こちらの想像を超える創造に出会うマン&マシーンの華麗なるセッション! これがデジタルクリエイションの醍醐味のひとつ。

ギャグマンガの神、赤塚不二夫先生のマンガの制作はプロダクション形式になっており、下絵を描く人、ペンを入れる人、それぞれ専門に分業システムをとっていたらしいですが、アイデアの段階では複数人のセッションで出し合ってたらしいですね。なぜギャグはそのようにセッションで出し合ってたか、ぼくはよく判かります。ギャグマンガは『発想のトビ』がギャグになる。ひとりの発想と複数人の発想では跳び幅が違う。人から出た発想なら客観的に判断できる。ひとりでアイデアを転がしてると、それが本当におもしろいのか時間が経つとわからなくなる。考えすぎるとダメ、客観的な視点が常に必要。ギャグ作家の精神は分裂させるしか方法がないです。分裂させたままの精神では体力を消耗し、実際にペンを持って制作するときには、ギャグも新鮮味をなくし作業は苦行になっている。仕事は苦しいものだけど、できるなら楽しくやりたい。楽しくやれば次の創作の力も湧いてくる。楽しい仲間とセッションで創る。これは正しい方法です。

『発想のトビ』をデジタル創作環境に見出すことはできると思います。僕自身、3DCGという分野でのレンダリングという作業、ここではもうマシーンがただひたすら計算をする。こちらの指示が間違っていようとも忠実に描画してくれるマシーンパワー! そこで思わず吹き出してしまう描画にたくさん出会ってきました。マシーンであってもセッションするモノづくりはあるなあと実感します。マンガ制作においては、これもぼく自身の話ですが、仕上げまで自分でやるので制作はただのド作業、頭の中のだいたいの完成した原稿をトレースするような作業。頭の中にあるイメージと手で描いたものとがだいたいは同じなんですよね。たしかにこれは分業したほうが効率的です。

セッションするクリエイションについてのお話、次回につづきます。

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タナカカツキ


1966年、大阪府出身。弱冠18歳でマンガ家デビュー。以後、映像作家、アーティストとしても活躍。マンガ家として『オッス! トン子ちゃん』、『バカドリル』(天久聖一との共著)など作品多数。1995年に、フルCGアニメ『カエルマン』発売。CM、PV、テレビ番組のオープニングなど、様々な映像制作を手がける。映像作品『ALTOVISION』では「After Effects」や「3ds Max」を駆使して、斬新な映像表現に挑んだ。