これまで、テクノロジーの進化は常に「都市」から始まってきました。ライドシェア、オンデマンドの食事デリバリー、5G通信。これらはいずれも人口密度の高い都市部で先に磨かれ、地方へは遅れて波及するか、あるいは採算性の壁に阻まれて届かないことも珍しくありませんでした。「テックトピア:米国のテクノロジー業界の舞台裏」の過去回はこちらを参照。
「テックの恩恵は都市に集中する」。それは、私たちの世代にとって疑う余地のない不文律だったと言えるでしょう。
しかし、AIの次のフロンティアと目されるフィジカルAI(Physical AI)では、この地図がまったく逆の方向から塗り替えられるかもしれません。2025年11月に、米ジョージア州の物流施設で、ある労働者が累計10万個の荷物搬送という金字塔を打ち立てました。Agility Roboticsの二足歩行ロボット「Digit」です。
Digitは、人間が働くために設計された狭い通路や段差を、AIによる“身体能力”で難なく克服し、労働力不足に悩む地方都市フラワリーブランチ(人口約1万2,000人)の物流インフラを支えています。
フィジカルAIとは、AIがロボットや車両といった「物理的な身体」を持ち、現実世界を認識しながら自律的に判断・行動する技術を指します。2026年1月に米ラスベガスで開催された「CES 2026」では「AIをハードウェアの中でどう具現化するか」が大きなテーマの1つとなり、ロボット向けフレームワークやエッジAIチップ、シミュレーション環境などが相次いで発表されました。
Digitの「10万個」の意味は、単なる回数の多さではありません。既存の商用現場で同じ作業を、毎日、失敗せずに積み重ねられることを証明した点にこそ価値があります。
これまでヒューマノイドロボットに向けられてきた最大の懐疑は「結局、現場では使われない」というものでした。Digitの実績は、この批判に対する強い反証です。人間のために設計された通路や棚、トートボックスをそのまま使いながら、10万個を達成しました。
専用レーンは不要で、倉庫をロボット用に作り替える必要もありません。これにより、10万個の作業にかかるコストや時間と、人間の人件費、労災リスク、反復作業による負荷などを比較し、経営者がヒューマノイドのROI(投資対効果)を現実的に算出できる段階に入り始めたことを意味します。
なぜフィジカルAIは「都市」ではなく「地方」から広がるのか
では、なぜこの変化はニューヨークやサンフランシスコではなく、地方から始まると期待されているのでしょうか。
理由は単純です。フィジカルAIが解決しようとしている課題の多くは「高度さ」ではなく「非効率」に根差しているからです。
人口密度が低く、配送距離が長く、人手が慢性的に不足している地方では、1回あたり数十秒、数十円の改善が、そのまま事業の持続性に直結します。都市部では誤差に埋もれてしまう最適化が、地方では“生死を分ける差”になるのです。
そうは言っても「自動運転車は都市部にしか浸透していないではないか」という意見もあるでしょう。かつて自動運転は、公共交通の乏しい地方における救世主として語られてきました。免許を返納した高齢者が、自由に買い物や通院できる未来です。しかし2026年の現在、その理想はまだ踊り場にあります。
なぜ、自動運転は地方で足踏みしているのか。従来の自動運転は「インフラ依存型」でした。精細に整備された3D地図、容易に視認できる白線、途切れない通信環境。こうした条件が揃わない地方の道路は、自動運転車にとって解像度が低すぎました。
対して、今注目を集めるフィジカルAIはアプローチが根本的に異なります。地図に頼るのではなく、人間が初めての道を歩くときのように、その場の視覚や触覚から状況を判断して学習します。言葉がわかり、モノの意味がわかり、人とも柔軟に協働できます。
「インフラをロボットに合わせる」のではなく「AIによってロボットがインフラに適応する」--。この“身体性”の獲得が、地方でフィジカルAIが先行して普及し始められる最大の理由です。
法はブレーキではなく、社会実装のための滑走路
米国では、フィジカルAIの立ち上がりを後押しする法整備も動き始めています。
これまで自動運転やロボットの実証は州単位の規制サンドボックスに委ねられてきましたが、昨年12月には州ごとの独自規制を抑制する大統領令が署名され、AIに関する単一の国家的枠組みづくりが進められています。
加えて、SELF DRIVE ActとAMERICA DRIVES Actという2つの重要法案も議論されています。SELF DRIVE Actは、州ごとにバラバラだった自動運転車両の規制を連邦法で整理するものです。AMERICA DRIVES Actは、商用自動運転トラックを全米規模で規制する法案で「レベル4」以上のトラックが州境を越えて走ることを可能にします。
法で技術を縛る鎖ではなく、社会に着地させるための「滑走路」として設計する。そこには、米国らしい現実主義が色濃く表れています。
日本の「地方問題」に直球で刺さるフィジカルAI
このフィジカルAIの波は、日本にとっても大きなチャンスです。むしろ、日本にとってこそ、より大きな意味を持つチャンスだと言えそうです。日本では高齢化と人手不足が国の将来を左右する問題となっており、とりわけ地方で深刻さを増しています。
地方都市における最大の課題は、常に「ラストワンマイル」のコストでした。都会では当たり前のフードデリバリーも、地方では利用できない地域が少なくありません。そのため、これまでの地方創生は主に「人をどうやって店まで運ぶか」という移動の問題に知恵が絞られてきました。
しかしフィジカルAIにより、地方においても配送ロボットや自律型の移動店舗を普及させられる可能性が見えてきました。日本の現行法下でも、小規模なものであれば「歩行者」として比較的スムーズに導入できます。
フィジカルAIを搭載したロボットや自律走行トラックは、24時間365日、疲労なく稼働します。人口密度の低さゆえに採算が合わなかった地域でも、配送コストを都市部並み、あるいはそれ以下に抑えられる可能性が生まれます。
高齢者が車を運転して買い物に行く必要がなくなり、AIが重い荷物を玄関まで運び、庭の草を刈り、雪を取り除いてくれる。そんな未来は、もはや絵空事ではありません。その先には「便利だけど高い都会」か「ゆとりはあるが不便な地方」か、という二択そのものが崩れていく風景が見えてきます。
フィジカルAIは日本が抱える構造問題のど真ん中に刺さる技術
日本はいま、解散・衆議院選挙により、消費税の引き下げもあり得る政治的な“窓”が一時的に開きやすい時期にあります。同時に、AI産業では生成AIの次の成長ドライバーとしてフィジカルAIが立ち上がり始めているという、大きな果実を得られる局面を迎えています。
ところが残念なことに、主要政党・候補者の政策プラットフォームでのAI訴求は限定的です。1つの政党を除き、政策パンフレットや第一声でAI活用そのものに触れている例は、まだ局所的にとどまっています。議論は物価対策、消費税、安保・憲法改正に集中し、AIについては生成コンテンツによる偽情報の懸念が、選挙の副次的テーマとして語られる程度です。
これは、非常にもったいない。なぜなら、フィジカルAIは、ロボティクス、物流、農業、建設、介護、インフラ保守といった、日本が抱える構造問題のど真ん中に刺さる技術だからです。
税制については消費税を「下げる/下げない」の短期的な家計目線にとどまり、AIは「デジタル化」「DX」「人手不足対策」の延長線ワードとして扱われるのみで、両者を「産業政策×税制」として結びつけるような議論は、ほとんど聞こえてきません。
減税を単なる内需刺激で終わらせず、フィジカルAI関連投資(ロボット導入・自動化設備)への一時的な税制優遇や、地方自治体×物流×自律システムへの集中投資といった構想が語られていれば「減税=ばらまき」「AI=バズワード」から一段上の議論へ引き上げられたはずです。
そうした議論は、必ずしも有権者の関心を簡単に集められるものではないかもしれません。しかし、政治の窓と技術の窓が同時に開いている今だからこそ、変化を単なる景気対策ではなく、次の10年を支える“構造”として語れる政治が求められます。

